2018年05月22日

ことば「大人になったら、きちんと大人になるのだと思っていた。」

この書評を読んでいて、思わず、飛び起きてしまった。
(寝転んで読んでいたので)
ここには「同感!」と思って起き上がって読んだ。


私もずっと、大人になったら悩んだり泣いたりしないのだと思っていた。大人になったらロックは聴かなくなるのだろうと思っていた。大人になったら、きちんと大人になるのだと思っていた。そしてもういい加減大人にならないとまずいと思いながら、今に至っている。


これは、全く自分の自覚だ。
きちんと大人になれていない、大人ってこんなことではないだろうという感覚は、ずっと持っている。
「(年の割には)お若いですね。」などと言われると、未熟さを指摘されたようで内心、恥じ入ったりしていた。

そんな話題で話した時に、友人は、「大人になれば人格が成熟するなんて幻想だよ」と言っていた。
「気にしていたら生きていけないよ。」とも言っている。

高齢者への社会の態度は、ふたつある。
姨捨山のように邪魔者として、捨ててしまうこと。
もう一つは、儒教の教えにみられるように、目上として長老としてたて、尊敬し、敬う形をとるパターン。
後者の仕組みの維持のために、年をとると「大人にちゃんとなる」幻想が生まれ、それに私たちが縛られているのだろうか。

それとも、実際、他の人は、ちゃんと大人になっていて、角田さんに私が共感しているだけなのだろうか。


話は、飛ぶが、「ちゃんとなっているはずだ」という思い込み、幻想は結構あるものだ。
幻想は、幻想で早く実態が明らかになって、真実の姿をさらけ出すのがよい。
幻想が、クッションになって、人間関係を円滑にすることはあるだろうが、
個人の人間関係の場を越えて、公的なもの、政治などでは困るだろう。

「権力者なんだからそれなりの人格識見を持ち、ちゃんとした大人なんだろう」と思っていたら大間違い。
安倍首相とそのトモダチ権力の惨状は、どうだ。大人どころか、そこらの子どもでもしない自己利益誘導とウソと詭弁を使っている。

「息を吸うようにうそをつく」という人が、一国の宰相。

これは、本人の問題もあるだろうが、それを選んでいるのは国民であることを思えば、
日本の民主主義自体が、実は、「ちゃんと大人になっていない」ということなのか。
時さえたてば、きちんとするというのは、社会も人についても、単なる思い込みにすぎないのだろう。


出典
角田光代・評 『できそこないの世界でおれたちは』=桜井鈴茂・著
毎日新聞2018年5月20日 今週の本棚
https://mainichi.jp/articles/20180520/ddm/015/070/024000c


posted by 村のトイレ屋 at 06:32| 山口 ☁| Comment(0) | おしゃべり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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