2017年08月27日

人は、どこまで変わることができるのか?

たとえば、60歳を越えて、
今までの人生を振り返り、生き方を変えてみようとする。

その場合、どこまで変わることができるのだろうか。
今までの生き方に反省があったとしても、
もういまさら変えられないよ、と慣れ親しんだ思想やライフスタイルに
どっぷり浸かって生きていくものだろうか。

なんたって、それなりにできあがっているんだよね。
今更、変えろって言われたって、辛いよ。

では、原発に対する評価はどうだろうか?

2011年3月11日。
福島の事故は、日本と世界を破滅に、追いやるほどのものだ。

この事故に同時代に生きてきて、
やはり、今まで通りの生き方でよかったのだと断言できるのだろうか?

いやぁ、もう勘弁してよ、もう墓場は近いのだし静かに余生を送らせてよ、
とつぶやいて、じ〜と頭をすくめているのだろうか?
子どもや孫のこともあるが、
明日、いや今このとき、
原発震災によって逃げまわることも十分あるのだ。
ある友人は、福島からの教訓として、
ともかく夜寝る時は、車が満タンになっているかどうかだけは確認するようになったよ、と言った。

とすると、やはり生き方を変えていることは間違いないのだ。
311で見えてきた日本社会の地肌は、今までの生き方をみなおすことを告げている。
知識としか知らなかった815以前の社会と311を生んだ今の社会は、連続線でつながっていた。

人は、どこまで変わるのだろう。
英語を習い始め中学校のときに
彼は昔の彼ならず、
という言葉をうれしがって、使っていたときが、あったが、
今も、あちこちで言いふらしたいような気がする。
その私の気楽さは、根が中学校時代とあまり変わっていないということか。




posted by 村のトイレ屋 at 08:55| 山口 ☀| Comment(0) | おしゃべり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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