2009年04月08日

ウンコの生涯生産量は?

昨日は、山口市徳地三谷で原健太郎さんの案内で、肥溜めを探すフィールドワークを行いました。3時間弱、4ヶ所ありました。現役として使われてはいませんが、原型を残していてとても貴重なものでした。
また、昭和初期にメタン発酵を利用したガス灯が使われていることが判明する大きな成果がありました。
山口ケーブルテレビが、随行取材をしてくれました。
放送日が決まったら案内します。

さて、別のところで書いた文章ですが、加筆訂正のうえ掲載します。

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atosenkai.jpg
山田風太郎著『あと千回の晩飯』 を読んで


なんでも計算して数字にして楽しむ人がいる。
山田風太郎著『あと1000回の晩飯』(朝日文庫)は、
そんな著者による本だ。
「あと3年生きるとして」と断って、夕食の回数を1000回だとしている。
それがこの本のタイトルだ。
食べる量を計算すれば、当然、排泄する量も計算したくなるらしい。
生涯ウンチ量を計算したところがある。
引用しておこう。

「また私の人体の数量計算になるが、人間が1日に排出するウンチは平均150グラムの由。すると80年では5トン近くの排出になる。
それだけ排出して、さて何をやったというより、ひょっとしたら人間の最大の事業は一生に5トンの肥料を生産したことではあるまいか、と考えたこともあったが、いつのころからみんな水洗トイレになって、この自己満足も空しくぞ失せたりける。」      p32〜33
 
人間は、約5トンの肥料・資源を生産することになるそうだ。
疑問に思う人は、検算するなり、自分なりの方法で計算してみてください。
ここでは、さしあたり5トンで通したい。

それは、人間の最大の事業である。
他に何をやったかは、考慮しなくても、
言ってみれば無為無策のうちに徒食の人生を終ってしまったと言われても
排泄だけは、行うわけだから、この事業を日々実行することになる。

と、これは、糞が肥料としていかされていた時代の話。
今は、水洗トイレ・下水道で(または浄化槽で)水路へ川へ海へ
流されて行くので、この自己満足にひたることもできないよ、
「この自己満足も空しくぞ失せたりける」と著者は嘆いている。

著者の言っていることを積極的なかたちで換言すれば、
肥料として使われれば、人間は生涯5トンの肥料を生産するのだから
それだけで生きている価値が十分あるよ、ということになる。
生涯生産量5トンは、どのくらいの田畑の肥料に役たつものか、
この計算は、どんな式を使うのだろう。
尿を足すともっと増えてくる。

山田風太郎や数字の好きなひとでなくても考えて見たくなるだろう。
いずれ、検討してみたい。

ここで大事なことは、水洗トイレで流してしまわないことだ。
いや、水洗トイレでもよいが、大地に還元して活用されることだ。
私も、あったか村では、大地還元のトイレをこころおきなく使っている。
このときはとても気分がよい。
普段住んでいる宇部市では、下水道へ流している。
使える資源を流しているのだから、心が落ち着かない。

私は、「村のトイレ屋」である。
農山村のトイレに「肥溜めと畑の関係」は最適だと思っている。
また里山再生、田舎暮らしのトイレには、とてもよいと思っている。
でも、「生涯5トン」の排泄量=生産量を都市住民もいかそうと思えば、
現行システムに取って代わる考え方と技術と担い手が必要であろう。
それも、はっきり射程に入れて、研究していきたい。




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posted by 村のトイレ屋 at 08:54| 山口 🌁| Comment(1) | 本の感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月07日

モース「日本その日その日1」

学習ノート。
この本には、屎尿関係の本でよく引用される箇所がある。
たいがい途中で終っているので終わりまで書き出しておく。22p.
平凡社東洋文庫。3冊。1970年刊。
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東京の死亡率が、ボストンのそれよりすくないということを知って驚いた私は、この国の衛生状態に就いて、多少の研究をした。それによると赤痢及び小児コレラは全く無く、マラリアによる熱病はその例をみるが多くない。リュウマチ性の疾患は外国人がこの国に数年間いると起る。しかし我が国で悪い排水や不完全な便所その他に起因するとされている病気の種類は、日本には無いか、あっても非常にまれであるらしい。これはすべての排泄物質が都市から人の手によって運び出され、そして彼らの農園や水田に肥料として利用されることに原因するのかも知れない。我が国では、この下水が自由に入江や湾に流れ入り、水を不潔にし水生物を殺す。そして腐敗と汚物とから生ずる鼻持ちならぬ臭気は、公衆の鼻を襲い、すべての人を酷い目にあわす。日本ではこれを大切に保存し、そして土壌を富ます役に立てる。東京のように大きな都会で、この労役が数百人の、それぞれ定まった道筋をもつ人々によって遂行されているとは信用できぬような気がする。桶は担い棒の両端につるし下げるのであるが、一杯になった桶の重さにには、巨人も骨をおるであろう。多くの場合、これは何マイルも離れた田舎へ運ばれ、蓋のない、半分に切った油樽みたいなものに入れられて暫く放置された後で、長柄の木製柄杓で水田に散布される。土壌を富ますためには上述の物質以外に尚函館から非常に多くの魚肥がもってこられる。元来土地が主として火山性で生産的様子に富んでいないから肥料を与えねば駄目なのである。日本には「新しい田からは少ししか収穫がない」という諺がある。
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いくつかことがわかる。
1、東京の衛生状態についてモースは研究した。
東京の都市としてのありかたに関心をもった。
「田園都市」「村の中の都市」「村の集まった都市」という表現をしている外国人もいたようだ。渡辺京二著「逝きし世の面影」(葦書房)
リュウマチ性の疾患に外国人がかかるのはなぜ?
2、彼我の衛生状態の比較を下水処理に求めている。ボストンは未処理で川に流している。「水生物を殺している。」
3、日本では都市から持ち出されて畑の土壌を肥やすために使われている。
東京では数百人のひとがこの仕事に従事している。「運び出している」としか書いていない。どこかに目撃したスケッチがあるかもしれない。
4、「蓋のない半分切ったような油樽に暫く放置され、長柄の柄杓で畑に散布される」・・・この箇所がとても大事なところだ。油樽の大きさ、放置の時間などがわかると完璧。このスケッチがあるとおもしろいと思ったが、3冊のどこにもそのスケッチはなかった。小屋の絵や働いているのは多いのだが残念。
5、日本の土地は痩せていて施肥が必要。これはどのような情報にもとづいたのだろうか。書かれている諺は、日本のどんな諺をさしているのだろうか。

