2011年11月07日

なにも起こっていないことこそ「奇跡」

最近、朝、なにもなくて普通に目覚めることに、とても感謝している。ああ、今日も無事始まります、ありがとうございます、と声に出していう。
寝る前には、今日一日、地震も原発事故もなくありがとうございました、と言って眠りにつく。

岩手県の陸前高田市をはじめ被災地に4月、5月、9月と3回、各5日間行って、地震や津波が西日本で起こっていないことを本当にありがたいと思うようになった。昨日に続く今日の平凡な繰り返しがあることに深く感謝するようになった。さらに福島県の東電第一原子力発電所の事故と放射能災害が、その後起こっていないことを心底ありがたいと感謝している。

だが、同時に、今、大災害がその後起こっていないことこそ「奇跡」という意識が絶えずある。3・11は、厳として起こった。今後起こらないという保障は、どこにもない。3.11が、100年に一回、1000年に一回ののことではなくて、だから、私の生きている間はこれで終わりということでなくて、いつ起こっても文句はいえないという認識がある。明日、いや今起こっても不思議ではない。

こういう時代には、ふたつのことを念頭において生きていくのがいいのではないかと最近は、考えている。

ひとつは、自分のライフワークとそれに基づくことがらをコツコツとやり続けることである。いつ、大事故で中断されるかはわからない。でも、一日にできること・一人分の作業を行いつづけることである。

もう一つは、最悪の事態を防ぐために相応の力をそそぐことである。地震はやむをえない、その対処策を練ることとそのために発生する原発事故と放射能災害は防ぐことである。原発を全部廃炉にすることだ。

そんな腹づもりから、糞尿資源に関する本を読んだり考えたりすることを休まず続けたいと思っている。また、脱原発の取り組みも自分にできる役割を果たしたいと願っている。

来年の3月18日(日)に原子力の専門家で40年間、原発の危険性を訴え、原発と核の利用に反対し続けてきた小出裕章さんを宇部にお呼びしてお話を聴くのはそのためである。




posted by 村のトイレ屋 at 23:22| 山口 ☀| Comment(0) | おしゃべり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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