2016年06月20日

「第二の加害者」としての本土住民。沖縄県民大会、玉城愛さんの発言

昨日開かれた、「元海兵隊員による残虐な蛮行を糾弾! 被害者を追悼し、沖縄から海兵隊の撤退を求める県民大会」のなかで玉城愛さんのあいさつが強く印象に残った。

次の一節である。
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安倍晋三さん。日本本土にお住まいのみなさん。今回の事件の「第二の加害者」は、あなたたちです。しっかり、沖縄に向き合っていただけませんか。いつまで私たち沖縄県民は、ばかにされるのでしょうか。パトカーを増やして護身術を学べば、私たちの命は安全になるのか。ばかにしないでください。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜

安倍晋三首相と私たち、本土住民は同じ地平にいるのだ。
安倍さんとは違う、あそこまで戦争好きで、沖縄の基地を強化するために辺野古の基地をつくろうとしている。そんなことは私たちは考えていない、1日も早い基地撤去を願っている・・・と言っても、現に政府が進める政策は、基地の固定化だ。強化だ。
米軍基地の撤去、海兵隊の撤退のために動かないばかりか、宮古にも自衛隊基地をつくろうとしている。
戦争挑発そのものだ。
「日本を守る」と称して、ますます沖縄に犠牲を押し付けようとしている。

それをじっと黙ってみているものは、「第二の加害者」そのものだ。

彼女は、後半で次のようにも言っている。
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生きる尊厳と生きる時間が、軍隊によって否定される。命を奪うことが正当化される。こんなばかばかしい社会を、誰が作ったの。このような問いをもって日々を過ごし、深く考えれば考えるほど、私に責任がある、私が当事者だという思いが、日に日に増していきます。
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戦争によって命が踏みにじられる社会、大量殺戮が正当化され、あまつさえ賛美される社会。
この現実をかえないで沈黙の殻に閉じこもることは、一見、安易な道だ。
でも、被害者にもされ、もう一方では手を殺戮に手を貸す加害者にもなる。

だれもが責任があり、当事者だ。

沖縄から遠く本土で、基地の轟音を話にしか知らず、のうのうと生きてきた。
2011年3・11で知った現実が、各所で血を吹いている。
今は、今度の選挙で、一歩でも現実を変え、自分の持ち場で「第二の加害者」になることを拒否する意志を示したい。



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20160619沖縄県民大会.JPG



参考
玉城愛さんあいさつ(全文)

琉球新報から
http://ryukyushimpo.jp/news/entry-301239.html

 オール沖縄会議共同代表の玉城愛さん(21)のスピーチ全文は次の通り。

 被害に遭われた女性へ。絶対に忘れないでください。あなたのことを思い、多くの県民が涙し、怒り、悲しみ、言葉にならない重くのしかかるものを抱いていることを絶対に忘れないでください。

 あなたと面識のない私が発言することによって、あなたやあなたがこれまで大切にされてきた人々を傷つけていないかと日々葛藤しながら、しかし黙りたくない。そういう思いを持っています。どうぞお許しください。あなたとあなたのご家族、あなたの大切な人々に平安と慰めが永遠にありますように、私も祈り続けます。

 安倍晋三さん。日本本土にお住まいのみなさん。今回の事件の「第二の加害者」は、あなたたちです。しっかり、沖縄に向き合っていただけませんか。いつまで私たち沖縄県民は、ばかにされるのでしょうか。パトカーを増やして護身術を学べば、私たちの命は安全になるのか。ばかにしないでください。

 軍隊の本質は人間の命を奪うことだと、大学で学びました。再発防止や綱紀粛正などという使い古された幼稚で安易な提案は意味を持たず、軍隊の本質から目をそらす貧相なもので、何の意味もありません。

 バラク・オバマさん。アメリカから日本を解放してください。そうでなければ、沖縄に自由とか民主主義が存在しないのです。私たちは奴隷ではない。あなたや米国市民と同じ人間です。オバマさん、米国に住む市民のみなさん、被害者とウチナーンチュ(沖縄の人)に真剣に向き合い、謝ってください。

 自分の国が一番と誇るということは結構なのですが、人間の命の価値が分からない国、人殺しの国と言われていることを、ご存じですか。軍隊や戦争に対する本質的な部分を、アメリカが自らアメリカに住む市民の一人として問い直すべきだと、私は思います。

 会場にお集まりのみなさん。幸せに生きるって何なのでしょうか。一人一人が大切にされる社会とは、どんな形をしているのでしょうか。大切な人が隣にいる幸せ、人間の命こそ宝なのだという沖縄の精神、私はウチナーンチュであることに誇りを持っています。

 私自身は、どんな沖縄で生きていきたいのか、私が守るべき、私が生きる意味を考えるということは何なのか、日々重くのしかかるものを抱えながら現在生きています。

 私の幸せな生活は、県民一人一人の幸せにつながる、県民みんなの幸せが私の幸せである沖縄の社会。私は、家族や私のことを大切にしてくれる方たちと一緒に今生きてはいるのですが、全く幸せではありません。

 同じ世代の女性の命が奪われる。もしかしたら、私だったかもしれない。私の友人だったかもしれない。信頼している社会に裏切られる。何かわからないものが私をつぶそうとしている感覚は、絶対に忘れません。

 生きる尊厳と生きる時間が、軍隊によって否定される。命を奪うことが正当化される。こんなばかばかしい社会を、誰が作ったの。このような問いをもって日々を過ごし、深く考えれば考えるほど、私に責任がある、私が当事者だという思いが、日に日に増していきます。

 彼女が奪われた生きる時間の分、私たちはウチナーンチュとして、一人の市民として、誇り高く責任を持って生きていきませんか。もう絶対に繰り返さない。沖縄から人間の生きる時間、人間の生きる時間の価値、命には深くて誇るべき価値があるのだという沖縄の精神を、声高々と上げていきましょう。
posted by 村のトイレ屋 at 16:44| 山口 ☔| Comment(0) | 反戦・平和 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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