著者は、覚え書きと写生をしなかった日はなかったという。
4年間で日記帳3500頁。
その理由は、観察と同時に興味あることを記録することの重大さを知っていた・・・そうでないとすぐに陳腐になってしまうから。
陳腐になってしまうというのは、新規さの印象が薄れて慣れて記録するに価しないように思ってしまうからだそうだ。p20

執筆の動機は、友人からの手紙。
1877年の日本。
「きみとぼくとが40年間親しく知ってきた日本という有機体」
「ベレムツナイツ(化石として残っている頭足類の一種)になってしまうぞ」・・・近代化される前の日本の姿の証言を意図している。
社会の総体を含めた農村ー都市、屎尿、家、風俗などの再構成が必要。


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2009年02月04日

読書会、2月19日


    第2回 環境の本を読む会

 とき:2月19日(木)18時〜22時半
 場所:宇部市総合福祉会館セミナールーム(小)
 テキスト:富山和子著『水と緑と土 伝統を捨てた社会の行方』 
  有吉佐和子著「複合汚染」と並ぶ古典的な本です。
 第2章 不足する水資源 の報告を受け、話し合います。

 第1回読書会の報告


問合わせ:うべ環境倶楽部事務局 西村誠さんTel・Fax 0836-31-2026
または、私あて メールを下さい。
soiland(あ)mb.neweb.ne.jp (あ)を@ に変換して送って下さい。

ふるってご参加ください。
忙しいときほどじっくり本を読み、ゆったり語りあいたい・・・ものですね。
 
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2009年01月28日

第1回読書会の報告

1月24日(土)午後1時〜3時半まで、福祉会館で開きました。
テキストは、富山和子著『水と緑と土』
参加者は、5人。23歳から中高年まで。
序章 自然観の断絶、1 章治水の革命 を私がレポートしました。
明治30年頃に転換期があったようだということで、西村さんから足尾銅山の公害のはなし、宇井純さんの本、自主講座の話しが出されました。
また、参加者から、東京の地下鉄と水害の想定のテレビ番組の感想、宇部方式をめぐって、野瀬先生の功績をきちんと調査・評価する必要があるという話がでました。昔の宇部には、そこらにうっすらと粉塵が積もっていたという話も出ました。
「宇部にもこんな話題で語り合える人がいて安心しました」と若い人が感想を述べていました。

次回は、第2章 です。


以下参考に、レポートの一部をメモしておきます。
===============
●大事だと思ったポイント 1章22p

「治水の革命による列島改造は、川の施設化に他ならなかった。それはまた、川を含めたいっさいの土地の施設化でもあった。水と緑と土とが息づいているこの大地から、川と土地とを切り離し、自己に都合のよい単一の用途だけを求めようとしたこの事業の思想とは、生ける有機体である自然をばらばらにし、無機化させる思想であった。この事業のもとでは、土地は人間の生産活動のための用地以外のなにものでもなく、川は洪水を処理してくれる施設以外の何ものでもなかった。
 堤防は川と土地との、この分業化を可能にさせたばかりでなく、川の中の自然をも解体させる役割を果たした。川の中の水と緑と土とは切り離して扱われ、緑と土はその存在を否定され、水だけが問題にされた。水を治めようとする人間の目に、川は目の前に存在する河道と水との関係でしかとらえられず、上流支流との関係や、さらに水が川へたどりつくまでの長い旅、その旅を左右する人間の土地利用の変化などが一体となって視野へ入って来はしなかった」 

●参考資料:ゆるやかな氾濫を前提にした治水  「もたせ」
  「柳川掘割物語」高畑勲監督 
   http://www.horiwari.com/old/
   DVDになっている。
「千と千尋の神隠し」の実写版という評もある。
   
●故・広松伝(つたえ)さんの本から
 【川の埋め立てはなく浄化再生、柳川の場合】
 広松伝著「ミミズと河童のよみがえりー柳川掘割から水を考える」から
  河合ブックレット 700円
  1987年第1刷、河合塾での講演を本にしたもの
  広松伝さん、1937年生、柳川市役所環境課係長(当時)
 
 (コンクリート三面張り)
「・・・これでは物質循環は絶たれてしまいます。この水路が素掘りですと、あるいは空石積とか自然の川ですと、川の水が多いときには地下に浸透していきます。逆に日照りが続いて川の水位が下がりますと地下水が川に滲出してくるわけです。こうして日照りが続いても川の流れが途絶えることはありません。
このことを私は大地の水呼吸と呼んでいます。そして川底には微生物がたくさんいて、流れ込んだ有機物を分解して、植物が吸収しやすくすると同時に水をきれいにしています。小さな虫とかもいます。それを魚が食う。あるいは田螺とかが微生物を食ったり有機物を食ったりして、自然の物質循環があるわけです・・・死の川になってしまいます。一人一人が自分の用途だけを考え求める。つまり総合的にものをとらえる考え方が失われた結果が、ここに象徴されております」 p56〜57

 (思想のない技術)
「前にもちょっと触れた地盤沈下もそうです。水中モーターポンプというのが昭和30年ごろドイツから日本へ入ってきましたが、それまでは渦巻ポンプとかポアホールポンプで地下水をくみあげておりましたもので、そう深い水位では汲めなかったわけです。ところが水中ポンプですと100メートルしたからでも組み上げることが出来るわけです。確かにそれだけを取ってみれば素晴らしい技術です。しかし、そんなに深い水位になるまで汲み上げたらどうなるか、ということです。必然的に地盤沈下が起きますね。これはまさに思想のない技術です。全体のことを考えないわけです。自分が必要なことだけ目的を果たせばそれでいいというような、まさに現代の日本人の心を象徴してる思想のない技術。」

