2015年02月09日

【肥溜めと畑の循環】 『京都〈千年の都〉の歴史』 (岩波新書)。 2月22日午後2時から糞尿資源研究会です。

第2回の糞尿資源研究会(仮称)は、2月22日午後2時から山口市道場門前 はりはりです。参加費200円

そのときの参考書ともなり、話題として恰好な本の書評が毎日新聞に載っていました。

私たちが、訴えている「肥溜めから畑への循環」が京都をモデルに紹介されています。

肥溜めと畑の関係は、
小規模にみれば、まずは一戸の家とその家の便槽、そして畑の側の肥溜め、さらに畑ないしは水田への循環です。
さらに、それが都市と農村の物質循環の関係となっているのが、この本で紹介されている京都と周辺農村の野菜つくりです。

京野菜、また京都の漬物は有名ですが、もともと都市からの「廃棄物=糞尿=肥料資源の活用」としてつくられていることがわかって、興味深いですね。その前提に、公衆衛生上の病気の蔓延を防ぐということが重なっていて、ヨーロッパでは、下水道で解決したことと対比してみるとさらに興味深くなります。

この方式は、水処理のジャンルからすれば、下水道や合併浄化槽と異なって、嫌気性処理+土壌還元に、肥料資源の活用をプラスしたものです。従って、原発のない社会を望み、電力の大量消費を抑えたい私たちからすれば、電気を極力使わないで済む方式です。

京都に限らず、江戸をはじめ多くの都市が周辺農村との循環関係をつくりました。西の京・山口でも、住宅密集部と大内などの農村地域での役割分担を指摘することばがいくつか残っています。

さて、問題は、このような循環を現代にどのように甦らせるか?です。
個別の「肥溜めと畑のある生活」(農ある生活の一形態)と
都市=農村まるごとの循環の創造。

防災、電気エネルギー問題、地域のあり方を含めて包摂的に考えないと先へ進まない課題でしょうか。

今度の第2回糞尿資源研究会(仮称)では、防災(災害時の便所)の問題に焦点を当てながら、この問題をみなさんと協議したいと思います。とりあえず、私が「災害時にはポットントイレが一番」という災害時の避難所の便所の話題を提供し、論議をすすめます。

茶菓一品持ちより、アイデア持ち寄りでご参加ください。


糞尿資源研究会(仮称)事務局 
連絡:あったか村  嶺井さん 080-3961-3845
http://attakamura.jimdo.com/ 水環境 の項を参照下さい。


参考
高橋 昌明著『京都〈千年の都〉の歴史 』(岩波新書)

井波律子さんの書評
毎日新聞 2015/02/08
http://mainichi.jp/shimen/news/20150208ddm015070013000c.html
〜〜〜〜〜〜〜一部引用〜〜〜〜〜〜
本書はまた、千年の都のいわば「裏の顔」「陰の部分」にもスポットを当てており、このくだりが出色である。すなわち、平安京は排泄(はいせつ)物や塵芥(じんかい)の処理がはなはだ杜撰(ずさん)で、何もかも側溝に流し込んだ。このため側溝は汚物であふれかえり、悪臭芬々(ふんぷん)、しばしば疫病が蔓延(まんえん)するなど、衛生環境は最悪だった。とんだ花の都である。

 こうした状態は長くつづくが、十六世紀に入ると、汲(く)み取り式の便所が普及し、衛生環境が大いに改善される。著者は『聚楽第行幸図屏風(じゅらくだいぎょうこうずびょうぶ)』などの屏風絵によってこれに注目し、「汲みとり式便所の普及は、農業の発展にともなって、肥料への需要が高まり、都市の人糞尿が注目されてゆくことと関係があろう」と述べる。

 さらにまた、スグキ、九条ネギ、壬生菜(みぶな)等々、京野菜のおいしさには定評があるが、これも早い時期に汲み取り式が普及したことが幸いしており、こうして効率よく排泄物を処理すると同時に、京都の街路および家屋の清潔さは、世界的にきわだつに至ったとされる。卓見というほかない。

 汚物をやみくもに遠ざけるだけでなく、有効活用するとは、これまた千年の都のしたたかさ、懐の深さなのであろう。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜



posted by 村のトイレ屋 at 08:17| 山口 ☁| Comment(0) | 便所 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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