2014年09月07日

梅雨空に『九条守れ』の女性デモ  さいたま市の公民館の俳句掲載基準についての会話


こんな会話をシルバーふれあいセンターで二人の高齢者がしているのを聞いたのでメモしておく。
シルバーなんてついた建物にはあまり行きたくないのだけれどよく会合で使うので行く。行くと喫茶室で隣の囲碁室から出てきた人が暇そうに話している。
昨日は、昼にサンドイッチを注文して待つ間に、こんな会話を聞いた。
ちなみに、働いている人もシルバー世代なので注文してから出てくるまでの時間もゆったりしているので、二人の会話をゆっくり聞くことができた。
毎日新聞の読者の声の投稿をめぐってであることが、途中でわかった。
後ろに掲載しておきます。

京大俳句事件については、私も知らなかったので今度調べようと思う。

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「この俳句は、公民館だよりにふさわしくないんだって、それで、俳句サークルは選んだのに公民館だよりには載せられないで、騒ぎになっているんだって」

「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ この句のなにが悪いの?・・・というか、選んだものを大体、載せているんではないの、検閲のようなものがあるの?」

「さあ、どうだろうね、ヘイトスピーチのようなことがあるから、公民館がチェックしているんではないの」

「公民館って、市役所の管轄なのはわかるが、市役所の職員が管理して、発行物をチェックしているの?」

「記事には、市の職員が掲載しない理由を説明したとなっているから、市の判断なんだろうね」

「僕はねえ、いつも思うんだけど、この中立という言い方ね、疑問なのよ、というか、憲法問題に役所は中立ではいけないのではないか、と思っているわけよ」

「どういうこと?」

「だって、憲法でしょう。変更されるまでは変更されて発効されるギリギリまでは、憲法に忠実なのが、役所のあり方でしょうが・・・すべての役所は、法律に基礎づけられているわけよね、法律に存在の根拠があるんだよ。公務員の一挙手一投足は、勤務時間の間はだよ、法律に規定されて動きが決められているのよ。そして、その大本になるのが、憲法なんだよ」

「それは、よくわかる。日本は法治国家だというときに、説明されるよね、公務員試験でもそういう説明してそういう回答を書かないと落ちるだろうね」

「僕の聞いた話では、警察官は、胸に手をあてて憲法に忠誠を誓います、と就職するときに宣誓すると言っていたよ。それくらい憲法が中心だろう」

「まあ、そうだね」

「なら、その憲法に変更したいとか自分の解釈はこうだとかいう意見は当然あっていいと思うけれど、変更されるまでは、順守するのが、役所なり公務員の当然の態度であるはずだよね」

「そらそうだ、そうでなければ、憲法の位置がなんだかどうでもいいものにされてしまうよね」

「そうだろう、だったら、9条守れという市民の意見があったら、俳句のような間接的なものでなくて、もっとストレートなものであっても、その通りですね、憲法に忠実には私たちの姿勢でもあります、喜んで掲載します、となるのではないのかあ、ということなんだよね。デモもどんどんやってください、一緒に守りましょうというのは言いすぎだとしても、それでも論理的にはおかしくないよ」

「ああ、なるほど。でも、多くのところで憲法9条の会の主催する集まりや憲法9条を守れという学習会なども、中立でないからと市はの後援などもをしないそうだね。」

「そうなんだよ、おかしいと思わない?」

「そうなんだけれど、役所の肩をもつわけではないが、憲法9条は政治的な課題となってしまって、市民に意見が割れていて、どこかに味方することができないから、中立と言っているんではないかなあ」

「ふ〜ん、それでは意見が分かれれば、憲法には忠実でなくて、簡単に守る立場を捨てていいの?」

「いやあ、そうではないけれど、本音としては、役所の人間は、憲法9条を守るほうが少ないと思っていて、抗議の声が少ないと思って、中立と言っているのではないかなあ、分からないけれど、想像だよ・・」