  (ミミズに感謝し、胸のうちに河童をとり戻す)
「・・・だから科学文明におぼれずに、かって日本人が自然に対応してきた行き方を見習わなければならないと思います。自然とのつきあいをはじめていかなければなりません。人間も自然界の一員で、その自然は水の循環によって存在してるのです。今、水神際とか川祭りとか、水の神を祀ることをやめておりますが、それを復活しなければならないと思います。ミミズに感謝し、胸の内に河童を摂り戻す、水を思い、畏れ、慈しむ心が大切です。」p60

  (水は土に還ってはじめて浄化される)
「水の問題を中心に考えてみますと、水は土に還って初めて再生されるわけです。微生物の作用でまたきれいに戻るわけです。ですから出来るだけまんべんなく広い土地を利用して水を土に還し再生していくべきです。下水道なんか1ッ箇所に集めてやりますと、たとえば福岡の場合は博多湾に流されるておるだろうと思います。百万人分の汚水を下水処理場で処理しましても、BODで90%しか処理できないものですから、あとの十万人分はそのまま生でどっかから何ヶ所かの放流口から、海なり川なりに流されていることになります。下水道が付設された土地では、区域内の小川とか水路とか土とかの持っている浄化力は全く使われない。パイプの中を通っていくものですから、出されたところはたまったものじゃあなくて、全体的に考えるとますます環境悪化が進んでいくということです。」 


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2009年01月19日

「水と緑と土」読書会1/24(再)

読書会にご参加下さい。
 
 ご案内>環境の本を読んで語り合う会

とき:1月24日(土) 午後1時〜4時
ところ:宇部市社会福祉会館 2F ボランティアセミナールーム(小)
        琴芝 電話33-3156
テキスト:富山和子著『水と緑と土』(中公新書)序章、1章、
進行方法:10人以内の小グループの読書会です。
     テキストの報告を柱に語り合います。
     参加者の意見・感想を中心にすすめます。
  小レポート:野瀬先生と宇部方式の原点(うべ環境倶楽部:西村)
        水と循環型社会(あったか村・安藤)

 参加申込み・問合せ先:うべ環境倶楽部事務局 西村 0836ー31ー2026
E-mail 読書会進行係 安藤 soilandあmb.neweb.ne.jp
         あ を @ に変換して送って下さい。


著名な人の講演を聞いても、質問したり疑問感想を仲間と話しあったりしないと
なんとなく落ち着かなくて、自分の身になったような気がしなくて、不満が残っ
ているというような経験はありませんか。
双方向のワークショップが、歓迎されるのは、その反映だろうと思って
います。小グループの読書会は、一冊の本の一節、あるいは一つのことばをめぐ
って、参加者が自分の意見をゆっくり述べあうというよさがあります。

今度の読書会は、序章と1章を読んだ感想を語りあいます。
富山和子さんの本は、副題にあるように「日本の昔からの自然とのつきあい方が
どこで壊れてしまったのか」を探る本です。特に川に焦点が当てられています。
でも、書名が、「水と緑と土」となっているように、森林と土壌も大事な要素と
されています。土が含まれていることが、おもしろいですね。
うべ環境倶楽部の西村誠さんが、故・野瀬先生の環境衛生の考え方を紹介します。
宇部方式の生みの親と言われている人です。私は水と循環型社会について短い報
告をするつもりです。

 西村さんとも話しあっていることですが、読書会を各グループごとに行うこ
とも大事ですが、グループの枠を越えて共同の運営にできないかと考えています。
地道なことですからついつい目先のことで後回しになってしまって、続けること
が大変です。でも、ゆっくりでも継続している集まりがあれば、どのグループも
助かると思うのです。偉い人の話を聞くだけでなくて、互いの意見や感想を持寄
ることで、何かがうまれるのではないでしょうか。
関心ある方は、ご参加ください。



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posted by 村のトイレ屋 at 23:18| 山口 | Comment(0) | 本の感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月14日

「水と緑と土」の読書会

ご案内>環境の本を読んで語り合う会

とき:1月24日(土) 午後1時〜4時
ところ:宇部市社会福祉会館 2F ボランティアセミナールーム(小)
        琴芝 電話33-3156
テキスト:富山和子著『水と緑と土』(中公新書)序章、1章、
進行方法:10人以内の小グループの読書会です。
     テキストの報告を柱に語り合います。
     参加者の意見・感想を中心にすすめます。
  小レポート:野瀬先生と宇部方式の原点(うべ環境倶楽部:西村)
        水と循環型社会(あったか村・安藤)

どなたでも参加できます。
宇部市近郷で、環境について関心があり、
相談しあえる仲間を求めている方、
若い人で基礎的な勉強をしてみたい方、
自分の考えを仲間と語り合いたいと思っている人、
定年後、世の中の役にたつことをやってみたいと思っている方、
ご自分の蓄積をいかしたいと思っている方、
是非、ご参加下さい。
お待ちしています。

参加申込み・問合せ先:うべ環境倶楽部事務局 西村 0836ー31ー2026
E-mail 読書会進行係 安藤 soilandあmb.neweb.ne.jp
         あ を @ に変換して送って下さい。


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2008年12月16日

駑馬

    駑馬だった
    働いた

    働いた
    駑馬だった
     
       堀口大学 自像

 三好達治随筆集をぱらぱらと読んでいたら、紹介されていました。
 「言の短く意の長いのは詩の取柄」と述べ、「短詩の見本」と書かれています。『三好達治随筆集』(岩波文庫) 214ページ
 駑馬(どば)とは、足ののろい馬のこと。駿馬(しゅんめ)の反対。

 さて、そこでパロディをつくってみましょう。

    山羊だった
    草を食べて暮らした

    草を食べて暮らした
    山羊だった

 ・・・他につくった人は、コメントでも、ご自分のブログでも
発表してください。もちろん遊びのひとつですよ。 


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2008年12月12日

証言

茂山千之丞著『狂言役者―ひねくれ半代記』(1987年12月刊、岩波新書)
狂言についてとてもおもしろい本。
前半生の記述で、以下のような率直な証言があったのでメモしておく。

