2014年01月29日

昨日28日は、山口県知事選の説明会に行ってきた。細川護煕候補の演説)脱原発が第一の課題。

いくつかの脱原発グループの有志のみなさん数人と連絡をとったうえで、私がひとりで、山口県知事選挙の説明会に参加してきた。
説明を受け、資料をもらってきた。提出した書類の候補者欄は「未定」なので何も書かなかった。

マスコミの記者にわっと取り囲まれた。
「わあ〜、今日はいつものサンダルに素足でなくて磨いた靴ですね、安藤さんが出るんですか」という知り合いの記者の冗談混じりの冷やかしに、緊張して何も答えられなかった・・・と言うのは、嘘で幾つかを質問に答えて言った。もちろん、私が出るわけではありません。

山口の脱原発グループは、知事選立候補者の擁立を断念していないこと。
その理由は、
1,上関原発の公有水面埋立をめぐる前知事と自民党の公約破り、嘘は責任が追及されていないこと。きっぱりと上関原発計画の白紙撤回を実現すること。
2,3・8県民集会が準備されているが、多くの県民が最も望んているのは原発ゼロであることを明示的に示す必要があること。
3,東京の選挙と連動して、山口からも日本を変える波を起こすことが必要だし、可能であること。




東京は、知事選で燃えているようだ。

ある種の平和的な革命なんだろうな、と思う。

でも、時間がかかったなあ、と思う。






私の感覚では、3・11福島第一原発事故の直後少なくとも半年以内に、細川・小泉元両首相の発言が出てもおかしくないと感じていた。それに先立って、革新系の政治家からも「日本社会の存立の危機。脱原発こそ争点中の争点」「他に課題の上位概念としての原発ゼロ」「一元的に脱原発、他の課題はそこに収斂される」というような主張が表れ現実化すると思っていた。

ところが、革新系と言われる人も、保守系も、「脱原発は争点化しては選挙にならない」「負ける。他の課題も言わなければ」という人がだんだん増え、「脱原発一元化・諸課題はそれに従属」という思考法は、時間とともに薄れてきた。2012年の夏の山口県知事選では、自民党は「脱原発依存は当たり前」と争点化をかわして逃げ切った。2012年12月の衆議院選挙では、原発ゼロの争点化は「無残な失敗」と言われ、続く2013年春の参院山口補選では、山口県全域を平岡秀夫さんが「上関白紙撤回」「原発ゼロ」を争点化しようと奮闘し訴えたが(私たちは、このとき勝手連として応援した)大きな敗北を喫した。ここからも脱原発の争点化は難しいという意見が強くなった。
この間に、決まりきって言われたことがある。
「世論の6〜7割は脱原発なのに選挙には反映されない」と。
言い訳や分析が数多くなされた。
国政レベルの選挙に頼らず、地域で勝っていこう、身近に脱原発の根を張っていこう、という提案もなされた。

だが、つづく2013年の参議院選挙では、山本太郎さんが多くの若者ととともに原発ゼロ・福島の子どもたちの被曝回避を中心課題として訴え、東京で勝利し議席を得た。

デモがあり、集会講演会があり、映画会があり、ミニ学習会があり、署名活動があり、どれほど多くの人が、地域の中で動いたことだろう。
私たちが宇部で行っただけでも、小出裕章さんの講演会、木下黄太さん講演会、紀藤正樹弁護士講演会、矢ヶ崎克馬さん講演会、アーサー・ビナードさん講演会、そして毎週の金曜行動と研究会を欠かさず行ってきた。
ネットで書き込み、意見を述べ、人を誘った。
チラシを各戸に投げ込み、街頭に立ち、知らない人に声をかけた。

3・8山口県民集会の実現の中で明らかになったのは、決して宇部だけでなくほぼ全市で同じような取り組みが行われていて、互いに知る機会がなかったことである。糾合してもっと大きな力になることを知ったことである。

福島はもちろん、首都圏、全国で取組みの無数の蓄積がある。
それが、頑として再稼働を許さない原動力になっている。
それが、原発と原発につながるもの、改憲、特定秘密保護法案などの戦争準備の暴政への抵抗の力ともなっている。

