2017年03月06日

アンダーコントロール

2011年の3.11から6年。

思うことは多々ある。

でも、一番悔しいのは、福島の原発の現状と福島だけでなく関東東北の被ばくした人々に対して、とくに子どもたちに対して、放射能汚染の被害を開きなおっている現実がまかり通っていることだ。

オリンピック誘致に際して「アンダーコントロール」などと平然と言っている人間が総理大臣だということだ。日本社会はそれで、放射能無防備・無責任な拡散社会になっている。
放射能は、誰もが制御できないということを日に日に立証しているだけではないか。

原発事故がアンダーコントロールされているのではない。

物言わぬ民に国民がされていること、国民世論が抑え込まれ支配管理下にあるということなのだ。

3・11に関するいっさいの行事は、「私たちはアンダーコントロールされるのはもうごめんだ」の声にする必要があると思う。物言わぬ奴隷の現状を破るものとして3・11は語られる必要があると思う。
なにもおおげさなことではない。ごく普通の声が通りさえすればいいのだ。



posted by 村のトイレ屋 at 12:40| 山口 ☁| Comment(0) | 政治を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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