「昭和19年7月、満州(中国の東北地方)の首都、新京(現長春)にあった陸軍の経理学校に入学することができました。・・・略・・・ともかく学科のみでも即席で詰め込めるだけ詰め込めというわけです。
 給料の計算、食料・資材の調達や管理、食事の調理法まで勉強しました。それに変な話ですが、慰安所の管理、これも経理の担当で、性病についての知識とか予防方法とかも教えられました。戦闘が終って軍隊が駐留すると、なによりもまっ先に設営しなければならないのが慰安所です。死線の下を何日も潜ってきた兵隊たちが、手当たりしだいに現地の女性を襲う危険性があるからです。慰安所にには徴用されて無理やり引っ張ってこられた朝鮮の人が多かったようです。」
   記の2 戦争ほどうつけたものはござらぬ 27p

ここからはっきりわかることは、
1、経理部門の仕事として、従軍慰安婦の管理はあった。経理学校で教えていた。
2、戦闘が終って駐留すると一番先に設営された。朝鮮の女性が徴用されていた。
3、民間部門の任意な、営業的な設置でなく、軍による組織的な取組みであったこと。

著者は、1923年生まれ。




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posted by 村のトイレ屋 at 22:23| 山口 | Comment(0) | 本の感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月15日

イアン・ブルマ『戦争の記憶』

メモ。
イアン・ブルマ『戦争の記憶』(日本人とドイツ人)
TBSブリタニカ。1994年。
大学の講義ですすめられた本。
とても良い本だ。

135ページ、広島県竹原市 大久野島毒ガス施設の補強資料。
http://www7.ocn.ne.jp/~dgjrkma/
http://homepage3.nifty.com/dokugasu/
上記サイトに詳しく載っている。
posted by 村のトイレ屋 at 07:32| 山口 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 本の感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月17日

本>『ラダック懐かしい未来』

『ラダック 懐かしい未来』
ヘレナ・ノーバーグ・ホッジ
山と渓谷社 2003年7月刊

私にとって、今年出会ったもっとも大事な本になる本だ。とてもすばらしい。
ひとつには、シューマッハーの適正技術論(中間技術論)の延長にある本だ。その具体的現場的な応用と展開として読める。
それは、著者自身が、語っている。また、シューマッハー・カレッジの紹介もしている。  P209

でも、それ以上に、ラダックのもつすばらしさ、それを知った著者の営みが前提にある。
ここがとても重要だと思った。
観光目的の旅行者がつかんだ「ラダックのすばらしさ」ではない、人の生き方としての、
共同体のあり方としての、人と自然とのあり方としての、奥深いすばらしさだ。近代的な
「モノカルチャー」に強く反省を迫るものだ。「先進国」の政府や企業や市民に存在その
ものの変革を迫るものだ。支援や国際交流のあり方のあり方を根本から問うものだ。

3部で構成されている。
第一部 伝統
第二部 変化
第三部 ラダックに学ぶ

著者の論点は、第三部に凝縮されている。
実践的なラダック・プロジェクトに集約されている。
支援とか交流とかは、現場での行動をとうして、共に学び、共につくりあげていくことだ
ということがよくわかる。
だが、その前に、第一部が、とても大事だ。理解のためには、ここにたっぷりと時間をか
ける必要があると思う。二部三部の視点から、第一部をじっくり読むこと。

38ページにかかれているエピソードは、日本の昔の農村の話かと思った。

ラダック着いて間もないころだが、私は川で洗濯をしようとしていた。汚れた服を川の水
につけようとしたとき、上流の村からやってきた七歳に満たないくらいの小さな女の子が、
「汚れものを川の水にいれちゃだめ」と恥ずかしそうに言った。「下の方の人たちがその
水を飲まなくちゃいけないから」

「あるものを完全に使い切り、あらゆる用途ににも使い尽くし、捨てようと私たちが思う
ものでも、ラダックの人たちはそこからさらなる用途を見つけ出す。簡単に捨てられるも
のは何もない。もう食べることができなくなったものでも、家畜にやることができる。燃
料として使えないものでも、土を肥やす肥料とすることができる。」

関心のある屎尿処理では、 p39
「牛舎の土は、掘り出して肥料として使われるので、家畜の尿がリサイクルされている。
畜糞は、畜舎や家畜囲いからだけでなく、放牧地からも集められる。人糞でさえ無駄にし
ない。どの家でも、地上階に堆肥用の小部屋がありひとつ上の階の床に設けられた穴から
垂直に落とし込むような便所をしつらえている。これに台所から出るかまどの灰と土を混
ぜることで、分解を助け、よりよい肥料とする。臭い消しにもなっている。年に一度、堆
肥用の部屋は空にされ、中身は畑に入れられる。」
という方式が工夫されている。

沖縄の豚便所のような構造だろうか。(豚は、下にいないが)
豚便所と同じように、「衛生的でない」と今は、一掃されつつあるのだろうか。
それとも、何らかの工夫がさらに施され、生き残っているのだろうか。
第二部では、浄化槽のことが少し触れられているが、詳細はこの本だけではわからない。
気候風土で「肥溜めと畑」とはちがう工夫がされている。

他に、子供のところがとても興味深かった。
無条件に「甘やかす」育て方をする。共同体みんなが子供を育てるという指摘。
このあたりを含めて、読み直してみたい。(7月17日)
posted by 村のトイレ屋 at 12:29| 山口 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 本の感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月05日

トイレでアピール

トイレで村おこし>メキシコ

大学で女性学(三宅義子教授)の講義をとったので
上野千鶴子さんの本をずいぶん読んだ。読んでいる。
新しい視野が開け、とてもすばらしい本が多い。

その上野千鶴子さんの本、
『国境お構いなし』朝日新聞社 2003年7月刊に
おもしろい話が載っていた。

メキシコの章だ。

  「村の女性組合」 の見出し p123
  
次のような一節がある。
=========== 引用===============
 先住民女性組織は次々に新しいプロジェクトを産み出した。そのひとつに家庭内暴力の問題がある。夫の妻に対する暴力はメキシコのマチスモの一部となっていて、妻を殴るのは「愛情のしるし」という男までいるくらいだ。この家庭内暴力は階層を問わない。外聞を恐れてじっとガマン、の上流階級の妻の話が、メイドなどを通じてひそひそとささやかれる。この家庭内暴力のプロジェクトも、コミュニティの男たちには気にさわることのひとつのようだ。
 もうひとつ、彼女たちの最新のプロジェクトは村に来る観光客のために、環境保全を意識した宿泊施設をつくることだ。用地はすでに準備してあって、設計のマスタープランがかたまりつつある。レストランは組合でつくった安全な作物を使う。排水はすべて浄化して再利用する。ゴミは、リサイクルやエネルギーに転換する。そのための目に見えないインフラが建築には組み込まれている。
========== 引用終り=========

