2014年07月19日

反対だけで、いいこともあるのではないか。

反戦コラム

いつの頃から言われだしたのか、誰が言い出したのか、定かではないが、運動周辺の批評家的な人からよく聞く言葉に
「反対ばかりではダメなのよ、提案的な積極性がなければいけないよ」
とか
「反対はマイナスイメージで反対を叫ぶ運動からは何も生まれないのでやらない」
という声が聞こえてきて、積極的対案のないものはダメだという風潮が出てきたように思う。

もっともだ、と思う場面はあるけれど、逆に考えるとそれで失ってきたものもずいぶんあるのではないか、とくに戦争をすすめる動きに対して、止めようとする運動は、「ただ反対」「嫌だ」というその一言だけで十分であって、(そのために批判的な分析などはもちろん必要だろうが)対案など考える必要も義務もないのではないか、と思う。

さらにいえば、「反対だけで肯定的なことがらのないものは声を出すべきではない」という心理的な呪縛を加えることで、反対運動を小さくし国民の意志の表明を抑えているのではないか、と思う。

原発は駄目だ。
放射能汚染に子どもをさらすな。
戦争は嫌だ。
憲法を壊すのは許せない。

こういうシンプルな事柄を根幹に強く据えて、声を広げていくことが、民主主義というものではないか、少なくともこの声に制約を加える呪縛は解く必要があると思う。

posted by 村のトイレ屋 at 14:05| 山口 ☁| Comment(0) | 反戦・平和 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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