「議会の力関係で、中立の姿勢をとらないと議会多数派から抗議されるとか他のことで協力されなかったり、するという意味かい?」

「それもあるかなあ。」

「それもでもおかしいよね、憲法が改憲されているわけでないから、改憲されるまでは護憲の立場が行政の立場だろう」

「う〜ん、そうだよね、・・・でも、たとえば市長とか町長が9条の変えたいという立場にたって強くリーダーシップを発揮したら・・・職員は顔色をうかがうだろう」

「さいたま市の場合は、そんなケースなの?」

「いや、わからない」

「でも、それもおかしいよね、首長だって憲法に忠実でなければいけないだろう」

「そうだよね、でもこれは仮定の話なんだけれど、憲法9条と憲法をほとんど全部を変えようと公約して、1例として、自民党の改憲案を掲げて、それ一本で当選した市長がいたとするよね、その場合、その市はどうなるんだろうね、日本国憲法とどういう関係にたつんだろうね。」

「その場合については僕も遊びで考えたことがあるけれど、わりかし簡単なんだよ。自民党の改憲案は地方自治が制限されるから、地方が単独で何かできるようにならないんだよ、また、そんなことが起こったとしても日本からの一種の独立みたいなものだからむつかしいんではないの?井上やすしの吉里吉里共和国の改憲派版だね」

「ふーん、そうなの。でも、今の自治体が、別に憲法を変えたわけでもないのに、中立と言いつつ、護憲派の意見を載せなかったり、俳句に目くじらを立てたりするのは、実質、勝手に日本から独立しているみたいじゃあないかなあ。改憲を掲げて当選しているわけでもないのに憲法に忠実でなくて中立というのは、それはおかしいよ。」

「おや、君も同じ疑問をもってくれるわけだね」

「いやあ、君とは同じかどうかはわからないよ、でも、正式に憲法が変更されているわけでもないのに独立したのと同じような扱いしているのは、おかしいと言っているんだよ。僕の場合は純粋に形式論だよ。君の場合は、9条への思い入れがあって、おかしいと言っているんだろう。僕はちょっと違う」

「ふ〜ん、まあ僕の疑問に近いと思うけれど・・・でも、正しさが転倒していることは間違いないよね」

「そうだよね、ところでここに京大俳句事件てあるけれど、これ知っている?」

「いやあ、知らない。初めて聞いた。なんだろうねえ」


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投稿:みんなの広場:俳句の掲載中止に「恐れ入る」
http://mainichi.jp/shimen/news/みんなの広場:俳句の掲載中止に「恐れ入る」=無職・植木國夫・73
毎日新聞 2014年09月07日 東京朝刊
 (福島市)
 さいたま市の公民館が「公民館だより」の俳句コーナーに、サークルが選んだ俳句の掲載をとりやめたという。その句は「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」で、「世論が大きく分かれる問題で一方の意見だけ載せられない」からだとか。
 俳壇の大御所、金子兜太氏は「社会の一事象と言えるほどの動きを柔らかく優しく書きとめた俳句に、大の男が大騒ぎするとは恐れ入った」と評し、「九条の緑陰の国台風来」と詠んでいる。

 私は原発事故の実相を知ってもらいたいとの願いを込めて、原発の句を作っては投稿している。私がそう思っていても、原発再稼働をしたがる勢力からすれば「世論が分かれる」。そう言ってしまえば、社会の多くの出来事はその範囲に入ってしまう。

 西東三鬼という俳人の「昇降機しづかに雷の夜を昇る」の句が共産主義思想を高揚するとした「京大俳句事件」が想起される。身の回りに起こる怪しい出来事に敏感にならねばと思う。


記事:公民館月報:「9条守れ」俳句、次号以降も不掲載 さいたま市が方針 /埼玉
http://mainichi.jp/area/saitama/news/20140709ddlk11040265000c.html



posted by 村のトイレ屋 at 12:08| 山口 ☁| Comment(0) | 反戦・平和 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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