 以上のプランに上野さんは、日本でいう体験型のメニュー(織物、焼き物、薬草などの工房)を提案する。それも滞在型である。)
 私は、この話の中で、トイレのことが気になった。
 排水浄化と再利用。どんなシステムだろう。
 以前から、メキシコはトイレと処理システムが良いものがなくて苦労している、という話を耳に挟んでいた。なにか確立したのだろうか。
 水の少ないところだから、再利用がポイントになる。
キューバなど中南米諸国と同じように、糞尿再利用には、反発があるのだろうか。
それにしても、住宅、野菜、ゴミと並んでトイレを「ウリ」として自慢するというのは、なんとも気持ちのいいはなしではないか。すばらしいことだ。あるようでなかなかありませんよ。
 
  あったか村は、実は、次第に、あったか村のトイレを自慢するというか、環境保全のあり方をアピールするつもりだ。だから、この部分が印象に残ったのだと思う。

 なおこの本は、この部分を含めて、メキシコがとてもおもしろかった。 それにしても、「国境お構いなし」ってずいぶんいいタイトルだ。これだけでも読みたくなる。また、読んで楽しくなる。引用以外のところもおすすめです。


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posted by 村のトイレ屋 at 00:19| 山口 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 本の感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月12日

柴田昭夫著「水戦争」、日本のイメージが変わる

柴田昭夫著「水戦争」角川新書019 760円 2007年12月刊


日本という国に、基本イメージとして、どんなものをもっていますか?
と質問されて、その問いの一つが、水資源だとしたら
私は、「水の豊富な国」と答えそうな気がする。

水不足であえいでいる国に比べれば、日本では、夏に、香川県や福岡県、それに東京都で水不足が叫ばれるけれど、まあいずれ何とかなるのではないのと受けとめられているような気がする。

この本は、そんな表面的な常識をひっくり返してしまう本だ。
実は、根本的なところでは、日本は水資源のとても少ない国なのだ。
その論証は、本文を読んでもらうしかないが、
そして、細かな数字を丁寧に確認していくしかないが、
以下の数行を読んだだけでも、その骨格はつかめると思う。
私は、この部分で目からうろこが落ちて、日本という国の脆さというか
うすうす不安に感じていたことを、くっきりとつかむことができた。

私の思いこみや今までの蓄積からそう感じただけで、他の人はなんとも
思わないかもしれないという危惧がほんの少しだけあるけれど、ともかく
引用しておく。

================
「日本以外に大量の食糧を海外に依存しているのは、中近東や地中海沿岸の乾草地帯の産油国だ。これらの国々は、いわば石油を売って水を輸入しているようなものだ、ということから「バーチャルウォーター貿易」という表現が生まれたわけだが、実は日本も砂漠にある国々と同じようにバーチャルウォーター貿易で世界中の水資源を消費しながら、自国の食糧をかろうじて確保しているのが実状なのである。」
178ページから

=================

食糧を生産するためには、必ずどこでも水を必要とする。
食糧の輸出入とは、実は、水の交易であった。
日本の場合、膨大な食糧を工業で得たお金で買い込んでいるため
国内の水資源をそれほど使わなくてもすますことができている。
「食糧輸入を介しての世界の水に依存しているのが我が国なのである」(本書同じく178ページ)

食糧危機は、水危機に通じている、すぐに連動する問題ということだ。
自給度を上げるということは、水の問題を見直すということだ。
この本の著者は、農業と工業の水資源の争奪が、始まるだろうと予測している。正しいと思う。
水処理の立場から、言えば、そんな事態のなかでは、
生活に使う水量、日/人200リットル〜250リットルという浪費型は、一番先に検討対象になるだろう。タイ・中国では、50リットル/日・人だ。
また、下水道にしても合併浄化槽にしても、処理水を河川・湖沼・海洋へ放流しつづけることは、早急にあらためなければならないだろう。部分的な再利用でお茶を濁せる問題でなくなるだろう。今までは、食糧をとうして、窒素・リンなどの栄養物を世界中からかき集め、有機物を日本列島の沿岸部に撒き散らしてきたことが水質問題として、多くの人に指摘されてきたが、今後はさらに水量においても、検討せざるをえないことになる。

食糧自給率の問題と水環境問題が、激しくドッキングしてくる。
そして、日本は今はじまったばかりか、今後激化してくることだけど、実は世界の各地域・各国ではすでに構造的な問題として、食糧と水と水・衛生環境問題は、一体の課題となっているのだ。

今私たちが、タイ・農山村で行なっている実証実験、地球環境基金の助成によるパヤオ式トイレと水の土壌還元、自然循環の方式は、そんな課題に答えようとするものなっている。
この本は、そんな意味で私たちのやっていることをはっきりさせてくれる内容をもっている。(必読書)

この本に書かれているようなことを、もっと勉強したいと思うけれど
なかなか適当な場がない。それも、研究的な研究というより現場実践と結びつけたい。
近いうちに、アジア水環境研究会といったものをつくりたいと思っています。興味のある方は、コメントに書き込むか、連絡を下さい。
(毎週火曜日、私たちは、やまぐち県民活動支援センター会議室に集まっています)



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2008年03月10日

中谷健太郎著「由布院に吹く風」

頭と心をやわらくもみほぐして、リラックスして
「さあ、自分の課題に取り組もうか」と思えてくる本。

中谷健太郎著「由布院に吹く風」
 岩波書店 1800円 2600年2月刊

まえがきに代えて に次のように書いてある。
=======
町のありよう
 (1)小さいから身近に暖かい関係が生まれる
 (2)小さいから個性的な価値を生み出せる
 (3)小さいから、大きな資本を必要としない
======

由布市への合併という流れに反対して書かれた文章の中にありました。
次のようにも書かれています。

========
私がこの町で希望を失うことなく
40年間、なんとか生きてこられたのは、
「小さい町こそが美しい」という信念に支えられていたからです。
==========


