2017年02月28日

原発を止める地域の力(豊北町)

山口県は、原発を止め続けてきた県だ。

北から、
田万川町(現在、萩市)。
阿武町。 話が持ち込まれたが瞬時に当時の町長が拒否したと聞いている。
萩市三見。
豊北町(現在、下関市豊北町)

今、山口県に原発はない。
上関は、計画はあるが、そして県知事が公有水面の埋め立てを許可しているが、原発が建っているわけではない。

さて、その中で豊北町の計画を中止に追い込んだ経験者を浜野さんが訪ねて、その事実と教訓の掘り起こしを行っている。昨年の上関原発を建てさせない県民大集会でメッセージが披露された。今年は、訪問したときのの話の中身を、2月25日に開かれた西部地域の賛同人集会で討議資料として配布し報告している。

福島の原発事故をめぐって、ノーベル文学賞受賞の作家、スベトラーナ・アレクシエービッチさんが、「日本には抵抗の文化がない」と言ったのは、私たちの周辺で、「そうだなあ〜、今のままではなあ」という複雑な気分で受け止められているが、必ずしも抵抗の文化がなかったわけではない。

山口県でも豊北では、原発誘致を進める「うえの人たち」を暮らしと生存をかけて、止めた「したの人たち」との激しい攻防があり、原発推進を一方的に進めてきた人物たちを地域や漁協の役員から降ろして、町長もかえ、「原発をつくらせない」と印を押させた実績があるのだ。

その人たちは、福島の事故のあと、魚を獲れない・売れない福島の漁民の姿をみて、
「あのとき原発を止めて本当によかった。おじさん、おばさんたちが奔走してくれて本当によかった」と語っている。背中におんぶされてよその地域に説得に出かけた(連れて行かれた)経験も語られている。

私が小学校のとき、室原知幸さんさんという人がダムに反対して激しい抵抗を示していた。近所の人や従兄弟たちの賞賛の言葉を今も覚えている。それは、松下竜一著「砦に拠る」で今は詳しく知ることができる。
そこにも抵抗の姿がある。
豊北の場合は、ひとりではないのが大きなちがいだ。漁民がほぼみんなで動いている。

また、漁民だけでなく、当時の山口県内の労働組合も応援に参加している。
浜野さんも、若い頃、役場の座り込みに参加していたと語っている。

以上から言えることは、地域に抵抗の文化がないのではない、ということだ。
あっても、記憶が風化される、また、意識的に消されて伝わらないようにされているということだ。

私たちは、上関原発をめぐって大切な選択の時期を迎えている。
このまま、山口県知事の公有水面埋め立て許可によって、なし崩し的に原発が建てられてしまうのか
それとも、県民の原発いらないの声を正当に表現し、原発建設を中止に追い込むか。

豊北原発を止めた地域の力は、決して過去のものではない。
今、本当に必要なことだ。昔話にしてはいけない。
時代や世代が変わろうとも、為政者の圧政・暴政、理不尽な暮らしの破壊に対しては、一人ひとりが手をつないで対抗して行くということには変わりがない。

ある集落では、お寺に集まって原発推進の根回しのもと説明会が開かれたとき、ひとりだけの反対だったという。しかし、そのひとりの反対の声が集落全体に広がり、役場まで押しかけるようになったという。
今、私たちは、祝島の島民の35年間のたたかいがある。また、県内全域に実行委員会がつくられている。
豊北や県内各地の抵抗の文化を掘り起こし学びながら、現代バージョンの抵抗で上関原発を葬り去りたいものだ。山口県北部(日本海側)で原発を止めた地域の力は、瀬戸内側にも内在するはずだ。
3月25日の上関原発を建てさせない県民大集会2017 (山口市 維新公園)はそれを示す場だ。

山口県には原発がない。山口県には原発はいらない。
そして、日本にもアジアにも世界中に原発はいらないのだ。

参考・拡散希望
2月25日に配布された浜野さんの報告(討議資料)
豊北訪問の記録浜野勝.pdf

posted by 村のトイレ屋 at 12:37| 山口 ☀| Comment(0) | 上関原発白紙撤回。避難移住者支援。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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