2018年06月27日

相良倫子さんの詩 「生きる」

相良倫子さん.JPG



https://youtu.be/cNVS7ctD1Gs


私は、若い世代に激励されて本当にうれしかった。
心からありがとうとと思った。
残された人生を本当に「生きる」こと、平和を創造するために労を厭わないことをあらためて心した。

沖縄のみなさんは、どうだったのだろうか。
テレビの画面では、目元をおさえる人が写されていた。
若い世代への継承を感慨をもって受け止めていたのだろうか。

それとも、中学生にこのような詩を暗唱させなければならない時代の到来を憂いていたのだろうか。

辺野古の新基地の土砂埋立てが迫っている。
南西諸島の軍事基地化がすすめられている。
それを指図する張本人が、政治の私物化・戦争推進の旗を振る人間が目の前にいる。
戦争の無意味さを。本当の平和を。
頭じゃなくて、その心で。
戦力という愚かな力を持つことで、
得られる平和など、本当は無いことを。
平和とは、あたり前に生きること。
その命を精一杯輝かせて生きることだということを。

山口県の場合は、この言葉はまた、別の意味合いをもつ。
農村回帰・都市から農村への人の流れをつくってきて、迎え入れる町づくりを進めてきた阿武町福賀。
その背中合わせの白菜農家の畑が広がる土地、酪農家が営々として作り上げてきた牧草地。
台地を利用したラジコン飛行場。
県内のモデル農村事業の事例でいつもトップに取り上げられてきた宇生賀の埋もれ木の郷。
スイカ、ホウレンソウ、ハクサイ、レタスのブランドを作り上げてきた福田地区。

そこへ、ある日突然、イージス・アシュアの計画。
むつみの演習場に巨大ミサイル基地をつくるから「理解」しろ、という。

さまざま論点をいう。
必要なのかどうか、どうして秋田と山口むつみなのか、電磁波は本当に安全なのか。

でも、よく考えてみれば、根本的に本当に戦力の充実は平和につながるのか。
むしろ逆に戦争の緊張を増し、攻撃対象にされる危険を自ら背負い込むことではないか。

普通にいきること、当たり前の日常を送ること、
そこにある平和。
これは誰にも譲り渡してはならない。

若い世代が声をあげることはうれしい。
奴隷的な呪縛を解き放って、
次々と平和の継承者が現われてほしい。

でも、そのためにも私たちの世代が本当に「生きる」ことが大切だ。






posted by 村のトイレ屋 at 09:31| 山口 ☁| Comment(0) | 反戦・平和 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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