合併反対の運動、自衛隊基地、戦争反対平和活動への取組み
この世代の人(1934年生まれ)には信念に具体的なことが裏打ちされて
いて、とても学ぶことが多い。
しなやかな工夫や智恵がいっぱい詰まっている本だ。

おもしろくて、腹がよじれ、腰を抜かすほど笑ったのは
V 春風問答 聞き手・伊藤洋典さんとの対談だ。114頁。
「流れ、流れて」のところで、祖父にあたる人のエピソードが
書かれている。
昔は、確かにこんなはちゃめちゃな、波乱万丈の人がいたんですねえ
と笑い転げつつ、なんだこの愉快さはと思った。
私は、こういう人物がとても好きです。
紹介は長くなるので直接読んで下さい。 

ゆふいん という表記は、
由布院村 というのがまずあって 由布岳 はここに由来
湯平村 と合併するにあたって、湯布院町となり
今度、挾間町、湯平町と合併するにあたって
由布市 となった。
この本の終わりのほうに
湯平村 湯平温泉について、湯布院町となって
全国的に有名になって由布院温泉の陰に隠れていたことに
触れた箇所がある。地域の独自性は、小さくても独立して
発揮していくことの中にあることを指摘している。
湯平は、市となることで、かえって由布院から離れて
自由にのびのびその個性を発揮できるようになったのではないか、
という意見だ。
石畳の狭い道を上る湯治場で長門市の俵山と並んで好きなところだ。
おもしろいと思った。




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2008年03月04日

有吉佐和子著「複合汚染」その2

昨夜は、うべ環境倶楽部の月例会(第1月曜日)でした。
 午後7時から9時頃まで、9名参加。
(宇部市民活動センター、青空)

●3月15日に山陽小野田市で開かれる市民環境フォーラムに積極的に取り組むこと。バイオマスタウン構想について、話しあった。
参考:宇部日報から
3月15日、山陽小野田市文化会館で市民環境フォーラム
http://www.ubenippo.co.jp/one.php?no=4769
山陽小野田市にバイオマスタウン化要望
http://www.ubenippo.co.jp/one.php?no=4682

●4月アースディの取組み。
●大きなイベントとして講演会を行いたいが、講師を誰にするか。
●宇部市小野地区に開かれた「アクトビレッジ」について報告と感想。
●FMきららなど地元メディアをどう活用するかなどの話し合い。
おもしろい実践的な結論がでた(乞う、ご期待)

定年退職された技術系の人が、参加されて話がとても具体的になってきた。
さすが、すごい蓄積ですね。質問されても細かな回答が、ぱっと出る。
もっと、いかさない手はないと痛切に思った。

さて、有吉佐和子著「複合汚染」の読書会、
前回のことは、ここに書いてあります。そのつづきです。↓
http://atta-an.seesaa.net/article/82486720.html

複合汚染という考え方、手に負えないくらいの相乗作用が広がる。
その現場のレポートとして、この本を読むことができる。
●小説としての体裁は崩れていくが、でも人をひき込んでいく「ストーリーテラー」としての手腕、若い日の菅直人さんも登場などの指摘。
●素人という立場の徹底、非専門家の特権をいかした質問攻め
 宇井純さんが、相当レクチャーしているようだ、との感想
●「米びつに残っていた米が、ゴクゾウムシにやられていなかった、
農薬の残留の話には、思い当たることがあった」という感想
●塩素消毒の多用は、苛性ソーダをつくる出すときに出る塩素の消費のために不可欠。この構造は今でも変わっていない。
●ベトナム戦争で使われた農薬、米軍、米国を訴えた裁判。
●軽い消臭剤をつかって、農薬の散布しているところを車で走ったら
急に心臓がどきどきして気分が悪くなった。
・・・どれもこれも、この本が、過去30年40年前の問題でなくて
いまもかわらず、続いているし、ひどくなっていることもあるという
感想だった。

私は、それぞれの分野で当時問題にされたことがいまどうなっているのか
検証してみること必要性を感じているが、「構造的な問題でいかんともしがたい」という意見は、予想された意見であっても、やはり相当ショックを受けた。

次は、著者がその当時みつけた希望、問題解決に向かっての動きがどうなっているか、とくに農薬、化学肥料と有機農業、自然農法の流れがどうなっていくか、をみていくことにしたい。赤峰勝人さんは、この本が出た頃読んで、農法を切り換えたと講演で語っていた。

なお、「複合汚染」その後の追跡は、有機リン化合物の追跡に絞った本がある。化学傷害(化学物質過敏症)のみなさんの必読書だ。
長谷川煕(ひろし)著「新幹線に乗れないーー農薬被爆列島」築地書館2006年4月刊 がある。みなさんに実物を回覧して紹介しておいた。

次回は、4月7日、第1月曜日。
うべ環境倶楽部は、環境問題に関心がある人なら
誰でも参加できます。よかったら、「複合汚染」を一緒に
読みませんか。お待ちしています。


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2008年02月06日

岡村青著「地域再生は矢祭町に学べ!」

合併拒否で名高い福島県矢祭町のルポだ。

岡村青著「地域再生は矢祭町に学べ!」(彩流社、2007年3月)
サブタイトルに
「過疎の町にあった活性化のノウハウ」とある。
一読、とても地味な、地道の感じがした。
国の市町村合併方針を拒否する理由が、
昭和の合併の際の「血の雨が降った教訓」というのが、他の理由に比べて
とても強く、土着的な理由であったからかもしれない。
知名度の高さから、なにか高邁な理念的なものを第一義に想定して、期待していたからかもしれない。
この本を読むと、前回の合併は本当に大変だったことがわかる。
地域と地域が、利害とプライドをかけて引き裂かれる。
親戚や友人知人の人間関係も、壊される。
これを「田舎の遅れた風土性」と都会の人間は言い切ってしまうかもしれない。だけど決してそうではないのだ。地域の歴史や固有の伝統があるのだ。

市町村の広域合併は、それをあたかもローラーで踏みしだくように平均化してつぶしてしまう。

他に、町長専用車のこと、根本前町長の自宅は、役場に2分のところにあること、役場に国の役人が来たときのこと、職員が交代でトイレ掃除をするという話などエピソードがとてもおもしろい。また、工場団地に民間大手の企業を誘致する努力なども「こんなこともやっているのか」と思って意外な感じがした。

そんな地味な感じの中で合併拒否宣言は、やはり、味わい深い。
それぞれの項目が、凛とした感じを与える。

私が好きなのは、第2項目だ。
「2.矢祭町は規模の拡大は望まず、大領土主義は決して町民の幸福にはつながらず、現状をもって維持し、木目細やかな行政を推進する。」

規模の拡大になんの幻想をもっていない。
「大領土主義」という表現の的確さ。
国レベルだったら大国主義というところだろうが、土地が広く人口が
多くても、町民の幸福につながらないことをはっきり言っている。
なぜか、井上ひさしの「吉里吉里人」を思い出した。どこかにしまってあるはずだから、引っ張り出して読みたくなった。
「まさか戦車をもって国はやって来ることはあり得ないだろう」と語って
いたのは、たしか根本町長だったような気がする。

最近は、町議会が議員報酬の日当制を決めた。
その宣言が、町のホームページに掲載されている。意気軒昂だ。
図書館をつくるときに予算がなくて、全国に寄贈をお願いしたら
45万冊集まったという。このような自立する町を心ある人は、なんとか
支えたいと思っているのだろうと感じた。



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posted by 村のトイレ屋 at 23:56| 山口 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 本の感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月05日

有吉佐和子著「複合汚染」その1

昨日夜は、うべ環境倶楽部の月例会だった。
(宇部市民活動センター)
打合わせや相談のあと、本を読んでいこうということになって、
まずは、有吉佐和子著「複合汚染」からはじめることになった。

昨日は、新入会の人が4人もいて、自己紹介といくつかの
新しい提案の相談をしていたら時間が足りなくて、本はホンの
少し触れただけで本式には次回に持ち越しとなった。
新しい人は、若い女性1名、定年退職で環境分野に活動の場を
求めている方、3名。ユニークな個性のみなさんだ。
お一人分の自己紹介とその質問だけで2時間はかかりそうだった。
なお、私は、うべ環境倶楽部が、あったか村を訪問したのを機会に
参加させてもらっている。

さて、本の感想。
本のタイトルになっている複合汚染という言葉の説明から入るのが
いいかもしれない。それでメモしておく。
新潮文庫、131ページ〜

============
 複合汚染というのは学術用語である。2種類以上の毒性物質によって汚染されることをいい、2種類以上の物質の相加作用および相乗作用が起ることを前提として使われる。
 わかりやすく言えば、排気ガスで汚染された空気を呼吸し、農薬で汚染された御飯と、多分農薬を使っているが、どんな農薬を使っているのかまるで分からない輸入の小麦と輸入の大豆で作った味噌に、防腐剤を入れ、調味料を入れて味噌汁を作り、着色料の入った佃煮を食べ、米とは別種の農薬がふりかけられて野菜、殺虫剤と着色料の入った日本茶。というぐあいに、私たちが、日常鼻と口から躯のなかに入れる化学物質の数は、食品添加物だけでも1日に80種類といわれている。(農薬と大気汚染を勘定すると、何百種類になる)
 この80種類の一つ一つについては、きわめて微量であるし、厚生省も農林省も責任をもって安全を保障している毒性物質であるから、何も心配することはない、ということになっている。

 ・・・中略・・・

「いったい3種類以上の複合汚染については、どこに資料があるのでしょう」
「世界中どこの国にも、まだないんです」
「日本の場合、そのくらい時間がかかるんですか」
「日本中の科学者が総力を結集してですね、まあ50年はかかるでしょう」
=================

50年はかかるといわれた相乗作用の研究。
もう30年はたっているけれど、その後どうなっているのだろうか。
コンピューターの能力があがって計算処理は進んだだろうが、
化学物質の数もとんでもなく増えていることは間違いない。
最新の知見を知りたいところだ。

著者ならずとも、この問題を考えるとなんだか頭がクラクラする。
しかも、私たちは、その後、毒性による傷害、化学傷害ということを
知り、化学物質過敏症という言葉は、いまや市民権を得て、CSと呼ばれ、
さらに多くの複合的な化学物質に対する反応からMCSと呼ばれるように
なってしまっていることを知っている。
科学の進歩は、右肩上がりに「夢のゴールに向かって進歩している」
と信じられていたが、とうていそんな呑気なことは言っておれない状況に
なってきている。

この本は、当時のそんな絶望的ともいえるところから、解決の糸口をみつける著者の貪欲な探求のレポートとなっている。そこで見いだされた事柄は
いま、どのようになっているのか。
それを考えることも、この本を読む楽しみにちがいない。
ボチボチと月1回のペースだけれど、読んでいきたい。


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2008年01月28日

旧黒川村、基本的な姿勢

吉岡忍著「奇跡を起した村のはなし」、つづき

旧黒川村、伊藤村長の言葉(メモ)

規模の問題をどう考えるか、と質問されて

「私は、黒川村に一人も観光客がこない、ということを
考える。いるのは7千人足らずの村民だけです。この人
たちがどれだけ牛乳やヨーグルトやビールを飲み、牛肉
や豚肉を食べているか。そばやハムやソーセージの消費
量はどのくらいか。その数字が、ひとつの目安として頭
にありますよ。村の外から入ってきて、村民に消費され
ている商品を、村で生産したものに置き換えていけばい
いのです。こちらが本物でおいしい製品だったら、絶対
にこちらを買ってくれる。それが評判になれば、必ず観
光客はきてくれる。外の人が買ってくれた分は、村の利
益になるじゃありませんか」

   120〜121ページから。

とても大事なことを語っているように感じたので
とりあえずメモだけしておきます。


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2008年01月22日

吉岡忍著「奇跡を起した村のはなし」(ちくまプリマー新書)

新潟県黒川村。合併して現在は、胎内市。村長は、伊藤孝二郎。
1955年から2003年まで、12期48年連続して村長をつとめている。
亡くなる5ヶ月前まで在職していたという。
一瞬、フィクションではないかと思ったが、ちゃんと実在する村であり
村長だった。
この本は、約半世紀の村長の事績と村の歴史を追っている。
最初に作ったスキー場からはじまって、ほとんどが村営である。
国の補助金を引き出し、豪雪と水害、過疎の村をさまざまな政策とアイデア
で、歯止めをかけ村おこしに結びつけていった記録である。
観光と農業にかかわるメニューのほとんどは、ここに出尽くしているといっても言いすぎではないと思う。

