2018年08月10日

「お上の言うことはすべて正しい」は、大嘘。中村敦夫さんの言葉。

上とか、下とか
もともと人間にも
社会にもないはずなんだ。

かの福沢諭吉も、
天は人の上に人をつくらず、
人の下に人をつくらずと言って
人間みな平等を説いた。

それが、当たり前のはずなんだ。
ところが、未だに、権力中枢やそれに群がる支配層の取り巻きが
上にいて、なんにも役職についていないような人々は下とされて、
人の立場の上下は、結構いろいろなところに存在しているようだ。

とくに、行政の判断や決定を「閣議決定」などと持ち出されるともうお手上げ、
それはお上の決めたことだから正しいはず、従わなくてはいけないと、思考は停止どころか
悪性の下痢よりもひどく一直線に下り、はいはいと頭を下げてしまう癖が、日本の巷あちこちにあるようだ。

田舎ばかりか都会の中でも、そうした風潮は見かける。
都会の方が、声を出して反対したり異議を訴える人が多いように感じるが
総体には人口比のような気がする。(問題ごとに統計をとっていないから経験値)

ここでは、詳しくは書かないが裁判所がとくにそんなシンボルのようなものだ。
地裁や支部で論理に筋が通り、憲法に忠実な判決が出て喜んでもつかの間、高裁、最高裁と上に行くに従って
目も当てられない詭弁が繰り出される。
「原発の安全性は司法の判断に馴染まない」などということを言いだす裁判官まで
でてくるありさまだ。事故を起こした電力会社とそれを監督してきた行政に任せるとは
ドロボウに警官をさせるよりもひどい。

法律や良識的な判断は吹っ飛んで、司法の独立、三権分立などどこ行った、
「ヒラメ裁判官」などという言葉まで生まれているそうだ。
出世をねらって、魚のヒラメのように、「上ばっかり見ている」ところからきているそうだ。

上も下もない、自分の頭で判断して、自分の心に素直に動く。
とくに、戦争と原発については、譲らない。
他のことなら騙されても、頭に来るだけだが、
戦争と原発に関連するものは、そうはいかない。

苦しいなど言うことでは済まないからだ。
すべてが台無しにされる。
されるだけでなく自分も加担することになる。
直接間接に手を血に染めることになるのだ。

そうなってきたのが、日本の歴史だ。
阿武町萩市へのイージス・アショアの配備、むつみ演習場のミサイル基地への大転換、
軍事施設そばで暮らすことは大変な心労だ。
イージス艦の乗組員には休暇があるが、住民には24時間365日いつミサイルが発射されるか攻撃目標にされるか
安眠の時はない。
しかも、迎撃といっているのは、日米政府であって、攻撃兵器にも使えることは誰も否定していない。
守る口実で攻めてきたのが戦争だ。

重ねて言うが、
人間に上も下もない。
上の言うことは戦争のことほど信用できぬ。
戦争はしたくない。手を貸したくない。


中村敦夫さんの言葉を掲げておく。同感だ。

中村敦夫右向けと.jpg

posted by 村のトイレ屋 at 11:59| 山口 ☀| Comment(0) | 反戦・平和 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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