2018年07月25日

現場に座り込むと言明した知事がいた

座り込む!と言明した知事がいた
                       

 むつみ演習場を陸上イージスの基地にする、巨大なミサイル基地にする計画が、阿武町、萩市むつみ地区に降って湧いたように発生し、渦巻が起こっている。
 賛成する人はいない。最初は良いように言っても、やがて軍隊の本性をあらわすことを年配者の多い地域だからみんな知っているのだ。経済効果といっても軍事機密の塊だから、工事に参入できる業者は限られているし、地元に落ちる金は少なく、NHKのクローズアップ現代で放送されたポーランドのように、経済損出に陥ることは目に見えている。自衛隊員が100人〜200人住んで住民が増えるといっても選挙では自衛隊の組織票で議員も出そうし、軍隊中心の町=軍都になってしまう。
賛成ではないが、でも積極的に反対の意思表示ができない人は、結構いる。なぜか?国のやること、防衛省のやることだから地元が反対しても止められいのではないか、という気分が(理論というほどではないが)漂ってしまうのだ。

 この気分が漂うについては、根拠がある。
 国やお上の押し付けてきたことをはねのけた経験が、実は、いっぱいあるのだが、当事者が自己顕示欲のない人だったり、何よりもマスコミが報道しないし、学校で教科書に載せたりしないから忘れられてしまうからだ。支配する側に都合の悪いことは、歴史から消してしまいたいという力学が働く。自分たちが犠牲になって生きることが当たり前ではなく、嫌なものはいや!受け入れられないものは受け入れられないと堂々と言っていいし、それが人として当たり前のことなのだ、そういう常識を打ち立てたい。そのためにも、私たちは、跳ね除けた経験を丁寧に発掘し、共有し、語り伝えていきたい。

 前置きが長くなった。秋吉台が、米軍の爆撃演習場にされようとしたときに、それを止めた当時の山口県知事・小澤太郎氏のことを書きたい。
 全然、知らないない人は、宣伝めいて恐縮だが、「いのち・未来うべ通信18号」の「秋吉台と上関の海」という上関原発を止め上関町田ノ浦の海を守る視点から書かれた高杉静江さんの文章と引用されている小澤太郎氏の本の紹介を読んでほしい。私も、小澤太郎著『風雪』 発行:小澤克介 2011年刊 「九 秋吉台――米軍爆撃演習場問題」から 引用させていただく。

 秋吉台は、明治以降、陸軍の演習場だった。
 戦後の法的位置は、以下であった。

「昭和26年9月平和(注 サンフランシスコ講和)條約の調印により、接収解除と同時に安保條約第3條に基く特別協定によって、自動的に米軍が利用することゝなった。そしてその使用條件は陸上部隊の演習とされていたのである。」(p106)

そこへ、ことの発端となった申入れがあった。昭和31年、1956年、今から62年前のことである。
 「昭和31年3月今井調達庁長官から、秋吉台を、米海軍航空隊の爆撃演習地とするため、使用條件の変更を米軍から求めて来ているので同意を願いたいとの申し入れがあった(この件の経過については、山口県、秋芳町、美東町共編の『秋吉台大田演習場小誌 爆撃演習解除記録』に詳細記してある)。(p106)

小澤知事は、同意できないと回答し、秋芳、美東両町長に相談する。両町長とも反対の意見だった。反対の理由として次があげられている。
「(一)地域住民に危険を与える。(二)地域内に農地や林地を所有する農民の農作業を不可能にする。(三)秋芳洞の観光客に危険を与える (四)貴重な地下資源の破壊等である。」(p107)


小沢写真.jpg


秋芳町、美東町町民大会で演説する小澤太郎氏(同書から)

 ここで、大きな選択が問われる。
 強大な、当時は(独立した直後で)「米軍の要求は殆ど容認する傾向にあり」、どうして、立ち向かっていけば跳ね返すことができるか、秋吉台の特徴と強みをいかに反対運動に生かすことができるかが、問われた。地元の危険、農業へ響、観光へのダメージ、それらを一切なくすため、つまり演習場にさせないための運動の柱は、なにか?「いかに強力な米軍であっても絶対に譲歩しえないもの」、この観点から方針がたてられていく。
「この観点から秋吉台の学術研究者である九州大学の鳥山教授、山口大学の浜田教授と図り、両教授を中心として、学術面から反対運動を展開することゝし、別に、松山山口大学長を長として秋吉台学術調査班を結成し、純学問的立場から反対資料を作製することゝした。鳥山、浜田両教授は、国内は勿論米国をはじめ各国の地質学会に強く働きかけ、又政府に対して、学者として活発な反対運動を續けていただいた。」(p108)


