2012年12月16日

私も一言、原発がなくてもやっていける社会を!

14日(金)の宇部日報に私の一言が掲載されました。

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選挙期間中は、公示二日前に出馬を決めた候補の応援で山口市内にずっといました。
幸いにも、宇部から通うのは大変だろうからと、小出裕章さんの講演会のときに知り合った人が泊めてくれることになったのです。

宇部に1日だけ帰ってきたときに、宇部日報の記者さんに取材を受けました。

私の言いたいことは、この3・11以後、言ってきたことです。
原発のない社会、原発に頼らなくてもやっていける社会をつくること。
そのための取り組みを第一にすることです。
原発事故が起こってしまったら、経済の繁栄は役にたちません。
原発に頼らなくても社会が回るようにするのが政治です。
それを、原発の安全論議、安全にコントロールして廃炉まで持って行くことよりも、まだ原発にたかり儲かることを優先にする政治では、救いようがありません。

今なお、福島の子どもたちは、放射線管理区域として放射線の専門家が食べても飲んでも寝そべってもいけないところに住まわされています。この子どもたちの移住疎開こそ今いちばんの争点のはずです。
その論議を選挙でしてほしい。言いたいことはその1点です。

小出裕章さんの講演会を実現するときに仲間と訴えてきたことです。
お陰様で、小出裕章さんの講演会は宇部のいちばん大き会場、渡辺翁記念会館をいっぱいにする1550人の人が集まりました。
「原発のことを言うことは遠慮したい」「脱原発は心では思っているが表向きはどうも・・・」といった風潮を大きく変えたのでした。

私が、トイレつくりに行ったタイの農山村で学んだことは、
幸福な社会は、人を幸福にする技術をもつということです。
その技術は、なにも最先端の大規模なものである必要はありません。
ローカルで、小規模で、大したエネルギーを使わずに、
でも、社会の成員、一人ひとりを大切にして、犠牲を弱い人に押しつけない技術です。

たとえそれが、もっとも原始的と言われる人力作業で担われていても、みんなが幸せな社会を乱すものでなければ、それで十分なのです。

人を不幸にする社会は、人を不幸にする技術を選びます。
原発の作業に従事する労働者、収束に当たる現場の労働者。
原発周辺の住民、被曝した人たちへの嘘と隠蔽工作の数々。
原発に協力的だった人たちすら切り捨てる冷たい仕打ち。
まして、放射能汚染の拡散=がれき広域処理に反対する人々やリーダーを逮捕して発言を封じることまでやろうとしています。
大阪市のガレキ焼却に反対して論陣を張ってきた下地真樹さん(もじもじ先生:阪南大学准教授)への不当逮捕は、すべての国民に黙れ!と言っているのに等しいのです。
原発と核武装や自衛隊の国防軍への道とは、結びついています。

原発のない社会とは、小さくてもいい、国民みんなが同じように平和な生活を送れればそれでよいとする社会でもあります。どうして、経済や軍事で大国にならななくてはいけないのか、どうして、子どもたちを徴兵制やそれに等しいサラリーマン社会の経済戦争に送り込まなくてはならないのか、そんな疑問を形にした表現です。

原発から綺麗サッパリ手をきり足を洗う社会とは、そんな選択肢も含んでいます。

今度の選挙が、本当に良い選択となりますように!
原発のない社会めざしてあらゆる機会を生かしましょう。







posted by 村のトイレ屋 at 12:28| 山口 ☀| Comment(0) | あったか村 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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