特長的なことは、その実施にあたっての人の育成である。
外から呼んできて雇ったり、なにか速成効果を狙う策をとっていなくて、
役場職員を海外研修(主にドイツなどヨーロッパ)に送りだす。
研修視察などという生易しいものではない。
1年2年と実地に農場やホテルやハム工場などにつとめさせ
経営ノウハウと技術をマスターさせるのである。
村に帰ったら、今度は部局の責任者となって、農場なり、ホテルなり、工場を、最初から立ち上げて行くのである。
たとえば、山羊のチーズ工場をつくりたいというので、
職員をスイスの山羊牧場・チーズ工房へ1年派遣して、
帰ってその工房の責任者にしている。
(私は、この部分が目に入って図書館で借りてきて全体を読んだ)

ノウハウ自体を学ぶことも当然だけれども、海外の言葉もわからぬところへ
突然放り出されて、溶け込み、なんとかして学び、ものにしていくというプロセスで人間的な成長をも加味しているものと思われる。
根性論というより、海外生活をすることで、視野の広さを自ずから身につけること、それが村の公務員として、事業をになう基礎の力になっていくことを期待したのではないか、と思われる。

時代は変わって、
今、半世紀もの長い間、村長を続けることも
また、数多くのメニューの財源を国に求めることも
およそ不可能な時代になっているけれど、
黒川村に蓄積されたノウハウと人材育成の考え方は、
民間主導で村おこし・町づくりをすすめるにあたって
何らかの示唆を与えていると思う。
「あれは古きよき時代だから出来たこと」といって
葬ってしまうには、あまりにも豊富な蓄積をなしているからである。


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2007年11月01日

米原万里著「パンツの面目ふんどしの沽券」、

読み終ったのでメモ程度だが、感想を書いておくことにする。

1、「褌(ふんどし)に、ナショナリズムのシンボル、拠り所を求めることは、根拠がまったくなくて、褌は世界のかなりの地域にもあったということ。このあたりの記述は、大変おもしろかった。

2、第2次大戦後のソビエト抑留時代の日本人の記録から、当時、ソビエトでは、トイレで尻を拭くのに紙がなかったことが書かれている。かなり多くの資料が引用されている。そして、「紙を使わないことが当たり前の地域」があることが、コメントされている。このあたりは、水処理通信に紹介したい内容だと思った。

3、「目からうろこ」という驚き、腰を抜かしたのは、
14章 「イチジクの葉っぱはなぜ落ちなかったのか」である。
推理小説のような興奮を覚えた。絵だけ見ていては駄目なんだ、テキストに直接あたることが大事なんだと思った。これ以上書けば、読む楽しみがなくなってしまうだろう。

4、女性の生理用品をめぐって。井上ひさしのおかあさんて、なんという人だと思った。またチェコにあった優れものが、旧ソビエトにはなぜなかったのか、不思議に思った。
5、人間て、実にいろいろなことで苦労し、あうでもないこうでもないと工夫する生き物なんだなあと思った。

あることがらを一点に絞って深めて行くやり方。
それと、この本のように、あるひとつのことがらを
古今東西、あらゆるジャンルに縦横無尽に串刺しして
調べ、考察し、論じる。おもしろいと思った。



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2007年10月05日

有吉佐和子著「複合汚染」再読、遊休農地

本がでた直後に一度、読んだ。
15年前に水処理の仕事で
塩素関連のことを読みたくて読み返しました。
今度、無農薬循環農の赤峰勝人さんの講演を萩市で聞いて、その中でも出てきたので読み直しています。

赤峰さんは、農薬信奉の「真面目な農業青年」だったそうです。小学校6年のときに父親の怪我で農業をやることを決意して、農業高校に進み卒業して、教科書通り、農協の指導通りにやっていて、2年3年は、とても作物ができた。ただ、そのあと作柄はおかしい、土壌は変、体も変調。そんなときにこの本に出会ったそうです。読んでいて、「ははあ、このあたりのことだなあ」という箇所があります。

当時の篤農家が、読んでどれほどショックを受けたか、想像にあまりあります。
赤峰さんの場合は、農薬農業の、実際は、毒薬農業ですが、弊害を自覚していて、反省していて、そこから独自の道を歩いてこられた。しかし、多くの農家は自覚していないか、自覚していても変更出来ないか、あるいは、深く悩んでいたか・・・いずれにせよ、すでに30年がたっています。
一人の農家の問題というより、著者が何度となく触れているように、農林省の指導の結果です。国民を人体実験にサラシていた農林省。
農水大臣の椅子をめぐって「政治とカネ」が云々されていますが、根の深い問題は、「食と農」の問題でしょう。この本の指摘が古くなっていないばかりか反対に巧妙になっていることの方が心配です。

私は、今度読み返していてポンと膝を叩く大発見をしました。この本がでてからも離農はあいつぎ日本の農山村は過疎化が進み、荒れる山、荒廃する田畑が増えているわけですが、ちょっと谷間にいると廃屋に遊休農地の光景、泣けてきます。でも、考えてみればそれも悪いことばかりではないなあと思いました。

そうです、農薬や化学肥料の散布がそこではストップしているのです。むしろ農業先進地とかいわれ、いまだに農薬が使い続けられていることに比べれば、はるかにすばらしいことです。
復元の時間が、自然農で使える圃場として、はるかに短縮できるでしょう。
私たちが仲間と行なっている里山再生の場は、40年前、50年前に耕作が放棄され、その時間の自然の営みを恩恵としていただけます。

赤峰さんが、この本に出会って命の循環する農業の道を開いた。その話を聞いて読み返し、今素人百姓志願の私は、あらためて大きなヒントをもらった。おもしろい本との出会いを感じますね。

この本が書かれた当時と
今現在と
それぞれの項目で進歩退歩、正負両面、
対照できるものがあれば、いいでしょうね。



同感できるところが少しでもあれば、
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posted by 村のトイレ屋 at 06:47| 山口 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 本の感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする