2011年10月16日

言葉の拡張機能。モーニング、ランチ。

宇部に住んでいる人ならたいてい知っていると思いますが、
だから、あえて写真を載せたり、
店のお名前を書いたりはしませんが、

看板に、

一日中モーニング

と書いてある喫茶店があります。

また、商店街の中にも、

夜のランチはじめました

と案内板が立てかけてあったりします。

最初、見たときは驚き、どうしてモーニングが、つまり朝が一日続くのだ、おかしいなあ、と思ったり、

ランチは、どう考えても昼だろう、夜はディナーと俺は習ったぞ、といぶかしんだりしましたが、
これは、そんなに驚くことでもなかったのでした。

なぜなら、意味が通じているからです。
モーニングは、朝のことではないのです。
朝食と言ってもまだ正確ではありません。
厳密には、喫茶店で朝出していたトーストとコーヒーと他ちょっと何かのメニューのことで、トーストとコーヒーをセットにして出すサービスのこと。
したがって、それが昼になっても、午後3時になっても、夕方になっても、同じメニューだったらモーニングというのは、そうなってしまえば、それでいいわけです。
夕方に「モーニングね」と注文して「はい、モーニング」と言ってトーストとコーヒーが出てくれがそれでいいわけです。

ランチも、昼のサービス定食が、午後遅くなっても、夕方になっても、夜になっても、サービスが付いておれば、ランチと呼んでも構わないし、店の人も、お客もそれで誤解がなければ万事オーケーと言うわけです。

言葉とは、このように使う人が、双方の理解のもとで、最初の辞書的な意味とは違ったものをつくり、それに次々と双方にわかる意味を乗せていけば、かなり応用がきいて融通無礙に流通するようになるものだということが、この例からわかります。どこかに拡張機能がついているとしか思えません

面白いですね。

・・・とここまでは、3.11以前だったら、はいこれでと、この文章は「おしまい」だったのですが、3・11以後の世界では、どうしてもひとこと付け加えなければならないのが辛いところです。

「安全です」という言葉です。
「原発は安全です」という言葉が、安全神話になり、「想定外の事故」になり、さらには「想定不適当」という意味まで乗せて、一人歩きをはじめた。言葉がどんどん拡張し、肥え太り、多くの人の判断力をおかしくして行きました。
今では、「原発は安全」ということの意味は、「事故が起こっても知らないよ、私は責任をとりませんよ」というくらいの意味しかなくなっています。

「安全というのなら東京のど真ん中に原発をつくったらどうですか」と原発に不信を持つ人たちは考え、追及した。『東京原発』という映画もつくられ、上映会も行われた。だが、安全という言葉の上乗せ、拡張を止めることはできませんでした。

福島第一原発の事故が起こってはじめて、「安全」という言葉の正体がすべての人の前に明らかになりました。

今、より巧妙に、「安全な原発をつくる」「世界に安全な原発をしめす」などという論調が現れています。
言葉の拡張機能を最大限発揮させるべく、またもやマスコミや原発推進自治体や利益を得る企業群を総動員して、安全神話をばらまくのでしょうか。

もし、そうだとして、もう騙されるものではないこと、モーニングやランチとというサービスと全然異なって、そこには双方が理解する了解事項はなにもないことを、私たちはきっぱりと肝に据えておく必要があると思います。なぜなら、「安全」と言って出されたものが世界史上でも初めての放射能汚染という現実、次の事故ではもう日本列島には住めなくなるという現実が私たちにはつきつけられているのですから。
posted by 村のトイレ屋 at 22:35| 山口 ☁| Comment(0) | おしゃべり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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