2015年03月28日

【戦争とは?】国会議事堂前が、いも畑。斎藤美奈子著『戦下のレシピ』

戦下のレシピ国会議事堂前.jpg



斎藤美奈子著『戦下のレシピ〜太平洋戦争下の食を知る〜』
 2002 岩波アクティブ新書


「戦争ってやむを得ないのではないかなあ〜」とぼんやり考えている人がいたら、ぜひ読んで欲しい本。
戦争は絶対に嫌だ!
私は骨の髄からそう思っているけれど、祖父、父や母や身近な人からこの本に書かれたことを聞かされてきたことが大きいに違いない。
幼い時に、葛の根っこの食べ方を教えてもらったことがある。
「いざとなれば食べられないものはないのだ、覚えておけ」と言われた。
そのいざとなればの「いざ」が戦争だ。

著書は、本のタイトルを「戦下のレシピ」としたことを次のように説明している。
〜〜〜〜〜〜〜
戦争になれば同じことが起きる。戦争の影響で食糧がなくなるのではない。食糧がなくなることが戦争なのだ。その意味で、先の戦争下における人々の暮らしは「銃後」でも「戦時」でもなく「戦」そのものだった。だから「戦時下」ではなく「戦下」のレシピなのである。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

なぜ、そう言えるのか、あるいは「なぜ戦争は食糧難を招くのか」は、174ページからまとめ的に書かれている。
「戦争は戦闘や空襲のことだと思ってしまいがちだ。しかし、戦闘は戦争のほんの一部分でしかない」という指摘につきるが、そうした概念規定を考えるのが本書の目的ではない。
この本の本領は、絶対的な食の窮乏にむかって行く姿が婦人雑誌のレシピを通して、ことこまかに描かれているところにある。
「趣味的な献立」から「サバイバルマニュアル」と見紛うものへの変遷。
135ページには、国会議事堂前の空き地で芋を栽培している写真が載せられている。雑炊食堂についても記載がある。
茶殻の使い方の説明もある。
もちろん、「野草の食べ方」も詳しく載せられている。

余分な一言。
以上のことからレシピを試すことはいいと思うけれど、安直に「サバイバル本」としてしまって、戦争と切り離してしまうことには反対だ。
著者の東京新聞の切れ味鋭いコラムと合わせて読むといいと思う。
食から戦争を考える基礎資料として貴重だ。

以上のフェースブックの投稿に、福島県葛尾村から山口県阿武町に避難移住されてる浅野容子さんから次のようなコメントをいただいた。

〜〜〜〜〜〜〜
具体的なレシピを読んで想像するだけでも、へなちょこの私は「寝不足で、重労働で飯がない」毎日には耐えられそうもありません。声を大にして叫ぼう、「こんな生活が来る日も来る日も来る日も来る日も続くのは絶対嫌だ!」(あとがきより引用)
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引用していただいたところが著書の一番言いたいところだろう。
戦争とは「寝不足、重労働、飢え」。それらをすべて我慢したとしても、何をやっているかといえば「人殺しと略奪への加担」だ。侵略戦争と植民地主義そのものの犯罪の加害者だ。被害者として苦しい思いをしながら、実際は最悪の加害者だ。

世界中から食物をかき集め、コンビニの売れ残り食品は廃棄物に回されている飽食・日本。
だから、戦争による餓えと窮乏は、想像しにくにかもしれない。
でも、これは実際に起こったことなのだ。

今、国会では、侵略用語・八紘一宇が平然と語られ、首相・官房長官が自衛隊を「わが軍」と言って憚らないでいる。さらに沖縄では、沖縄県民の民意を踏みにじり辺野古に新軍事基地をつくろうとしている。

私は、大都市にもっと農地があっていいと思うが、戦争という「いざ」のときに追い詰められて農地を作ることには、絶対お断りだ。
もっとも、国会前をいも畑にして国会議員全員が自分で鍬を振って「戦下のレシピ」を体験し、平和学習するというなら大賛成だけど。



posted by 村のトイレ屋 at 09:28| 山口 ☀| Comment(0) | 反戦・平和 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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