2006年12月14日

憲法9条のこころ、芯の芯

昨日は風邪で午前中愚図り、寝ていました。
こんなときは本を読むにかぎります。

「楽園のつらい日々」デビッド&ミッキ・コルファックス著
森実真弓訳 農文協 1996年12月刊 を一挙に読み終えました。

アメリカのインテリ一家の田舎暮らしの体験を書いた本です。
著者は1970年前後の急進的政治活動が理由で大学の教職を追われます。
それで巡りめぐって、カリフォルニアの山中で自給自足の田舎暮らしをすることになります。
やがて、ときを経て、子ども4人のうち3人が、学校に通わなかったのに家作りや畑仕事、家畜の世話などで学び、また夫妻の「ホームスクール」の学習で
ハーバード大学に入学します。それで有名になって、本になったのだろうと推測されますが、感想としては、その部分(大学合格)がなくても、この一家の田舎暮らしの体験は、そのハードさにおいて、無計画と無鉄砲さにおいて、しかしやり遂げる熱意において、様々な具体的な経験蓄積でとてもおもしろいものです。

一家は、ほとんど無一文の窮地に立たされます。
この危機を救ったのが、ヤギと羊です。畜産農家として食べて行く方途をみつけます。ヤギの繁殖農家としてやっていくのです。その道を切り開いたのが、15歳の長男で、ヤギについての猛勉強をして近郷では知らぬもののない繁殖家になっていきます。好きである、好奇心がある、そして切迫した必要性がある・・・こんな条件が、彼の能力を学校に行く以上に引き出し育てたのでしょうか。
このあたりのことは、ヤギ好きにとっては必読かもしれません。
彼がハーバードにまず入学することになるのですが、大学などに行かずにそのままヤギの研究家になって、さらに研究を重ねたらよかったのにと思ったのですが、人のことなので、なんともいえないのが残念です。

でも読後の興奮は残るものの、やっぱりなんだかアメリカンドリームっぽいなあという気分も湧いてきて、そのまま真似しようとも思わないのはもちろんです。
なんといっても、そのハードな働きようは、とてもやってみようとは思えないものです。

寝転んでタフな本を読んだ反動で、もう少し自分好みの軟弱な本を読んで気分転換をはかろうと読んだのが、
「山口瞳『男性自身』傑作選 熟年編」
嵐山光三郎編 新潮文庫 です。
この本は、なんとはなしにぱらぱらと読んでおしまいというエッセイの集まりで風邪で布団にくるまって読むのに最適です。残るものもない。何度読んでもはじめて読んだ気になる。忘れていることもあるのですが・・・その中で例外がひとつ、いつかは引用して紹介しておきたい、自分もいつもすぐに読めるようにしておきたかった箇所があります。272頁です。「私の根本思想」と題されたエッセイです。

「いわゆるタカ派の金科玉条とするものは、相手が殴りかかってきたときに、お前は、じっと無抵抗でいるのか、というあたりにある。然り。オー・イエス。私一個は無抵抗で殴られているだろう。あるいは、逃げられるかぎりは逃げるだろう。
『○○軍が攻めこんできたら、家は焼かれ、男はキンタマを抜かれ、女たちは陵辱されるんだぞ』
 いいえ、そんなことはありません。私の経験で言えば、そんなことはなかった。人類はそれほど馬鹿じゃない。」

「人は、私のような無抵抗主義は理想論だと言うだろう。その通り。私は女々しくて卑怯未練の理想主義者である。
 私は、日本という国は滅びてしまってもいいと思っている。皆殺しにされてもいいと思っている。かって、歴史上に、ひとを傷つけたり殺したりすることが厭で、そのために亡びてしまった国家があったといったことで充分ではないか。」

「2兆9千4百37億円という防衛費を『飢えるアフリカ』に進呈する。専守防衛という名の軍隊を解散する。日本はマルハダカになる。こうなったとき、どこの国が、どうやって攻めてくるか。その結果がどうなるか。
 どの国が攻めてくるのか私は知らないが、もし、こういう国を攻め滅ぼそうという国が存在するならば、そういう世界は生きるに価(あたい)しないと考える。私の根本思想の芯の芯なるものはそういうことだ。」

「私の経験で言えばそんなことはなかった」と書いてあるのは、戦中派の著者の実際の経験として、山陰の軍隊にいたときに、「キンタマが抜かれる」という噂がながれたのに、そんなことはなかったという経験に根ざしています。冒頭に細かく書かれています。

私は、戦中派でないのでそんな経験から思っているわけではありませんが、この著者の考えに素直に共鳴できます。はい、おんなじですね、と手をあげるでしょう。憲法9条論議のいくつく先は、この「攻められたらどうするの?」です。憲法9条をかえたい人は、「平和のためにあなたは黙って殺されるの?」とたたみかけてきます。
「ハイそうですよ」と答えれば、すむことです、と著者はいっている。
この潔さがいいですね。人間としての理に叶っていると思います。
第一、歴史をちょっと勉強すれば「平和のために武装する」「平和を守るために他国に軍隊を押し出す」ということが、自国権益のためのとんでもない詭弁であったかはすぐにわかることです。本当に平和のためには、軍隊も武器も持たず、人と人のつながりをつくっておくこと、憲法9条をもつことを誇りにしてます、とアピールしておけば充分と思います。世界の人とつきあうのに、今の日本人はそんな恵まれたポジションをもっています。

アメリカにも田舎暮らしをしている人がいる。ヤギや羊が好きで飼うことに夢中になっている人がいる。ヤギの子どもが産まれるのにはらはらして、一喜一憂している人がいる。
私の行ったタイの山岳地帯では、豚が庭先で遊んでいる。子供達が鶏や子豚を追いかけている。この人たちとは、すぐに仲良しになれる。国がちがうからといって、国境があるからといって、利害が衝突するからといって、武器をもって押しかけるなど言うことは、とうてい考えられない。国というレベルで問題をたてるから、人の顔がみえなくなって、平気で軍隊や武器を持ちたいとなるのだろうと思います。

年末の忙しいときに風邪などかかって寝てしまうなんてなんと運の悪いことだ、今年の運は、もう残っていないなあと沈みこみかけましたが、2冊のちがう本を読めて、まあそうでもないか、よたよたしながら本の内容を反芻しておこうと思った次第です。



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posted by 村のトイレ屋 at 10:13| 山口 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 本の感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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