2015年07月05日

有川浩著『県庁おもてなし課』

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読みだしたらとまらず、一気に読んでしまった。

高知県がモデル。
ただし、県庁に「おもてなし課」はあるが、「パンダ誘致論」はフィクションだと書かれている。

テレビや映画になっているだろう。

1キロはあるという市場に行ってみたくなった。

ゆずの馬路村は、本気で調べようと思った。

いくら県庁に恨みがあると言っても、いきなり訪問者にバケツの水をかけることはないだろう。
こういう誇張が、ライトノベルの人を惹きつけるところなんよね、という感想を言っている人がいた。

県庁の公務員は、「人の時間を水道の水をじゃぶじゃぶ流しぱなしにするように無駄に使う」という表現が何回かでてくる。公務員パッシングの決まりきった表現で、私はあまり好きではない。
それなりの時間がかかるのだろうと理解してもいいのではないか、スローな時間感覚を東京並のスピード感ぶって壊さなくてもいいのではないかとも思う。

でも、山口県庁の上関原発に対する時間感覚は完全におかしい。
決定を実質下すのが山口県庁(知事)だとわかっていながら、責任をとることを逃げまわり、公有水面問題では、7度目の再質問を行って、またもや上関町や祝島の人々のまちづくり・地域おこしの展望をたてつことさえできないようにしている。それを33年間も続けているのだ。

地域住民の時間(人生)を何だと思っているのだ。
小説では、一ヶ月間業務判断を放置して、叱られる場面が冒頭にあるのだけれど、およそ単位も重さもダメージドも違う。

行政は、公平を旨とする。
この本にも何度も書かれている。またいろいろなところでも聞くことだ。
特定の個人や団体に偏った利益供与はできない、と。
では、中電の公有水面埋立てをめぐる措置は、どこからみても公平と本当に言えるのか。
大企業だから、国策だから、原発だから、・・・さまざまな言葉が、県知事や担当部局の答弁には表れている。マスコミもそれを前提にして批判しないまま、おざなりの報道を続けている。
先日の井原すが子県議の「山口県は、国が上関原発をつくる、新設増設を認めるまでこのまま再質問を続けるというのが本音ではないですか、答えて下さい」という再質問には、否定の反論をしていないのだ。

まだまだ、県民(とくに上関町の町民)の時間を「じゃぶじゃぶ」と浪費し続けるのだろうか。

この本は、各県各地域に観光を軸にする地域おこしを扱っていて、定番の本になるだろう。
舞台は高知県だが、普遍的に役にたつことが書かれている。

それにしても思うのだ。
原発がないということ、原発の計画がないこと言うことは、どれほど、観光にとって有利なことか、と。
「なんにもない、豊かな自然がある、光がある」などと、さまざまなキャッチコピーを作って、プロのカメラマンが腕によりをかけて写真をとっても、そこに原発のドームが写っていては、誰も寄りつくまい。宣伝意欲もなくなろう。

上関のみなさんにとっては、県庁への恨みは、水をかける程度ではすまないということを山口県民、行政関係者は知るべきだろう。そして、観光推進本の定番として本書を活かそうと思ったら、まず何よりも、難しいことではない、上関原発の公有水面埋立て免許をいったん白紙にして、それから瀬戸内の恵まれた観光資源の活用を考えるべきであろう。




posted by 村のトイレ屋 at 09:00| 山口 ☁| Comment(0) | 日誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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