2013年03月29日

棄権は現政権に白紙委任状を渡すもの

友人の阿東文庫の吉見正孝さんと阿武町長選挙で白松ひろゆきさんを応援しています。
そこで、若者の投票率が低下していること、選挙に関わる若者が少なくなっていることが話題になりました。

そのとき、吉見さんの言っていることがすばらしいと思ったのでメモしておきます。

「選挙に全く関わらないという事は、現政権に対して白紙委任状を渡すことと同じではないでしょうか?白紙委任状を渡して、後から文句を言っても政治的にはなんの力にもなりません。私は市民の当然の権利として関われる選挙には全て関わって行きます。」

まったくその通りだと思いました。
3・11福島原発の事故以前は、私も選挙や投票には無関心でした。
そんなに熱心に選挙に関わったことはありませんでした。
そんな私たちの「白紙委任状」が、原発推進政策を容認し、54基もの原発を地震列島日本につくらせることになったのです。

事故が起こってから文句をいっても遅かったのです。
そんな反省に私はたっています。
だからこそ、同じ過ちを繰り返してはならないと肝に命じています。

脱原発市民運動は、選挙をマスターして、勝つ必要があります。
投票に行こう!選挙に関わろう!脱原発候補を推して上関原発を止めよう!
白紙委任はやめよう。
posted by 村のトイレ屋 at 23:08| 山口 | Comment(0) | おしゃべり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

絶望の中から希望を拾って歩くのだ

メモだけ。
聞いた話です。
笑門来福・公門満腹(注)というけれど笑うほどおもしろい話ではありません。

「若者は、人生の冷たさを知り、老人は、墓石の冷たさを知る」
    ビクトル・ユゴー  『レミゼラブル』5巻

という話をしていたら、ある人が、
「その通り!」
「もともと人生とは冷たいものなんだ」と言って以下のように語ったそうです。

「希望とは、石のようにそこらに転がっているものではない。
石をひっくり返して確認しても、希望と絶望の姿はわかるものではない。
単純なことなんだ。全部が絶望の冷たい石なんだ。
それを、ひっくり返して温めて、希望の石に変えるしかないものなんだ。
それが、生きるってことなんだよ」

「わしは、それが面倒くさい人間だから、こうして旅をしながらたまにある希望の石を拾い集めているんだよ、めったに見つからないがね」


「脱原発の運動のことはどう考えますか?」

「そんなことは、わしやあ知らぬ」

と言って去ってそうです。

ほとんど、どうでもいいことだけど、別にその旅人を追いかけていくほどの事ではないけれど、メモだけしておきます。

(注) 公門満腹は、私の造語で辞書には載っていません。念のため。











posted by 村のトイレ屋 at 14:33| 山口 ☁| Comment(0) | おしゃべり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月21日

言葉への信頼。言葉で変えられる。アーサー・ビナードさんのことで補足メモ。

いのち・未来うべの仲間が中心になって行なっている金曜ウォークと研究会。
毎週金曜日、午後6時宇部市役所前〜宇部新川駅方向へ歩きながらアピール。
(雨の日は、反対の方向、新天町商店街のアーケードの中を往復)
午後7時から8時ころまで、発表と意見交換会。

先週は、「アーサー・ビナードさんの視点」と題して、会員が報告しました。
資料に、戦後の核と原爆、原発の歴史の年表が提出され、途中でアーサー・ビナードさんの広島・中電前のアピールの動画を見ました。

今週も、別の会員が、アーサー・ビナードさんのつながりで、詩集を紹介して話し合うことになっています。それは、YOUTUBE の次の箇所にあるものです。

若松丈太郎 神隠しされた街
http://www.youtube.com/watch?v=Zcr13_1Uk70

他に、彼の出ているいくつかの動画をみていて、「詩人というのは言葉に確かに敏感だが、それだkでなく、言葉の力を信頼しているようだ」と感じました。

それで、「言葉への信頼」というキーワードで、検索をかけてみました。
彼や他の詩人たち、文学者たちの言葉が出てくるのではないかと期待したのです。
あるいは、アーサー・ビナード氏の詩を論じたものがヒットして、参考になることがあるのではないかと、自分の思考の努力を省略して探してみようと思ったのでした。

思わぬものが出てきました。

文部科学省のホームページ
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/bunka/toushin/04020301/007.htm

第1 国語力を身に付けるための国語教育の在り方
1 国語教育についての基本的な認識

<国語教育は社会全体の課題>
国語教育に関し,特に重要な役割を担うのは学校教育であるが,その中でも小学校段階における国語教育は極めて重要である。しかし,言葉にかかわる国語教育の問題は学校教育だけに限定できるものではない。家庭や地域社会における言語環境が,子供たちの国語力に大きな影響を及ぼしていることに配慮し,学校教育,家庭教育,社会教育などを通じて,国語教育を社会全体の課題としてとらえていく必要がある。

<言葉への信頼を育てることが大切>
国語教育の在り方を考える場合の根本的な問題として,日本人の多くが言葉の力を信じていないという指摘がある。言葉によって物事が変わり,また,変えていくことができるという言葉への信頼を学校教育の中だけでなく,社会全体で教えていくことが大切である。このような言葉に対する信頼がないと,国語教育そのものが成立しにくくなるだけでなく,日本の社会そのものが危うくなるおそれもある。

言葉への信頼については,コミュニケーションを通して形成されていく面もあり,家庭や学校などで十分なコミュニケーションが行われることが望ましい。特に,学校教育においては,人間関係形成の能力としての「話す」「聞く」「話し合う」の力を確実に育成することが求められる。





下線強調は、私が行いました。
素晴らしい文章だと思いました。
私の祖父は、私が幼い頃、「お上の言うことは信じてはいけない。ひどい目にあうからな」と言って学校教育を無視するように教えてくれました。後年、成長してからも、国労組合員だった義父は「政府のいうことを無条件に信用するほど危ないものはない」と諭してくれました。
私の中に優等生的要素が少ないのはそれらのせいだと自覚する時がありますが、この文部科学省の国語教育についての指摘は、すばらしいと思います。

付け加えるとすれば、3・11以後の政府の事故に対する対応が、「日本の社会そのものが危うくなる」という指弾が的中しているのではないか、ここは多くを論じるところではないか、ということですが、それはさておいても、率直にすばらしい認識であると認めておきたい。

みなさんは、どうですか?

明日、詩や動画を一緒に見ながら意見を出しあってみませんか。



補足 ウォーク・研究会とも、事前の申込不要です。
午後6時 宇部市役所前 
午後7時 緑橋教会へ直接おいでください。






posted by 村のトイレ屋 at 12:07| 山口 ☀| Comment(0) | おしゃべり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月04日

ここしばらくは、山口市内にいます。

私のブログの読者のみなさんへ!

