2006年09月16日

多摩川と都市の物語

加藤辿著「都市が滅ぼした川ー多摩川の自然史」
 中公新書 1983年5月25日発行

約25年前の多摩川が、記述されている。
4半世紀前である。
本書の85ページに2枚の写真が並べられている。


写真の上は、二子橋上手多摩川で昭和16年(1941年)6月の写真。
下にある写真は、同じ場所から撮った30年後の写真である。
昭和46年(1971年)8月だと説明にある。
30年前の多摩川の様子は、水を岸まで満々とたたえている。漁師も土手近くで水につかって網を投げ込んで操作している。
著者が苦心して割り出した、同じ場所からの30年後の多摩川の様子を写した写真は、水の流れがわずかに遠くに見えるのみで草が覆っている。
水の量がまるで違うのだ。
著者は、ここからこの現実は何なのかを探っていく。
そこには、以前考えられていた多摩川は存在せず、まったく別の川になっている現実があった。
「2枚の写真が語るもの」というこの章はとても印象に残った。
結論だけいうのも、おもしろくない話だけど、推理小説の種明かしではないので、とりあえず言っておくと、多摩川は途中で水源地を持つ多摩川は断ち切られて実際は別の川にされているのだ。「水が収奪」されているのだ。
都市の人口が30年で2倍になり、汚染が100倍になったという現実も書かれている。
それから25年、今の多摩川はどうなのだろう。
同じように歩いてみたいものだ。

もうひとつ強く印象に残ったのは、水処理の技術論を調べて書いているところ。活性汚泥法の本質的限界の指摘(BOD20が限界なわけ)、散水濾床・接触ろ過法などについての言及は、決して古くなく、今なお照明をあてて、再検討する必要があると思う。イギリスの下水道技術の発祥に触れ、欧米タイプの直輸入でない、日本の自然と川にあった技術を提唱している。
最先端の技術は、日進月歩だという。いや、分進秒歩だよということも聞いた。もっとはやく進んでいるという言葉も聞いたが、もう覚える気もしなかった。個別の狭い領域のスピードに満ちた研究もあっていいが、100年単位の時間枠の中で、川と人間、川の流れ(瀬と淵)の取り込みとしての水処理の技術、そして何よりも川にとっての人間というテーマでじっくり考えたほうが
いいようにおもう。何のために水処理をするのか、川は人間のためだけにあると考えるのは正しいのか。(第3部後半の自然観は今こそ新しいとおもった)
技術のスタートをはっきりさせる必要があるのだ。

本書は三部構成からなっている。
第一部 瀕死の多摩川
第2部 多摩川と東京
第3部 人間にとっての川 という構成である。
この本が書かれた当時の制約もあるかもしれない。
しかし、それを含めて、ひとつの川と東京という都市がどんな関係にあったのかを検証するには、最適なテキストになるだろうとおもう。
四半世紀後、当時問題にされたことはどう解決したのか、されなかったのか。
著者は、30年前の写真を切り口に多摩川に迫ったが、今私たちは、この本を手に、追跡と再構成をして新しい多摩川の実態に迫れるのではないだろうか。
多面的な分野から多摩川と東京に迫っていく方法を教えているとおもう。

この本の最後にこんな言葉が書かれているので引用しておく。
「三百年前、玉川上水は江戸に新しい水をもたらした。それと同時にそれは武蔵野台地をうるおし、狸や狐のすみかだった武蔵野にはじめて新田開発を可能にした。それ以来多摩川は、一貫してこの世界一の巨大都市の発展に貢献してきたのである。そしていま、ほかならぬその東京によって、まさに多摩川は滅ぼされようとしている。それがこの都市の明日を暗示しているのでないことを祈りたい」


なお、この本は新刊書店では入手困難なようです。
各種古本店(ネット)で探すことをおすすめします。
読書会、共同研究会のテキストに最適とおもいます。



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posted by 村のトイレ屋 at 20:20| 山口 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 本の感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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