ここで知事のとった態度・方針は、今日的には評価が分かれるかもしれない。「もっぱら学問、文化の面から取り上げ、政治問題化しないことに意を拂った」とし、「殊に左翼政党が過激な行動をとり、米側を刺激して却って逆効果となることを懼れたためである。県内の左翼諸団体に対しては、知事の反対の主旨を説いて自重をお願いした」(p108)とある。ここは、今日的にも、非常に面白いところだ。もとより、目的と戦略には、行動や戦術は従属する。何をめざすのか?によって戦術や行動は規定される。
ここでは、農民や観光で生計を立てる地元の人々が危険にさらされることなく暮らすこと、そのために爆撃演習場はいらない。そういった大目標がある。その運動の梃(てこ)として、秋吉台の地質学的特性を生かしてたたかう。そのように理解すれば、理解できないことはない。しかし、別の見解もあるかもしれない。多様な見解があっていいと思うが、今日的に、今一つ注目したいのは、小澤知事の政治家としての態度だ。

(筆者は)政府各省大臣、調達庁長官に反対の意思を強く傳へ、米軍司令部でのハーバート少將との会見には、米海軍将校が数名が威圧が如く立会した。この席で筆者は若し米軍が爆撃演習を強行するなら知事自ら現場に坐り込むとまで云った。ハーバート少将は、当方の強い態度に押されたか、急に態度をやわらげて「秋吉台に固執するものではない。外に方法があれば」と漏らした。ここで自分は勝負があったと受け取った。今井調達庁長官が、ハーバート少将との会談をあっせんしたのは、同少将の強い態度で小澤が軟化するであろうと期待したからであったが、その期待は全く裏切られることになった。

   (p108〜109)

 胆力、などという古いことばを使いたくないが、もちろんそんな大時代的なことでなくて、淡々と冷静に行ってもらっていいのだが、人が政治家に期待するのは、こういう時にきちんと持論を通せる人だ。「県知事が現場に座り込む!それを排除してでもやるのか!」という気迫を持って迫る。学術、文化の重要性を言いながらここで、逆方向を向いて妥協してしまったら、すべてが嘘になる。
 でも、ここで勝負に出た政治家がいた。
 私たちは、このことはきちんと覚えておいていいと思う。
 住民が自分たちの声を堂々とあげる。政治家が、それを聞き動き奮闘する。このような好循環が歴史的にあったのだ。
 さて、運動は以下のように勝利した。

8月24日大平正芳代議士を團長とする衆議院内閣委員会の現地調査があり、9月5日、同委員会は、秋吉台は、文化財保護の立場から爆撃演習に不適当であるとの結論を出した。鳥山、浜田両氏の内外地質学会に対する運動が、米国有識者の良識を呼び起こし、米大統領を動かしたことゝ思われるが、さしも強硬な米軍も遂に秋吉台使用を断念、9月12日調達庁長官より大田演習場使用條件改訂要求は撤回するとの公文を受取った。次いで11月15日、呉調達局長より大田演習場は12月16日を以て地元両町に返還されるとの公文を受取った。16日返還式が秋吉台上で行われ、こゝに秋吉台演習地問題は成功裡に終止符を打つことが出来た。(p112)


 その後設置された、秋吉台にある「平和と観光の塔」の石碑及び、秋吉台科学博物館と青少年宿泊施設は、このたたかいの生み出したものである。

 前述の通信18号で、高杉静江さんは、ここから村岡・現山口県知事と小澤知事を対比して、今も立派に自然公園として残る秋吉台と、反対に上関の田ノ浦の行方を心配している。私も同じ意見なので繰り返さない。
 今の知事や他の政治家にしても、私たちは政治家でない人たちをあまりにも多く見すぎてしまって、政治家像がおかしくなっているのだ。しかし、小澤太郎氏のような決断とリーダーシップを発揮した政治家がいたことを知ることは、次への期待が持てる。人々が困ったときに、その課題を解決するリーダーが現われることを願うし、また大勢の力を集めてそんな人を探し、応援したいと思う。沈黙し諦め言いなりになるのが最悪だ。
                        (2018年7月17日)

注 NHKクローズアップ現代 2018年7月4日放送
揺れるミサイル防衛 “イージス・アショア”
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4154/index.html

以上の文章をPDFにしています。
配布にあたってご利用ください。
座り込むと言明した知事がいた〜過去からの応援の声〜.pdf

posted by 村のトイレ屋 at 09:44| 山口 ☀| Comment(0) | あったか村 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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