ここしばらくは、山口市内にいますので近くに寄ったときやご近所の方は、お立ち寄りください。
連絡してください。

山口駅前のセブンイレブンと山口コープの間あたりです。
山口県山口市道場門前2丁目6-15
進藤塾という看板があります。

携帯電話(安藤)
080-6331-0960
posted by 村のトイレ屋 at 09:53| 山口 ☀| Comment(0) | おしゃべり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月15日

同窓会 友の名呼ばれ 黙祷す

中学校の同窓会があった。
緑寿記念と名前がつけられている。
緑寿の意味は、よくわからなかったが、
懐かしい旧友に会えるのはうれしいことなので参加した。

はじまってすぐに、前回からの物故者の名前が読み上げられた。
今日、会いたいと思っていたN君の名前がある。
会場を見渡して来ているかどうか、確認しようと思っていた矢先だった。
「黙祷をお願いします」と司会者が言っている。
落ち着かぬまま目を瞑った。

3人の恩師が来ている。
それぞれ矍鑠とした挨拶があった。
聞きながら、隣りの席の親しい友にN君のことを聞いてみる。
「連絡がなかったか?奥さんが住所を知らないんだろう、年賀状を出しているか」
「いいや、年賀状は、もう10年くらい出していない、君にも着いていないだろう」
「そうか、それでだよ、年賀状を出しとけよ、残ったものはわかりやすい住所録だから」

年賀状にそんな役割があるとは、知らなかった。
次の同窓会は、4年後である。










posted by 村のトイレ屋 at 11:23| 山口 ☁| Comment(0) | おしゃべり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月02日

糠漬けで迷うこと、糠は炒るべきかどうか。

糠漬けの糠は、炒って使いましょう、とものの本には書いてある。
市販の糠漬け用の糠も炒ってあると表示している。
私も、それを信じて、ずっとフライパンで焦げないように気をつけながら炒っている。追加している。

その理由は、糠についている雑菌をとるためだと件の本に書いてあるし、そうだと思われる。

でも、最近、疑問に思っている。
炒っていない糠の雑菌は、はたして悪いものなのか。

自家製ビールの発酵過程では、最初に、瓶や王冠、パイプなどを丁寧に熱湯消毒するようにしつこく書いてある。実際、失敗例はほとんど雑菌の繁殖が原因のようだ。

でも、糠漬けの場合、容器などについている雑菌ならわかるが、糠そのものについている雑菌まで消毒する必要があるのだろうか。
もしかして、糠についている低温で暮らしている役にたつ微生物群を殺しているのではないか。

また、相互に生かしあい食べあっている糠床の世界では、少々の雑菌は、取り込まれてしまうのではないか。


そう考えながらも、すでにできあがった世界を壊すのが怖くて、生のままの糠をまだ入れそびれている。
また、もう一つ、全然炒っていない糠床をつくって試せばいいのだけれど、そこまでは手がまわらない。

今朝は、茄子を食べた。
昨日いれた人参は硬いままだ。
3日目のかぼちゃもまだ硬い。




posted by 村のトイレ屋 at 08:58| 山口 ☁| Comment(0) | おしゃべり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月01日

じゃがいも糠漬けにしたら妻が「これはいける」と言ったが、私は納得できなかった

こぶし大のじゃがいもを3分の1に切って、床においておいた。
3日間たって、薄切りにしてパンに挟んだ。
妻は、「いけるよ」と言ったが、
私は、澱粉の感じが舌にざらついて、納得できなかった。
切ってよく洗えばいいのかもしれないとも思ったが、そこまではしたくない。

「そんなにうまいのなら、もっと食べる?」とすすめると
でも、妻は「一切で十分よ、遠慮しとくわ」と言った。




posted by 村のトイレ屋 at 08:44| 山口 ☔| Comment(0) | おしゃべり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月15日

7月29日、投票に行こう!

「原発を許してきた大人の責任」(小出裕章さん)

大人とは、まずは投票権があること。

夏の大切な選択。

こんなポスターがネットにありました。

クリックして下さい。拡大されます。

投票呼びかけ02.jpg






posted by 村のトイレ屋 at 16:15| 山口 ☁| Comment(0) | おしゃべり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月13日

なんでも楽しみに変える才能。選挙のポスター貼り。

山口県知事選、
はい、長州戦争です。
維新の帰趨がかかっていますよ。
原発の廃炉、再稼働阻止もかかっていますよ。
そうです。全国注目の選挙です。

そんな選挙のポスター貼り。
そうでなくても、告示日のポスター貼りは、100m競争のスタートよりも神経を使い、一分一秒の速さを競うものだそうです。
「雨が降ったら時間を下げてやむのを待ちませんか」と昨日の準備のとき気楽に提案したら、
「なんという根性のないことだ」という顔をして、選挙慣れしている人に睨まれた。
でもまあねえ、私らの選挙は勝手連だから・・・のんびりでもいいのではないかとと思いつつ朝を迎えた。
幸い、天気予報は大きく外れて、雨は降らず、それ以上の論争にはならなかったが、私のウワテをゆく人がいた。
選挙ポスターでつらつらと見ていたら、こんなサイトがあった。
ロゲイン感覚でゲームをしたように楽しかった、と書いてある。
しかもよく読むと我が、飯田てつなり陣営ではないですか。
ロゲイン感覚とは、地図に記された地点である指示(写真を取ってくる、自転車で通過する、宝を探して来るなど)に従い、その時間を競う競技だという。
選挙のポスター貼りは、まったくそのゲームだ。
市内約400箇所。全部まわってポスターを一枚一枚、掲示板に貼って来る。
どうせ競争なら楽しくなくっちゃという精神。

なんでも楽しい遊びに変えてしまう人。
いいなあ、多様な人の参加する選挙。

勝手連的な横組み選挙の良さだと思う。

参考70億分の1のつぶやき

ロゲインゲーム感覚で貼りました
http://ameblo.jp/nabezo33/entry-11301010378.html


posted by 村のトイレ屋 at 00:20| 山口 ☁| Comment(0) | おしゃべり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月14日

デモの話の4コマ漫画 若い母親がデモへ行く理由

まあ、息抜きに漫画でもどうぞ。

でも、
デモの話なので息抜きにならないか。

デモと抗議電話の他に数年に一度、政治家の首をすげ替えるという方法もありますね。

できることはなんでもやりたい気持ちです。

http://ameblo.jp/tibitabebi/theme-10055309648.html

そういえば、6月10日に北九州市でデモをしてきました。
あれもデモだったんですよね。
イメージは、ずいぶんちがったけれど、
言いたいことはいいました。

北九州市は、瓦礫焼却をやめてほしい!

緑の長城計画を支援し、ガレキを防潮堤に活かそう!

風下の山口県の健康被害を考えて!

などです。

3・11の最大の反省
脱原発のことは、若い人に任せておけばよいという考え、
これが間違っていた。
だまされないためには、発言と行動をきちんと間断なく行うこと。
だまされた人間にも責任があることを何度も噛み締めること。

そう思いながら、若い母親の気持ちを見事に代弁している4コマ漫画を感銘深く見ました。

中高年、お父さんにもおすすめ。



posted by 村のトイレ屋 at 18:10| 山口 ☀| Comment(1) | おしゃべり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月22日

ミミズの話、終了


「ゆるゆる新聞」に連載してきた「村のトイレ屋のミミズたちの話」は、終了しました。
ご愛読ありがとうございました。
いとしいミミズたちは、小出裕章さん講演会(3月18日、宇部市渡辺翁記念会館)に小出裕章さんの応援団としてくることになりました。

どこに、どんな姿でやってくるのでしょうね。

会場で一緒に探してください。
そして、ミミズたちと話をかわしましょう。



    糞と原発〜ミミズたちの話〜







 第1回  ミミズの集まりで話されていたこと  
                     
 昨日のことだ。あったか村で伐った木の片付けに疲れ、四阿(あずまや)のベンチで横になり、何かのはずみで地面に落ち、面倒くさいのでそのまま寝ていると大勢のミミズたちが集まっていて、「ぜひ、人間界に抗議しよう」と言っているのが聞こえてきた。テンデバラバラにしゃべっていた。私に伝える義務があるのか、あるとすれば厳密に内容を記録しなければいけないが、メモをとっていないので曖昧なところもある。

「どうも最近、ヒトはますます傲慢になっているように思う。ここらでそろそろ抗議文を出したほうがいいと思うが、どうか」
「農薬のことか」
「それもある」
「農薬が一番だ。ミツバチたちが大変らしいね、しばらくここで退避させてほしいといってきた」
「でも、以前に比べたらよくなったという説もヒトの間ではあるらしいよ」
「とんでもない、大体ミツバチをハウスに押し込んで交配させるという依存心
が悪い、ミツバチだって怒るよ」

「いやまあ、みんな落ち着けや、ヒトに申し入れたいのは、土の世界、土壌界のことなんだ、抗議というより、まあ勧告としたい」
「なんの話や?」
「どうも最近50年ほどヒトの糞が土世界に足らない」
「どういうこと?」
「いやこの間の土連委員会(注、よく聞こえなかった、国連ではないと思う。
記録者)でな、そんな報告が出されたのだよ」
「ああ、この間の会議な、遠くまでご苦労でしたね」
「まあ、雨の流れで行きはよかったが、帰りの道中は大変だったねえ」

「で、糞が足らんというのは?」
「あのなあ、ヒトは都会で流行ってる下水道を田舎でもやり始めて、糞と尿を、
土に戻すのをやめて、川や海に流すようになったんや」
「ああ、そうらしいなあ、集落排水とか、合併浄化槽とかいうやつやな」
「そうや、塩素消毒して流すんや」
「わあ、それはハヤもメダカもたまらんなあ」
「そうなの、人間の子どもたちも川では泳げない・・・実際泳いでいないけれどな。川で泳ぐ子どもはいまや絶滅危惧種だ」

「それも問題だが、糞を土に戻さなくなったことが問題なんだ」
「そうなんだよ、人間の作り出すものでまともな生産物は土を豊かに肥やす糞尿くらいなものだからなあ」
「あとは、大地を汚す毒ばかり」
「ほとんどヒトの食べ物は、自分ではなんにもつくらず、他の動植物からの横取りなんやものなあ」
「ひどいのは、肉食。太らせて食べる。卵も乳も、ぜ〜んぶ盗みどり、泥棒そのものなんだもんねえ」
「他の動植物が、許してはいないが大目に見ていたのは、彼らの言う排泄物、糞尿が土や土の中の小動物や微生物の餌となって役にたっていたからや」
「ヒトのただひとつの役に立つ生産物、土世界への貢献なのにね。それを水に流して海や川に捨てている」

「あのなあ、ヒトは生産を勘違いしているぞ。糞尿は立派な生産物なんだ。車やそれをつくる機械の生産のほうをすばらしいと思っている。思い間違いもい
いところだ。石器から鉄器の時代になったといって喜んでいるのは、ヒトだけだ、自然界で誰がほかに喜んだ?だれもいないのをヒトは、わかっていないん
だ」
「蒸気だ、鉄道だ、高速道路だといって喜ぶ浅ましさ」
「原発と核汚染に至っては、もう我慢の限界を越える」
「ヒトを地球から追放しよう」
「まあ、まあ、抑えて抑えて全部が全部バカではないんだから」

「例えば、今自殺を考えている大人がいるとするよね」
「今、多いらしいね、自殺が」
「そうだ、そこで自殺を引き止めるときに『あなたは糞をつくっているから立派、他になにもできないこと無力感を嘆いて死ぬことはないですよ、他にものを作り出さない方が自然の子としては偉いんですよ』と言って立ち直れるものかなあ」
「ヒトとしては、ますます落ち込むだろうなあ」
「糞しかできんのか、糞して寝れ!って最大の罵倒語みたいだしね」
「一番のほめ言葉なのにね」
「自然界全体からみれば、土から受け取ったものを土に返す、他にはなんにもしない、変な毒物を足さない、この心境にヒトはたてないだろうねえ」
「それを促す勧告文がほしいなあ」

「昔の肥溜めを使って畑に戻していた時代、あの復活が必要なんだよね」
「あそこまでヒトを謙虚にさせる文章が必要なんだよね」

「ところで、ミツバチたちは農薬使用をやめるようにという抗議文を送ったのかい?」
「送ったけれど、相手が政府で握りつぶされたらしいよ」
「送り手も考えないとねえ」
「そうだなあ」
「肥溜め研究家とか肥溜め普及協会とかそんなヒトを探してみることだろうねえ」
「ダーウインさんの弟子とか、そのつながりもあたってみようよ」

 ・・・と、ここで、私は目がさめた。夢か現(うつつ)か。思い当たるフシもある。無視して忘れてしまうか、何とかして人に伝えるのがいいのか迷ったが、感想や意見は読んだ人の判断に委ねるとして、ともかくメモを公表しておきたい。    


 第2回 ミミズの糞とヒトの糞(ミミズの学校の授業で)

                          
ミミズのヒトへの抗議は、どうなっているかとミミズの集会所を覗いてみると大人たちではなくて子どもたちが集まって、授業を受けていた。学校が開かれているようだ。

「今日は、昨日につづいてミミズの糞とヒトの糞のちがいですね、のび丸君、昨日のまとめを言って!」
「はい、昨日勉強したのは、ミミズの糞は、ヒトの糞より優れていることです。え〜と、理由は、ひとつはカルシュームを多く含んでいること、それから・・・・」
「そうですね、まず成分が優れていますね、それから・・・」
「あとは忘れました」
「ぼく、覚えているよ、あのねえ、ぼくらの糞は、つぶつぶのかたまりだから空気や水がたまって微生物が住みやすいんだよ。動物の糞のなかでも抜群なんだ」
「そうですね、よくできました。私たちの糞は、みんなが必要なカルシュームが多い、つぶつぶなのかたまりなので、空気や水が保たれて動物や植物に好まれる良い土をつくっていることになりますね。」
「でも、ヒトのはそうではないのですか?」
「ヒトの糞は、すぐには他のみんなが食べられません。毒もあります。そこでヒトが考えたのが、肥溜めです。糞をコントールしようというヒトの知恵ですね。おもしろいので黒板に図を書いておきましょう。」
どんな図が書かれるのかと思って、溝に頭を突っ込んでみたがよくわからなかった。
でも、ヒトの間でも忘れられている肥溜めが、ミミズの世界で調べられているのはおもしろいと思った。



第3回 人間の道連れになるのは嫌だとミミズたちが叫んでいたこと



 福島の原発事故は、福島で反対運動をやっている人を知っているだけに悔しさが日毎にこみ上げてくる。こころが、鬱屈して、野原に寝転んでいるとミミズの学校の子どもたちの声が聞こえてきた。

「悔しいね、」「ああ悔しいね」「先生、人間にちゃんと原発はやめろってミミズから勧告していたんでしょう」『「土の生物からヒトへ』という文章を送っていたはずだけど、・・・ヒトの心に届いているかどうかねえ」「福島第一原発は、これからどんどん土壌も川も海も放射能で汚すんですよね。」「死の灰が降り注ぐ」「もうみんな、生きていけなくなるのかなあ〜」「そうねえ、私たちはたぶんだめでしょうねえ、でもねえ、放射能のなかでも生きていける動植物や微生物はいるだろうし出てくるだろうから、これからはそんな種が地球の主人公になるでしょうねえ。」

「へえ、先生はそれでいいの、人間だけが消えるのならともかく、私たちも巻き込まれるなんて、いや!」「でも、日本列島に生まれたミミズだから運命でしょうねぇ〜、じたばたしないで、騒がないの!。私たちはそのときが来るま木の葉を食べて、良い土壌ができるようにしましょうね。明日が昨日と同じでないのは悲しいけれど、今日やることを普通にやるのがミミズの生き方ですからね」
「先生は、それでいいんですか、僕たちはまだ十分生きていないし、土も、水も、空気も人間の勝手にさせて我慢できないですよ」

「でもねえ、ヒトが頭と手を使えるようになったとき誰も止められなくて、火を使えるようになったときにも抗議をしたけれど聞かなかったから・・・」「でも薪や木炭ならみんなが許すって言ったんでしょう」「そうなのよね、それがあれよあれよという間に、石炭と石油を使うようになって、戦争のどさくさに紛れてウランやプルトニュームの核を使うようになって・・・放射能汚染の暴走」

「広島、長崎の悲劇を知っているから日本は大丈夫って先生、教えてくれなかった」
「ごめん、あれは判断が甘かったわね、信用した私たちが馬鹿だった」
「先生、作文書いていい、まだ間に合うかもしれないから、ヒトに僕たち地中動物の声を届けたいの」「賛成!」「賛成!」「私も書きたい」「私もよ」
「でも、期待しないほうがいいわよ、ヒトは生意気だし馬鹿だし、もう他の盟主生物は変わってもらったほうがいいのよ。私は、むしろ人間のようなものがいなくなるよい機会のような気もするのよ」
「でも、道連れにされるのはいや」「いやだ、いやだ、いやだ!」

ふっと、軽い風が吹いて木の葉が散って目覚めると地面に文字らしきものが見えた。
「ヒトの皆さんへ、いろいろなことはしないでください」「火が必要なら、せめて薪と木炭だけにしてください」「ヒトの欲望のためだけ頭や知識を使うのをやめてください」「間にあえば、ヒトの子にも、ミミズの子にも、地球の全部の子にもいい暮らしをしてください」



第4回 ミミズの先生がダウンしたこと、人間から手紙が届いたこと。


               
「おおい、みんな集まってくれ、大変やぁ」「どうしたん?」
「先生が倒れて、弱って寝こんでいるそうや」
「どうしたんかなあ」「見舞いにいこうかあ」

ミミズの学校の子どもたちがぞろぞろと歩き出したので、つい、つられて私もついて行くことにした。ちょうど崖の切通の断層で粘土から腐葉土に移るところだった。

「先生、放射能にやられんたんかなあ」
「雨の日に様子を見てくると地上を相当歩いていたからねえ」
「でも、よくわからなかったらしいよ、体も普通に動くから大丈夫と言っていた」
「土の味が違うようだとつぶやいていたよ」
「東日本ほど汚染濃度はひどくないとは、言っていたけれどね」
「でも、人間のバカ、アホ、本当に人間は許せない、絶対に許せないと叫んでいたよ」
「やっぱり先生も原発事故を起こした人間に怒っているのだ」
「いい糞を土に戻さないばかりか、放射能という毒を土壌に広げてこれほどの犯罪はないと身を震わせていたよ」
「それとねえ、人間の子どもに学校で、大人の放射能作業従事者と同じ放射能線の量をあてはめて、安全だと人間の文部省が言って、真っ青になっていたよ」
「勝手に基準を変えるのならつくるな卑怯者!とかも叫んでいたよ」
「さあ、着いたよ、声をかけてみよう」

「あらまあ、みんな揃ってどうしたの?」
「おや、先生、元気じゃあない?もっとげっそりやせて、干からびているかと心配してたのに」
「まあ、ありがとう、ずっと寝こんでいたの、でも、もう元気よ、元気になることがあったの、あのねえ、みんなこれをみて、・・・・やっと人間から返事がきたわよ」
「この間出した作文の返事なの?!」「そうよ!」「わあい、わあい、わあい」
「さあ、ゆっくり読んでみて」

雨が強くなって文字が乱れたが、数通あるようだった。一枚目は、次のように読めた。
「迷惑をかけてごめんなさい。今度の事故は、生活には電気が必要だと思い込み、危ない原発に頼ってきた日本の大人の責任です。心の中では反対していましたが勇気がなくて、大きな声にしてきませんでした。後悔しています。間に合うように行動します。ミミズのみなさんも、人の子ども滅ぼしたくありませんから。ダーウインの弟子より」
                               


第5回 「疎開ならミミズもするよ」とミミズに言われて考えこんでしまったこと



「もう少し、まっすぐ植えたらどうですか」「株と株の間も同じ間隔にしたら見栄えも良いと思うけれど」
 あったか村の畑にエゴマを植えた。スコップで穴を掘ってそこへ移植する。そのときどこからともなく声がしたので、じっとしていると声はミミズの一団からだった。
 私は、今までミミズの学校の集まりの声を聴いてはいたけれどミミズとの会話ははじめてだったので、少しドキドキした。
「ここらは僕らの糞がいっぱいあるから、良い土になっていると思うよ」
「そうですね、ほんとうにほこほこしていて手でさわっても気持ちがいい。ありがとう」
「お礼なんて・・・でもうれしい・・・あのちょっと聞いていい?」
「なに?」・・・通じているのがわかって私はうれしくなった。
「福島の子どもたちのことなんだけれど、・・・今、ミミズの世論が怒っているですよ」
「どういうことだろうか?」
「人間はアホだと思っていたけれど、ここまでとは思わなかったって、です」
「あのねえ、ひとことで言うと福島の子どもたちをなぜ遠くへ移動させないのか、安心なところへ脱出させないのか、それでみんな怒っているんですよ」
「・・・・」(私)
「福島市で放射能汚染がひどいので立ち入り禁止にされた公園があるの。すぐ側に住宅団地があって人が住んでいる!」
「長袖、帽子、マスクの子どもたちが毎日、側を通って学校に行っている!」「それで安全だと思っているのだろうか」
「自動車だって、高速道路だって、新幹線や飛行機だって、人間はアホみたいにたくさんの乗り物をつくっているではないですか。今、なんでそれを使って危険なところから安全なところへ移動しないのですか」「子どもからセシュームが出ているって話もあるよ」「あの恐い内部被曝がはじまっているんだ」
「疎開っていうんですよね、他に移動することを」たまらず私は、ひとこと言った。
「なんだ、人間にだってそんな言葉まであるんか、じゃあなぜ急いでやらないの」
「・・・」
「ミミズはねえ、巣の中の水が引かなかったり、土の中に酸素がなくなったりしたときにみんなんで、いっせいいに移動するんだよ。そうだ、先生は皮膚の湿り具合でも判断するって言っていたよ」
「人間が素直になれないのは、きっと自分の過ちを認めたくないからだよ」「ただちに健康に害はないって、危ないって認めていることではないですか」「過ちというより犯罪ね」「政府と東電の共犯者の犯罪隠し」「犠牲になるのは弱い子どもたち」「生体実験はやめてくれ」「土の世界では、そう言ってみんな怒っているんです」
「おじいちゃんがね、伝えてくれって。人間のことは人間の間でまず結着をつけてくれって、人のよいミミズ観察者でも構わないけれど、ミミズの気持ちがわかるなら、人のみんなにこのことを伝えてくれって」
ああ、嫌だなあ、人間の間で説得して歩くなんて・・・でも福島の子どもたちだけはなんとかしなくては。私は、どうすればいいのか、座り込んであれこれ考えこんでしまった。



第6回 味もない、臭いもない、ぴりっとも、こないと子どもたちが、話していたこと


 この夏はとても暑かったので、あったか村のハンモックは、とても助かった。かなり涼しくなったが惰性で、いつものように寝そべっていると側の溝からとても甲高い声がした。「おやミミズではないのかなあ」といぶかっているといつものミミズの子どもの声も聞こえてきた。

ミミズ1「あのねえ、ドジョウさんたちは、どうして食べ物を見分けているの?」
ドジョウがミミズのなかに遊びにきたのだろうか。
ミミズ1「最近、先生にね、何でもかんでもすぐに口に入れてはいけません、と言われているんだけど、でもねえ、いちいち気にしていたらなんにも食べられなくなってしまうよ」
ドジョウ「へぇ、君たちもそうなの、ぼくたちも学校でなんでもすぐに口に入れないようにと注意されたよ。でも、僕らの場合は、口に入るものはミジンコなんかも、みな水と一緒に飲み込むから選んでいられないよ。ミミズのみんなこそ、どうしているか、知りたいねえ」
ミミズ2「ぼくらはねえ、先生がうるさいんだ。この間、かなり地面を歩いて、弱って帰って来たことがあるんだ」
ミミズ3「そうそう、へたばって寝こんだんだよね」
ミミズ1「そのときから、しつこく言うんだ、変なものは口に入れないでねって」
ドジョウ「へぇ、大変だったんだね。でも、この間カエルから聞いた話では、また聞きかもしれないけれど、福島からばらまかれた放射能には味が無いって話だよ、だからわからないんではないかなあ。君たちはもともと味で食べ物を選んでいるんだろ」
ミミズ2「そうなんだよ、葉っぱとか、草の茎とか、近づいてちょっとかじって味をみるよ。それから土の中のトンネルに引きこむんだよ。学校で習ったけれど、ダーウインというミミズの仲間の学者が、長いことぼくらを観察して、ぼくらが丸い形をした枯葉とか茎を運びこむのでミミズは形で食べ物を選んでいると勘違いしたそうだ。あの人のただひとつの間違いだって先生が言っていた。」
ミミズ3「ぼくらは、形でなくて味で選んでいるの」
ミミズ1「だからねえ、先生も本当に困っているんだよ、味の区別を放射能では教えようがないって・・・・」
「だからある時は、人間に怒りをぶつけてとまらないの。人間が火を使いはじめたときに地中動物全部で止めればよかった、せめて電気なんて馬鹿なものを使い出したときに抗議すればよかったって」
ドジョウ「でも、今や原子力だもんな・・・人間だってコントロールできていないじゃないか」
ミミズ2「だから人間から手紙がくれば機嫌が少し直るんだけれど、いつもは身をよじり震わせて怒ったいるよ。とても近づけないよ。土を汚し地球を滅ぼす気かって!」
ドジョウ「それで、ドジョウも何とかしないかってうちのおじいちゃんに声がかかったんだね」
ミミズ3「へえ、そんなことがおとなの間では進んでいるの」
ドジョウ「そうなんだよ、実はねえ、福島から順々に伝わってきた話なんだけれど、福島の小川ではカエルがいなくなって、鳴き声が全然聞こえなくなったんだって」
ミミズ1「カエルって君らドジョウを餌にしているんでしょう。だったら・・・」
ドジョウ「最初はみんな喜んださ、天敵がいなくなったってね・・でもカエルが住めないところにぼくらも住めないんだよ、またカエルがいないことにはぼくらも困ることがあるんだよ」
ミミズ2「それで、・・・・」
ドジョウ「放射能は、味もない、臭いもない、ピリッと来ないからわからず飲み込む、どうしたものか、あちこちに相談しているようだよ」
ミミズ「やはり、おとなにも初めてのことなんだねえ、ああ、・・・あああ」

人間のため息を聞くのも辛いけれど、ミミズやドジョウの子どもたちの嘆き声はもっと辛く応える。季節に関係なく、もう、ハンモックに寝そべっている時ではないのだ、人間の側が変わり、変えるときなのだ。



第7回「糞と原発」という文書が、ミミズの集まりで配られているそうだ 


         
 久しぶりにミミズの子どもにあったら、土の世界では、人に抗議する集会があちこちで開かれているという。大きくなり広がっているそうだ。人間に知ってほしいと木の葉に書いたものを渡してくれた。
集会で読まれているそうだ。
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糞(くそ)には、臭いがある。
臭いは、広がり、糞のある場所がよくわかる。
出された糞に栄養がある。それを知るものは、臭いにひかれて集まってくる。

放射能には、臭いがない。
放射能が、あつまり溜り、放射線を出しているかどうか、臭いではわからない。
人間は、カウンターを子どもに持たせる。
積もった値が高いとわかったときは、細胞は壊されている。

糞には、色がある。
黒っぽいとき、茶色いとき、黄色いとき、
色によって体調をみるものもいれば、
色によって味を見分けるものもいる。

放射能には、色がない。
昼のあかるさにも見えず、夜の闇にも光らない。
虹色の魅力がないから、好きだからといって近づくことも、
嫌いだからといって敬遠することもできない。

糞は、土に戻る。
糞は、土に住むものの食べ物だ。
植物の栄養となって、根から上へあがる。
草となり、茎となり葉となり、穀物となる。樹木となって、果実となる。
動物たちが食べて、再び糞となる。
糞が大地を豊かに育て、大地と生きものをつなぐのだ。
糞は、本当に偉いのだ。

原子力発電所から出た核燃料のカスは、土に戻せない。
誰も受け取らない。誰も次にまわせない。まわしたら、その先は死ぬ。
放射性廃棄物を互いに押し付けあって、つながりを断ち切る。
海底は、海の生物が断る。南極の氷の下は、汚れを地球に広げる。
宇宙に放り出すのは、地球のわがままだと星たちが怒る。怒りとなって地球に降り注ごう。

地中に埋めて1万年かけて処分し管理すると人間はいう。
人間は、そのとき、まだ続いているのか、誰も知らない。
放射能の支配下では、子どもをうめない、子どもを育てられない。
放射能が浮いて広がり、母親の嘆きと怒りの声が地上をただよう。

ひとよ、もう、おごるな。
臭いも色もないものをつくるな。
土に戻せないものを、もう、つくるな。
次の循環にまわせないものをつくるな。
次世代に渡せないものをつくるな。
糞を土に戻せ。ミミズと一緒になって、土を耕せ。
土を耕し世界をつなげ。



第8回 小出裕章さん講演会にミミズが応援にくることになったこと

 
  やや寒くて冷え込むが、林で山芋をさがしているとミミズの子どもたちに声をかけられた。
「ねぇ、今度の小出裕章さんの講演会にボクラを招待してよ」「ボクラは、小出さんの友達で宇部に行くからねって手紙をもらったんだよ」

「福島の事故のあとに、人全部に、手紙を送ったんだよ、ほらこれ」
《ヒトの皆さんへ、いろいろなことはしないでください。火が必要なら、せめて薪と木炭だけにしてください。間にあえば、ヒトの子にも、ミミズの子にも、地球の全部の子にもいい暮らしをしてください》

私にも、見覚えがあった。
「そしたら小出さんから返事がきたの」
《40年間、危険な原発をやめさせようとしてきましたがついに事故を起こしてしまいました。ミミズのみなさんにも、土のなかの子どもにも迷惑をかけました。ごめんなさい》
「ボクタチは、小出さんにあって話を聞きたいだけじゃあないんだ、応援したいいんだ」「原発は安全だと言って大事故を起こした。今度は、放射能は低いレベルなら安全だと言って福島の子どもたちを見殺しにしている」「世界の子どもには、貧しさと飢えに並んで、放射線被曝の問題が襲っているんだ」「ボクタチも後悔したくないんだ、なにもしないで」

私は、答えた。
「よし、わかった。君たちの声がよく通るように仲間と相談し、かんがえよう」
ミミズたちの席をどこにするか、気持ちを伝え、人が実行するにはどうするか。
さあ、やることはいっぱいあるぞ。

                            (おわり)







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2011年12月01日

農業と工業が喧嘩した

農業と工業が喧嘩した。
農業が工業に果敢に挑んでいったのだ。
おおっと湧いたが、結果はすぐにでた。
敢闘にも至らず、農業は工業に打ちのめされた。
農業は、息の根をとめられた。

農業が死に絶えたとき、
勝者の工業も、まもなく食品産業が材料不足になり、
あっという間もなく、へなへなと崩れ落ちた。
すぐに、工場地帯が廃墟になり、やがて砂に埋もれてしまった。
そうすると、商業も金融も地上から消えてしまった。

水があった。
土が生まれた。
わずかに残った農がうごめいた。
やがて、農が成長をはじめた。

農は、反省していた。
後世にも伝えた。
業というような身の丈を越えた衣装は身につけまい。
農は、農で十分だ。
大きくなっていいことがあったか。

さらに無理をして、商を大きく育てまいぞ。
またまた無理をして、工を大きく育てまいぞ。
工は、農の中で自力生産。
商は、農の中で物と物との交換。
工も商も、名前さえいらない。

こうして、農の時代がいくつもいくつも過ぎた。

工も、商も、生まれず、農も小さいままだった。
士などいうものは、存在することすらなかった。







posted by 村のトイレ屋 at 22:51| 山口 ☁| Comment(0) | おしゃべり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月30日

15年間、お金を使わない生活

荒唐無稽か、インチキかと訝ったが、
読んだら現実性のある話だった。

1,考え方、コンセプト、
2,「譲りあいセンター」と言う場所と仕組み
3,継続する信頼関係

地方都市や都市近郷の農村地帯ではどうか、


あと必要なのは、無料の医療機関だ。
ただで見てくれる医者だ。

それと旅行ができないかもしれない。
それはどうしているのだろう。



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http://rocketnews24.com/2011/07/11/111350/

LIVING without MONEY 




そんな彼女の人生に大きな変化が訪れる。1989年、2人の子どもを連れてドルトムント市に引っ越したときのこと、彼女は多くのホームレスの姿を目の当たりにし、衝撃を受けた。彼らのために何かできないかと思案した末に、1994年「譲り合いセンター(Give and take central)」を設立する。

これは、お金を使わずに価値を交換する施設である。たとえば、古着を台所用品と交換できたり、車に関するサービスを提供する見返りに、配管サービスを受けられたりなど、価値と価値を交換することができるのだ。この施設は、数多くの失業者の助けとなり、彼女のアイディアを真似した施設が、ドイツに多数誕生した。

お金にはならなくても、知恵や技術を持ち合わせた人が集まることにより、お互いを助け合うコミュニティが形成されたのだ。

この成果から、彼女は暮らしていくのに、「お金」は本当に必要なのだろうか? と疑問を抱くこととなった。自分が欲しいもののために、相手に貢献することこそ、本当の仕事だと理解したのだ。

そして、お金のためだけに働くことが、精神的・肉体的に苦痛を伴うとはっきりわかり、施設設立から2年後に仕事を辞めることなる。さらに、子どもが大きくなり家を出て行くと、不要なものはすべて廃棄、アパートさえも引き払ったのだ。

お金を手放し、仕事を手放し、家さえも手放した彼女。しかし暮らしていくのにはまったく困ることのない、自由な生き方を手に入れたのである。当初は1年間だけの実験であったはずが、すでに15年間も続けている。

彼女が暮らしていけるのは、「譲り合いセンター」があるおかげだった。ここに物々交換所であるだけでなく、宿泊施設も備えていた。さまざまな雑用をこなせば、寝泊りすることができる。また、彼女を迎えてくれる家庭も少なくない。というのも、施設を作ったおかげで失業者たちは自らの技能を活用できるようになり、また出版したおかげで、豊かな生活を送れる人が増えたのだ。彼女に感謝している人の数は計り知れない。


中略

そんな彼女は普段、スーツケース1個で生活している。必要なものはそれだけ。緊急時のために200ポンド(約2万2000円)を蓄えている以外は、すべてのお金を寄付している。著書やドキュメンタリー映画の売り上げもすべて寄付しているそうだ。

1つだけ問題があるとすれば、それは健康保険を支払っていないため、病院に行けないことだ。病気やけがの心配があるのだが、彼女は自然治癒力で、治すと豪語している。


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posted by 村のトイレ屋 at 09:06| 山口 ☁| Comment(2) | おしゃべり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月13日

言葉遊び ひじり

聖 とは、ひじり と読む。

日を知るもの からきたそうだ。

草を刈ったり、畑を耕したり、種を蒔いたり、刈り取りをしたり。
そんな適期、良い日を知って、人に教える役割からきたそうだ。

そこから、今使われている「エライ人」「徳の高い人」「徳の高い僧」にどうやって変化していったのだろう。

漢字をみると聖という字は、耳と口の王様だ。
情報を耳で集め、口で人に伝える能力が、ナンバーワンということか。

いや、そういう能力をつかって人の働きをかすめ取り王様になったとも解釈できる。手と足を含んでいないのだから自給自足論からするとなにか不可思議だ。
やっぱああ人間は、手と足を使って汗水垂らすのが、当たり前だろうに。
これは、安藤昌益流の理解につながろう。

では、手と足は、どうなっているかと字を探してみると
捉 という字があった。手と足だけで構成されている。

とらえる
と読むのだ。取り押さえる、獲物をしっかりつかまえる、と辞書にはある。手と足だから、くっついて「はたらく」「たがやす」という意味のほうがいいように思うが、そうではない。狩りの時代の習慣から来たのだろうか。

面白いものだなあ。
と、まあ言葉あそびの息抜きでした。




posted by 村のトイレ屋 at 10:25| 山口 ☁| Comment(0) | おしゃべり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月07日

なにも起こっていないことこそ「奇跡」

最近、朝、なにもなくて普通に目覚めることに、とても感謝している。ああ、今日も無事始まります、ありがとうございます、と声に出していう。
寝る前には、今日一日、地震も原発事故もなくありがとうございました、と言って眠りにつく。

岩手県の陸前高田市をはじめ被災地に4月、5月、9月と3回、各5日間行って、地震や津波が西日本で起こっていないことを本当にありがたいと思うようになった。昨日に続く今日の平凡な繰り返しがあることに深く感謝するようになった。さらに福島県の東電第一原子力発電所の事故と放射能災害が、その後起こっていないことを心底ありがたいと感謝している。

だが、同時に、今、大災害がその後起こっていないことこそ「奇跡」という意識が絶えずある。3・11は、厳として起こった。今後起こらないという保障は、どこにもない。3.11が、100年に一回、1000年に一回ののことではなくて、だから、私の生きている間はこれで終わりということでなくて、いつ起こっても文句はいえないという認識がある。明日、いや今起こっても不思議ではない。

こういう時代には、ふたつのことを念頭において生きていくのがいいのではないかと最近は、考えている。

ひとつは、自分のライフワークとそれに基づくことがらをコツコツとやり続けることである。いつ、大事故で中断されるかはわからない。でも、一日にできること・一人分の作業を行いつづけることである。

もう一つは、最悪の事態を防ぐために相応の力をそそぐことである。地震はやむをえない、その対処策を練ることとそのために発生する原発事故と放射能災害は防ぐことである。原発を全部廃炉にすることだ。

そんな腹づもりから、糞尿資源に関する本を読んだり考えたりすることを休まず続けたいと思っている。また、脱原発の取り組みも自分にできる役割を果たしたいと願っている。

来年の3月18日(日)に原子力の専門家で40年間、原発の危険性を訴え、原発と核の利用に反対し続けてきた小出裕章さんを宇部にお呼びしてお話を聴くのはそのためである。




posted by 村のトイレ屋 at 23:22| 山口 ☀| Comment(0) | おしゃべり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月27日

住んでる市に知らないところがある

今日は、荷物運びをした。
福島の子どもたちにつながる宇部の会で、事務局が
福島から避難して来るご家族に生活道具を揃えるため、市民の皆さんに提供をお願いした。

その申し出をいただいた方々を訪問して車で運んだ。軽トラだ。渡された住所を調べて訪ねて行き品物をいただく。あらかじめ用意されているので、ただ事故のないよう運ぶだけだ。
大きいものには、テーブルセットがあった。立派なソファもあった。
また、トイレットペーパーやキッチンペーパーを揃えて下さった人もいた。ありがたく運ばさせてもらった。
5軒まわったが、全部、知らないところだったのには驚いた。
幹線道路は、走ったことはあるが、奥へは入ったことがなかった。

私には、昔から、新しい都市に入ると胸がどきどきする癖がある。若いころバイクに乗っていて未知の街の街路樹の道を入るときなど興奮したものだ。今でも仕事で遠くへ行くときは、行ったことのない地域を必ず通るようにしている。まあ、寄り道、道草の習慣。

が、今日、予想もせず、そんな雰囲気が蘇ってこようとは、不意をつかれた。へぇ、こんなまちがあったんだ。帰って妻に聞いたら、今の宇部市街地が海か砂浜だった頃、すでに集落だった昔からの土地だという。小さいゾーンでも知らないところに行くのは、いいものだ。自分流、探検コースを地図でつくってみよう。
でも、まあそこまでしなくてもなにやかや用事をこなしていれば、まるっきり知らない地域にまだまだ遭遇するかもしれない。その楽しみは、とっておいたほうがいいかもしれない。
posted by 村のトイレ屋 at 21:07| 山口 ☀| Comment(0) | おしゃべり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月26日

TOTOトイレ川柳

今年も恒例。

節電の句が入賞。

私は、

平凡に トイレを使う ありがたさ (アベチャン 様)

あるんだな おちつくひろさ というものが (耕直 様)

のふたつが、いいと思ったが、佳作だった。

TOTOトイレ川柳
http://www.toto.co.jp/senryu/2011/award.htm




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2011年10月25日

水戸黄門はもう終わったのか?

ある会話。
銭湯のサウナで。
2011年7月某日。思い出し記録、へちまや。
山口弁は、標準語に変換。



「テレビの黄門様は、もう終わってしまったらしいね」
「いや、キャストを変えてまた半年後に再開されるんでないの?」
「どうも、そうでもないらしいよ」
「へぇ〜、それは寂しいね」
「山口にも、一度は来ると思ったがねえ」
「そうだねえ」


「うちの子がねえ、もう30越えたけれど、」
「ああ、学校につとめているんだってね」
「そう、そいつがねえ、世の中には悪い人間がいるんだってこと、この水戸黄門で知ったんだって」
「ふーん、ボクなんかは鞍馬天狗かなあ、悪い人間と正しい人間がいると思ったのは」
「俺は、ジャンバルジャンだねえ、三銃士もそんなんかなあ」
「やっぱ、勧善懲悪は必要と思うよ、単純なことだけど、白黒ははっきりさせないとね」



「でもさあ、水戸黄門の印籠って、これからもっと役に立つと思わないかい」
「そうかもね」
「う〜ん、たとえば山口県庁に行ってね、祝島の民の苦しみをなんとこころえる!ってやるんだよ」
「県知事の部屋でかい?」
「そうだよ、並み居る役人のみなさんは、どうするかね」
「知事もだよ、国の方針で変えるっていうだから腰が座らないよね」
「ころっと態度を変えるかね、テレビでは8時45分だけどね、46分の時もあるし、43分のときもあったよ」
「よくそんなことまで調べているもんだね」
「ああ、それが楽しみで、それまでは、呑みながらぼ〜と見ているからね」
「でも、はっきりしない知事だね」
「知事は、殿様だろ。殿様は殿様らしくばちっと決めて欲しかったね、東京電力の福島の原発事故が起こっても、煮え切らなかったよ」
「そうだよね、でも、水戸黄門もね、殿様にはだいたい甘いんだよ。だいたい、やっつけるのは、悪代官でね、代官クラスと相場が決まっているのよ」
「それにしては、いつも藩の豪商と組んでいるよ、代官は」
「そうだね、そうそう、家老のときもあるね、どっちが多いかは数えていないけれど」
「ふ〜ん」


「ところで、あの印籠はどうなるのだろうね」
「どうなるって?」
「いや、分けてくれないかなあ」
「どうするの?」
「どう考えても、許せなくてねぇ、福島の人があまりにもみじめではないか、その責任者だろ」
「誰が?」
「今の福島県知事、市町村長と組んで原発を福島に誘致したんだろう、東電と越後屋関係にあったとしか思えない」
「越後屋って、お主もわるよのう〜、の、あの越後屋?」
「じゃあ、東電は越後屋?」
「そう」
「じゃあ、幕閣の悪者は?」
「経産省」
「そこへ、印籠もってゆくの?」
「そう」
「一人で?」
「いや、君がスケさん、だれかカクさんを探してきてよ」
「印籠は、複製をつくってばらまいて、100チーム、1000チーム、万チームの黄門さんが、乗り込むってのは、どう?」
「おもしろそうだね、ちょっと子どもにも相談してみよう」



印籠をもった黄門集団が、あらわれたというニュースは、まだ聞かない。
でも、日本の庶民は、鋭い知恵をもっているんだなあと思った。


posted by 村のトイレ屋 at 17:11| 山口 ☁| Comment(0) | おしゃべり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月24日

和田


新聞もテレビも見ていなかった。
親切な人がメールをくれた。




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2011年10月18日

羽釜でご飯。「ライフスタイルのモデルチェンジ」(天野祐吉さん)

小野湖の水を守る会で相談して羽釜を買うことにした。
稲刈りや畑の集まりで、現地でご飯を炊いて食べたほうがいいだろうということで、みんなでそう決めた。

購入の報告をお疲れプーさんが、ブログでしている。
http://ubesns.jp/blog/blog.php?key=33365
これで、小野湖の水を守る会のメニューも増えて楽しさがます。
現地に出来るだけ多くの人に来てもらえるようになればうれしい。


あったか村でも、子どもたちの集まる体験教室でカレーを炊くときに必要なので、古道具屋で格安の釜を見つけたときに買った。
レンガを組んで簡単なオクドさんをつくってそこにかける。
羽釜の名前の由来は、釜の周りの縁が広く羽状に巻いてあることからついたと思われる。これのお陰で、オクドさんにうまく乗り、何と言っても、熱が無駄に逃げないので熱効率がよくて、炊きあがりが早い。もちろん、おいしい。
よく考えたなあ、と炊くたびに思う。

もちろん、電気釜のようなタイマーもセンサーもついていないので、炊き上げる判断は、人がする必要がある。音がなったらスイッチを切るとか、自動的に切れて保温に切り替わるとか、そんな風にはいかなくて、硬い米が残っているとか、オコゲばっかりとか、数回は失敗の経験をする、(注、私の場合。器用な人は一回でうまくゆく)。でも、よくしたもので、「はじめチョロチョロ、中ぱっぱ、赤子泣いても蓋取るな」の昔から言われている要領で炊くと、少々オコゲが出るくらいで大概何とかなる。
我慢できずに途中で蓋を取ったこともあるけれど、それで特に味が変わったとも思えない。大概なんとかなっている。
このあたりの呼吸を子どもたちが喜ぶし、私も楽しい。
水の量は米とどのくらいの比率ですか、時間はどのくらいですか、とかの質問も当然出てくるが、追及したい子は追及したらよい。止もしないが勧めもしない。

電気釜といえば家電の雄だが、その前は、あかり、電灯が家電界の花形だったろう。その電灯のコマーシャルにこんなものがあるよと天野祐吉さんが紹介している。つくったのは、中島信也さんで、テレビで「カシャッと一句575」の審査委員長をしているのを見たことがある。

そのコマーシャルは、ここで見ることができる。
http://amano.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_d0171730_612549.jpg.html

そして天野さんのコメントも書かれている。
http://amano.blog.so-net.ne.jp/archive/20111017

なーるほどねえ。
しみじみとしますねえ。
画面の暗さと、役者の渋さと、コピーの素晴らしさと。
コピーは、「明るいだけでは未来は暗い」

決まってるねえ〜。
また天野さんのコメントもツボをついている。
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どの企業も「豊かな生活」のイメージのフルモデル・チェンジをしなきゃおかしい。
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ライフスタイルの転換ということも、こういうふうに言われるとまた別の説得力があるなあと感心した。


さて、羽釜である。調べてみると値段を別にして、無理に古道具屋で探さなくても、街場のホームセンターに、大中小のそれぞれ、品物は揃っている。木の蓋が案外高くて、「へぇ〜、こんな所にも間伐材の需要はあるのか」と思った記憶がある。思ったより、よく売れているのだろう。人は、そんなに突飛なことを考えないから、私達が羽釜がいいねえ〜、今度使おうよと考えていることは、3・11以降の状況では多くの人も同じように考えているのだろう。

私たちの世代は、真っ黒な釜の底やオコゲの記憶を持っているので、それをもっていない若い世代の母親父親を飛び越えて、その子どもたちに自慢できる。もっとも簡単にマスター出来ることなので、大きな顔をすることでもないが、世代間交流のよいツールにはなる。それも、野原の飯炊きの楽しさである。小野湖の水を守る会の米作り脱穀作業日は、今度の土曜日10月22日である。あったか村でも近いうちにまた炊きたくなった。仲間と相談してみよう。




posted by 村のトイレ屋 at 10:07| 山口 ☁| Comment(0) | おしゃべり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする