2017年07月26日

包丁と砥石(下司さんを追悼して)

下司寛さんが7月19日に亡くなった。
22日に周南であった葬儀に参列した。

2013年の夏ぐらいからよく会うようになった。
今年4回目になる上関原発を建てさせない県民集会の準備を毎年一緒に行った。
原水禁の岡本博之さんとともに、事務局次長という役割だったので打合せも結構あり、雑談などもするようになった。

下司さんは、選挙運動のときには事務所に包丁を持って行くという話を聞いた。
もちろん、刃傷沙汰のためではなくて、料理のためだ。
葬儀のときにも、どなたかがこの話をしていて、台所に入って、その日買ってきた魚をたちまち3枚におろしてみんなにふるまったそうだ。土佐の高知の生まれの人には多いそうだ。

選挙は、コンビニ弁当でなく手作りの料理が一番が持論。
これは私も、佐賀県知事選や周防大島の田中さんの県議選の手伝いで、本当に実感した。
男女の関係なく適宜チームをつくり、面倒でも、食事は自前のものを用意し、食堂で候補者を迎えるのがいいと思った。そう思った私は、下司さんのように包丁を振るうほどの腕はないので、砥石で包丁を研ぐくことに専念した。作業の合間合間に包丁を研ぐのである。
周防大島では、重宝されて、事務所に出入りする主婦が包丁をもってきて研がせてくれたこともあった。

下司さんに、この話をしながら、互いの料理のレパートリーを比べあったが、全然話にならないくらい格段の差があった。数の少ない私は、味噌汁も奥が深いよ、と突っ張ったが、ふふっと笑っていた。
「それはそうと、ぜひ、あったか村に連れってほしい。山の中の電気のない小屋で泊まるのもいいよね」と言われていたことを今、思い出した。七輪の炭と竈の薪の料理を何か考えようと計画していたのだ。
それは、永遠に叶わぬことになってしまった。

なぜだか波長がよくあった。
同じ世代ということもあるだろう。
論議をふっかけてもじわ〜と受け止めてくれるところが私にはありがたかった。
私は、夏には強くて暑くても体は大丈夫だけれど、今年の夏は、夏の入り口でいきなり大きな支えを失い打撃を受け、悲しみと喪失感で全然元気が出ない。年をとると体の痛みや疲れが遅れて出るが、心の傷もそうなのだろうか。だんだん、悲しく憂鬱になる。戦争や核による被曝、人々の犠牲の上になりたつ原発。世の中を変えたい。それを願う道半ばで倒れた多くの人々も去来する。それが悲しさを誘うのだろうか。そうならば、若い草地さんの追悼文に励まされながら、意志を引き継ぐことに気持ちを向けていかねば。

これから包丁を研ぐ度に下司さんのことを考えるだろう。
あの世で会うときには、料理のレパートリーを少しは増やして、ちょっとは自慢したいものだ。
もちろん、愚の骨頂、上関原発計画などは白紙に戻り、原発に頼らない社会をつくり出す見通しがくっきりたっていることも報告したいものだ。

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 草地大作さんから追悼の言葉が寄せられましたので掲載します。
 草地さんは、2013年から2015年にかけて、上関原発を建てさせない山口県民連絡会の事務局長として、下司さんとともに県民集会の成功に取り組んできました。


  上関原発を建てさせない。
  下司さんの意志をともに引き継ぎましょう。

                           草地 大作
皆さん、大変ご無沙汰いたしております。
愛知県名古屋市の草地大作です。
 下司寛さんの突然の訃報に接し、言葉を失っています。
 山口を離れても 上関原発のこと、皆さんの粘り強い運動、上関原発を建てさせない山口県民大集会が継続していること、とても 喜ばしく受け止めてきました。
 このたびの、下司さんの訃報を受け取り、これまでのご無沙汰をお詫びしつつどうしても一言お悔やみの言葉を述べたく思います。
 下司さんとは、上関原発を建てさせない山口県民連絡会が結成 される以前に、原発ゼロの会やまぐちが立ち上がった頃から行動を共にしてきました。全県的で統一的取り組みをという願いを実現するため、一度仕切り直しをした方が良い、と提案したわたしの声を、下司さんは否定することなく聞いてくださり、「では一緒に、自治労県本部に出かけましょう。そこで共に行動するための話し合いを しましょう」と提案してくださいました。

 あの話し合いがなされたのが 2013年9月だったでしょうか。あそこから、上関原発を建てさせない 山口県民大集会は動き出しました。下司さんの懐の広さ、包容力、 そういったものが、全県的な上関原発を建てさせない活動への 扉を開く大きな力だったことを思い返しています。

 被曝72年の記念日を前に、過労がたたったのでしょうか。本当に たくさんの方々が、悲しんでいらっしゃることと思います。わたしも その一人です。どうか、下司さんの魂が今、平安でありますように。
 上関原発を建てさせない山口県民大集会にとっても、重要な働き人の 喪失は大きな痛みとなろうかと思います。でも、どうかこんな時こそ、皆が持てる力を寄せ合い、下司さんの遺志を受け継いでいただきたいと 勝手ながら思っています。離れた場所にいる人間が何を言っているか、と 思われるであろうことを承知の上で、今、エールをお送りします。

 上関原発は絶対に建てさせてはならないとの思いを、名古屋の地で 共有しつつ、わたしもできる協力をこれからもさせていただきます。
 心から、下司さんのご冥福をお祈りしつつ、共にその遺志を受け継ぎ、 上関原発を建てさせないための活動を継続していきましょう。

 皆さんの悲しみの上にも慰めがありますように。 (2017年7月20日) 

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下司さん.jpg

posted by 村のトイレ屋 at 23:50| 山口 ☁| Comment(0) | おしゃべり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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