2014年09月27日

10月1日「慰霊の日の集い」瑠璃光寺で。磯野恭子さんのコラム。岩波新書小川津根子「祖国よ」

今朝の毎日新聞の山口版コラム

磯野恭子さんのコラムで言及されている。

磯野恭子さん毎日.jpg


今年も、10月1日瑠璃光寺で「慰霊の集い」が行われる。
県立大学で勉強していたときに、たまたまこの集いのことを知った。
以来、毎年寄せてもらっているが、毎年、申し訳ない思いで参加する。
というのは、これほど大切な行事はなかろうと思うのに、世間にあまり知られず、しかも関係者の高齢化はどんどん進む。山口県と山口市の儀礼的な挨拶以外は、県議会議員の佐々木あけみさんの心の篭った挨拶文紹介があるだけだ。
私にしても、いつも一年かけて大きく宣伝したいと思いつつ、その日を迎えてしまう。
今年は、一人だけ、新参加者を得て、彼とは、今後も日中、日韓の近現代史、東アジア民衆史の勉強会をやろうと話している。それだけが、1年間の進歩だから無力感にさいなまれる。

中国、韓国への安倍政権の距離の取り方は、異常だ。
世界中を訪問するのに、近隣2国に行かない。
こんな外交はありえないだろう。それ自体で喧嘩をうっているようなものだ。
この点からも、「慰霊の日集い」の意味は、大きいと思う。

もう一つ、福島との関連だ。
いずれどなたか詳論するだろうが、「中国残留婦人」の問題の中には、日本政府の伝統的な棄民政策が凝縮されている。国策として推進する。しかし、その無残な破綻と民衆の犠牲には何一つ考慮を払わない。責任をとろうとしない。福島と原発。「満州」と「残留婦人」。まったく同じ構図の棄民政策がある。

小川根津子著『祖国よ〜「中国残留婦人」の半生記〜』には、「残留」という言葉は、自分の意志で残ったような印象を与え誤解を招くと指摘している。棄民として見捨てられた現実をごまかすものと書かれている。福島では放射能安全神話がばらまかれ、自分の意志で残ったかのように被曝の責任逃れが始まっている。放射能汚染と対峙する福島県民、とくに子どもたちは1日もはやく疎開(避難移住)すべきなのだ。

祖国よ.jpg


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高齢化の波は、どこにも押し寄せる。
でも、こんな貴重な歴史の証言とそれを残そうという人々の思いまで流しさっていいわけがない。
世話人代表の磯野恭子さんをはじめ、みなさまの努力に感謝しつつ、今年も参させていただきたいと思う。


〜〜〜〜〜〜〜
とき:10月1日(水) 13:30〜16:00
ところ:瑠璃光寺本堂 
     (奥の墓地にある「慰霊の碑」の参拝は各自でとのことです)
主催:中国残留婦人交流の会(世話人代表 磯野 恭子) 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

昨年の記事
http://atta-an.seesaa.net/article/374564045.html



posted by 村のトイレ屋 at 14:03| 山口 ☁| Comment(0) | 反戦・平和 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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