2006年10月17日

「日陰の村」の中の山羊

石川達三著「日陰の村」には、山羊が一箇所出てくる。
どのページかは、今本が手元にないので、あとでコメントにでも書いておきます。

小河内村にダムの話が持ち込まれたのは、
1932年(昭和7年)だから、このころ農山村では山羊が飼われていたことがわかる。

ある男が、家のそばの山羊小屋で何か物音がするので
見てみると、近所の主婦が、こっそりと山羊小屋に忍び込んで
乳を搾り、入れ物にいれて持って帰っていた。
こそこそと小走りに道を急いでいた。
男は、悲しくなる。乳をとられたことも悲しい。
それ以上に山羊の乳くらい子供に飲ませたいからと
言ってくれないことがつらいと思う。
貧乏どうし、助け合って暮らしてきたのに疑心暗鬼に互いに陥って、
でも食べ物がなくなって、やせた母親が子供に乳を飲ませたいと思い、
切羽詰って、隣家から盗む。そこがつらい。

男は、翌朝、山羊を引いて、その主婦の家に行き、
なにも言わず、山羊を置いて帰る。その母親も何も言わない。
そのあと搾ったのか、ちゃんと乳は出たのか、子供は育ったのか、山羊はいくばくかのお礼をつけて返したのか、それとも、村民全員の立ち退きのときに
つれていったのかどうか、気になって落ち着かないのだけれど、ヤギ小説でないから、どうでもいいと作者は考えたのだろう。薄情なものだ。よくわからない。

経済的に貧乏なときはヤギは重宝する。子供の乳としていいし、いざとなれば肉と考えていい。草は、いくらでもある。
盗まれるだけの乳が出ているのなら、交配させたということだ。
少なくとも150日先の生活を考えていたということだ。

立ち退きを要求されて、それが明確に時期を指定されず、蛇の生殺し状態が、東京市と神奈川県の水争い面子争いもあって行政側の都合で行われた。その際の人間の生きがいのなさが生む無気力状態への転落がこの小説のひとつのテーマである。個人でなくなくて村全体がである。蕎麦を植えようにも、ムギも播こうにも、もうすぐ出て行くようなことをいわれて、結局何一つ手がつかず、家の手入れ、庭の手入れ、山の手入れ、すべてが本気になれないうちに、荒廃だけは進む。しかも、半年、1年、さらに数年たっても話は前に進まない。あの時せめてああしておけばよかったと思っても、じゃあ、来年に備えて、花の苗でも植えるかというと、そのときには出て行ってるかもしれないからやっても無駄だという諦念が先行してしまう。

ヤギでも飼って、増やして、元気を出すということもあってよかったか、というのは、もちろん後知恵の浅はかさで何の役にも立たない。
でも、この小説はどこまで事実に基づいているかは不明だけれども、ヤギが飼われていたことは事実だろう。そうに違いない。

昨日救いも何にもない小説とついつい激高して書いてしまったが、
小さなエピソードとはいえ、ヤギが出てきただけでも読んでよかったとしておこう。牛が売られていくエピソードもある。

それにしても、ダムが出来てから、このヤギたちはどんな運命を辿ったのだろうか。

シリアスな運命に翻弄されたはずの小河内のヤギとちがって、
あったか村のヤギたち羊たちは、ここ数日間、穏やかな日々を送っている。
朝、小屋を開けるとぬ〜とおきだして、騒ぎもせず草刈場=草食べ場方向に行く。4頭のうち2頭つなぐ。夕方、日の暮れる時間が早くなって、それにあわせるように、彼らの小屋への帰り方も早くなった。ロープから2頭をはずしてやるととくに誘導しなくても、小屋に帰っていく。脱走もない。それが当たり前なのだ。

11月1日から猟友会によるイノシシ猟がはじまる。猟犬が徘徊し始める。又平和が乱される。今がつかの間の穏やかなひとときかもしれない。



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posted by 村のトイレ屋 at 19:33| 山口 | Comment(0) | TrackBack(0) | 山羊・羊とチーズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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