2013年05月03日

ちょっと立ち止まって復習(3)有馬実成師の思想と行動の残したもの

今日は、恒例の金曜ウォーク。
「あれ、先輩、何しているんですか?」という会話にはじまっておもしろい出会いがありました。
バイオディーゼル燃料の研究をしている人と仲間の一人が出会ったのです。今度、訪ねて行くことになりました。

途中のアピールタイムでは、憲法の集会に行ったこと、改憲の動き、96条改憲は止めなければいけないことなどが語られました。脱原発と改憲反対の取組の結びつきが必要なことがアピールされました。なお、横断幕は「安倍さん 山口に原発はいりません」を2枚。
明日からの馬替え市祭りの準備に来ていた高校生が注目していました。

7時からの緑橋教会での発表は、今日は私の番でした。
2年前、2011年2月に提出した私の修士論文の一節を参考に配布しました。
また、浅野容子さんの管直人さんへのお願いの文書をコピーして配布しました。
福島の原発事故の避難者移住者を「国内難民」と規定した文書です。

今、福島からの避難移住者の迎え入れを始めるにあたって、大きく困難の予想される事業なだけに、基礎的な(あくまでも基礎的な)確認を行なっておきたいと自分なりに考えたからです。

行動者・組織者としての有馬実成師から何を学ぶか。
1,地球市民という考え方。難民支援の思想。ともに学び、ともに生きる思想。知ったものの責任。
2,ネットワークをどのようにつくっていくか。縁起。アジール。別所。
3,現場にたつ。現場で考え思索し、のたうちまわり、解決する。
などの諸点にまとめられるとおもいますが、根本は問題に向き合うことです。

討論をして、有益な感想や質問、さらにより現実的な意見も頂きました。

当面は、
福島の子どもたちのための日韓平和コンサート(チャリティ・コンサート)を成功させること、その中で、次へのつながりと発展を期すことを確認しました。
コンサートは、5月26日下関市梅光学院大学、27日防府市、日本基督教団防府教会、28日宇部市文化会館で開かれます。

以下、私の提出した論文の一節をコピーしておきます。
あくまでも、私自身の「ちょっと立止って復習」のためですが、何かの参考になれば幸いです。




第5 節有馬実成師の思想と行動の残したもの

私は有馬実成師に一度もお会いしていない。
2000 年に亡くなっておられる。すでに書いたが、2002 年になってNPO 法人シャンティ山口を知った私は、有馬氏のことをまったく存じあげなかった。新聞やテレビや話の端々から耳に入ってもおかしくないと思うのだが、水処理の普及に視野が狭くなっていたとしか考えられない。こんなひとが身近なところにいたのだという驚きとじっくり直接お話を聞くことができなかったことを悔やんでいる。今は、多くの人が断片的に語るエピソードとその著書『地球寂静』を通して知るのみである。

有馬師の本質は、行動者・実践者として人びとをまとめあげていく卓越した組織能力にある。有馬師は、日本のボランティア活動の創成期にあって、カンボジア難民支援活動と、NGO の創成に貢献し、「ボランティア元年」といわれる阪神淡路大震災時には、陣頭指揮をとり、その後のボランティア活動の発展の道を開いた。
以下、その思想と現実的な模索、さらに行動指針を残された著書(有馬,2003)に探ってみたい。

地球市民について

「地球市民」という思想は、有馬師の思想の根幹にある。それは、NGO(非政府組織)論と重なっている。地球市民をマザーテレサに触れて、次のように規定している。少し長いが引用する。

(マザーテレサとちがって、普通の人は)弱い、だらしない生き方しかできません。でも、現代という時代は病み、苦しみ、人は襲いかかってくる疎外感や、社会がもたらす構造的な苦労に喘いでいます。それは、絶対的な貧困だったり、民族の対立だったり、地雷であったり、民族差別であったり、さまざまな衣装を着て目の前に現れます。どれも解決が困難な問題です。私たちは、そのことに気づいてしまいました。自分の問題として受け止めなければならないと考えるようになってしまいました。もはやこれらの問題に背を向け、逃げ出すことはできません。何故なら逃避は、自分の存在そのものを否定することになるからです。そして、人々は、同じ問題意識を持つ人同士で手を繋ぎ、協同して問題の解決に当たろうとする動きをつくりました。それがNGO なのです。NGO とは、問題解決の意思を持った人たちのネットワーク、連携網です。(中略)そのことを通して、自分も社会の中で主体者として生きている存在の一人であることを認識し、自分の存在理由を見出そうとする人たちの集合です。
そんな人たちを「地球市民」と呼びます。地球上に存在しているから、「地球市民」なのではありません。海外の国の情報を数多く持ち、外国語を駆使でき、海外を歩くことが好きだから、「地球市民」なのではありません(同書195〜196 頁)。

有馬師は、やがて住職になる自身の寺で朝鮮人の遺骨の問題に遭遇する。1945 年5 月、徳山で同じ米軍の空襲を受けたのに日本人とちがって埋葬されず放置されていることに疑問をもつ。「あれは朝鮮人じゃけんのう」という死者まで差別する発言に怒りを覚える。朝鮮民族には、死んだら父祖の地に埋葬されてこそ魂はやすらぐ本貫という習慣のあることを知り、1970 年に各寺に残された遺骨500 体を集めて、韓国への返還運動を行う。自らの国を奪われた朝鮮韓国の人々のアイデンティティとそれを奪った日本の戦争と植民地政策の歴史、自分のかかわりが「いつも気になっていた」という。師の地球市民論の原点がここにある。
世界の南北間の経済格差や富の分配の不平等、直接の暴力ではないが南北間によこたわる「構造的な暴力」があるという指摘は、ここに根ざしている。地球市民の理念をどのように実現していくか。「地球市民教育」のプログラムも構想されていることは、注目しておきたい。


どのようにネットワークをつくっていくか

さらに、著書の中で形をかえて繰り返されている言葉がある。縁起とアジールだ。縁起は単純に「つながり」と説明されたり、独立と相互依存の人の関係を仏教用語で説明されたりしている。アジールは、避難場所と説明される。
僧侶・叡尊の活動が語られる。奈良の般若野のハンセン病者への布施会の文殊菩薩との遭遇のエピソードである(同書,171 頁)。師自身、元気を失ったとき、この場に立つと力を回復させられる場所であると語っている。さらに、そのような宗教的な感懐とは別に運動論的な「場所の機能の確保」の示唆がある。叡尊が、時の権力者・北条秀頼が言い出した寄付を喉から手が出るほど欲しかったが、あえて断ったことそのことを、「自分の活動のフィールド、場所を、政治権力や公権力などと無縁な場所、民や民衆のためのみに開かれている場所、権力の介入を拒否する治外法権的な場所として考えていました」と共感をこめて語っている。(同書:177 頁)。また、NGO は、政府や企業のメッセンジャーになってはならず、財政の少なくとも60%は自前の資金で賄うべきことを訴えている(同)。
さらに、重源の「別所」つくりについての言及では、この考えはもっと具体的になる。
別所とは、重源が奈良の大仏を再建するにあたって各地につくった作業拠点である。それは、「総合福祉センター、職業センター、斡旋所、技術者集団のターミナル」の役割をはたすものであり、「重源に惹かれるのは一大建設工事をなし終えた人という点にあるのではなく、その建設のプロジェクト、事業の裏にあるネットワークの面白さにあります。各地に別所を造ったといいましたが、この別所こそ重源の本当にやりたかった仕事であったのではないかと思えるのです。」とまで評価している(同書:181 頁)。今は聞くこともできないが、これらの言及を読むと、師が、運動拠点を「人の集まる場」「介入されない民衆自治の場」「困った人の駆け込み寺」とするような何らかの構想を有していたのではないかと推察される。

「わき道」「じゃり道」「けもの道」さらに「ウジ虫になって這おう」論

道についての言及は、NGO の活動は、平坦で舗装された歩きやすい道路ではなく、これからつくっていく未知の領域が多いことを後進に訴えている(同書:290 頁)。また、ボランティアは、主人公として表面に立つのではなく「触媒」として働くことの大切さも常に説いている。
欧米のNGO の大きさ、一定の完成した像に対して、師は「学び、追いつきたい」という志向と、他方、「仏教的な、あるいはアジア的な別の道もあるのではないか」と考えていた。とくに、「たしかに組織が強力になればなるほど組織の論理や組織の力学が働き始め、中にいる人間の主体性を疎外し始めていくのも事実です(同書:179 頁)。という指摘が、ある種のもどかしさを表明していることは否めない。初期の清新な初心を忘れ、組織を守り大きくすることを自己目的にすることへの警告でもある。
氏は、どこまでも現場にあって行動する人であった。
初代、(社)シャンティ国際ボランティア会の会長をつとめ共に活動をされてきた松永然道氏は、ブラジルで曹洞宗の布教活動を行っていたが、カンボジア難民支援活動に誘われた。そのときに言われた言葉をはっきり覚えているという。それは「糞の中を這い回るウジ虫に一緒になってほしい。何も保証されているわけではないし、人からは汚いと蔑まされるかもしれないが、糞まみれの地面を這いずり回ることが人の世の明日をつくる」と言ったという。そこまで言うのならばと行動を共にするようになったと語っている。現場でもっとも困っていること、本当に必要とされていることはなにか、それを考え地道に実行する。
「3 年間も悩んでおればいつかは解決するよ」と本で語っているが、モン族の村の支援の中で現われた衛生環境事業、どんな便所のシステムがいいかという問題は、師の残した思想、行動、組織風土を引き継いだNPO法人シャンティ山口と現地の人々によって解決されていくことになる。そこに秘密があるのだろうと思う。

安藤公門 山口県立大学大学院 国際文化学研究科 2010年度修士論文『タイ農山村地帯における衛生環境事業の実践から見える未来型社会〜糞尿の資源活用と持続可能な社会のために〜 」 第3章5節から



posted by 村のトイレ屋 at 23:05| 山口 | Comment(0) | 日誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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