ざっくり言って、小泉発言、細川出馬に先立つ日本の状況は、脱原発がいずれ最大課題にならざるをえない状況、紆余曲折を経て時間はかかりながらも、いずれ、火を吹く以外にない状況だったのである。

冷静に、俯瞰的に考えてみると、人々の暮らしのおかれた生活の基盤は、「すでに放射能に汚染されている福島や東日本」「今後、その健康被害の多発が嫌が上にも起こる」という事故以後の現実である。
そして首都直下型地震や全国のいつ起こってもおかしくない地震とその上に建てられている原子力発電所の存在という事実。

「もう一つ原発事故が起これば住めなくなる日本列島」という舞台。
 
人々はただ、そんな怖い話を直視したくないから、危機感に麻酔をかけるために娯楽を垂れ流し狂奔して、それを求めている。「放射能安全神話」が「原発安全神話」の別の姿であらわれる。他のさまざまな課題の中に(ひとつ一つはみんな大切な問題だったりする)逃げて苦痛を避けようとする。
2011年3月11日から、今日までさまざまな色合いを見せながら、日本列島の人々は、こうして月日を重ねてきた。福島と東日本の人は、鋭敏に。西日本では鈍感に。しかし東日本からの避難移住者に体感でことの大変さを教えられながら。

ものごとは、誰がどのような立場からいっても真実は真実だ。
小泉首相の指摘。
「原発推進をこのまま維持していくことは、日本という国の存亡を危うくする」
本当にだれも住めなくなる、列島は核廃棄物の処分場になり、全員国外へ出て行く以外になくなる。
日本は無くなる。

私たちは、この言葉にさらに、「低線量であっても内部被曝によって子々孫々まで健康被害は及び、10年20年後、さらに100年後には恐るべき健康被害に襲われることになる」と追加しなければならない。

原発即時ゼロの決断。
これだってもう遅いのだ。

「多くの課題の中の一つに並列」してはいけない。
東京都知事選であればこそ、「福島の子どもたちの放射能汚染からの救出」を第一に訴えないといけない。都会の繁栄は、福島や地方の犠牲の上に成り立っている。
政策のトップに放射能汚染の調査と対策をなぜあげないのか。東京の子どもたちは、福島の子どもたちにつづいて、危険な汚染状況下にあるのだ。本当にお願いだから、低線量内部被曝の怖さについて学んでほしい。

でも、大きな歴史の流れは、3・11から3年たって4年目を迎えようとしている今、変わり始めた。
変えたのは、私たちだ。さらに大きくするかしないかも私たちにかかっている。

都知事選をみつめつつ、今度は全国各地の番だ。
山口県から東京にインパクト与え、次の流れを加速させよう。
山口県知事には、原発の新規増設にトドメをさす大きな役割がある。上関原発の公有水面埋立ての不許可だ。知事印を押さないでおけば、なにもしないでもよい。なにもしないで歴史を変えるのだからたいしたものだ。

次に、西日本・山口県を放射能被曝から身を守り健康を回復する保養と避難・移住の場所にすることだ。知事が旗を降り、幾ばくかの予算を組むだけで大きく前進する。民間のボランティア団体の取り組みだけでは限度がある。蓄積されたノウハウを活かして、モデル地域を地域再生とドッキングさせて行っていく。安全安心に暮らせる地域を避難・移住者とともにつくっていくのだ。

若者の雇用の確保、産業の強化育成といくらいってみたところで、地域がいつ原発事故にさらされるか、放射能汚染に襲われるか不安では、すべては砂上の楼閣である。

東京の知事選は、ある意味では、避難移住のときの号令者、リーダーを選ぶ選挙でもある。地震や原発事故で今後起こるかもしれないというだけでなく、今の被害からの脱出逃避行も現実化する。オリンピックなんかに浮かれている場合か。そのとき、西日本は、安心して迎え入れられるのか、一緒に国外脱出をやむ得ず行うことになるのか。

選択肢は、私たちの前にはっきりと示されている。
3・11直後にすべき選択が、今、ようやく行われようとしている。
遅きに失したということのないように、行動したい。

「間に合いたければ急げ。」(むの たけじ)







posted by 村のトイレ屋 at 00:01| 山口 ☁| Comment(0) | 上関原発白紙撤回。避難移住者支援。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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