2011年10月11日

ボランティアとは?有馬実成著『地球寂静』に学ぶ

 私は有馬実成師に一度もお会いしていない。
 2000年に亡くなっておられる。2002年になってNPO法人シャンティ山口を知った私は、有馬氏のことをまったく存じあげなかった。新聞やテレビや話の端々から耳に入ってもおかしくないと思うのだが、水処理の普及に視野が狭くなっていたとしか考えられない。こんなひとが山口県周南市という身近なところにいたのだという驚きとじっくり直接お話を聞くことができなかったことを悔やんでいる。今は、多くの人が断片的に語るエピソードとその著書『地球寂静』を通して知るのみである。

 有馬師の本質は、行動者・実践者として人びとをまとめあげていく卓越した組織能力にある。有馬師は、日本のボランティア活動の創成期にあって、カンボジア難民支援活動と、NGOの創成に貢献し、「ボランティア元年」といわれる阪神淡路大震災時には、陣頭指揮をとり、その後のボランティア活動の発展の道を開いた。
 以下、その思想と現実的な模索、さらに行動指針を残された著書に探ってみたい。

地球市民について

 「地球市民」という思想は、有馬師の思想の根幹にある。それは、NGO(非政府組織)論と重なっている。地球市民をマザーテレサに触れて、次のように規定している。少し長いが引用する。

   (マザーテレサとちがって、普通の人は)弱い、だらしない生き方しかできません。でも、現代という時代は病み、苦しみ、人は襲いかかってくる疎外感や、社会がもたらす構造的な苦労に喘いでいます。それは、絶対的な貧困だったり、民族の対立だったり、地雷であったり、民族差別であったり、さまざまな衣装を着て目の前に現れます。どれも解決が困難な問題です。私たちは、そのことに気づいてしまいました。自分の問題として受け止めなければならないと考えるようになってしまいました。もはやこれらの問題に背を向け、逃げ出すことはできません。何故なら逃避は、自分の存在そのものを否定することになるからです。
 そして、人々は、同じ問題意識を持つ人同士で手を繋ぎ、協同して問題の解決に当たろうとする動きをつくりました。それがNGOなのです。NGOとは、問題解決の意思を持った人たちのネットワーク、連携網です。(中略)そのことを通して、自分も社会の中で主体者として生きている存在の一人であることを認識し、自分の存在理由を見 出そうとする人たちの集合です。
 そんな人たちを「地球市民」と呼びます。地球上に存在しているから、「地球市民」なのではありません。海外の国の情報を数多く持ち、外国語を駆使でき、海外を歩くことが好きだから、「地球市民」なのではありません(同書195〜196頁)。


 有馬師は、やがて住職になる自身の寺で朝鮮人の遺骨の問題に遭遇する。1945年5月、徳山で同じ米軍の空襲を受けたのに日本人とちがって埋葬されず放置されていることに疑問をもつ。「あれは朝鮮人じゃけんのう」という死者まで差別する発言に怒りを覚える。朝鮮民族には、死んだら父祖の地に埋葬されてこそ魂はやすらぐ本貫という習慣のあることを知り、1970年に各寺に残された遺骨500体を集めて、韓国への返還運動を行う。自らの国を奪われた朝鮮韓国の人々のアイデンティティとそれを奪った日本の戦争と植民地政策の歴史、自分のかかわりが「いつも気になっていた」という。師の地球市民論の原点がここにある。

 世界の南北間の経済格差や富の分配の不平等、直接の暴力ではないが南北間によこたわる「構造的な暴力」があるという指摘は、ここに根ざしている。地球市民の理念をどのように実現していくか。「地球市民教育」のプログラムも構想されていることは、注目しておきたい。
 
どのようにネットワークをつくっていくか

 さらに、著書の中で形をかえて繰り返されている言葉がある。縁起とアジールだ。縁起は単純に「つながり」と説明されたり、独立と相互依存の人の関係を仏教用語で説明されたりしている。アジールは、避難場所と説明される。

 僧侶・叡尊の活動が語られる。奈良の般若野のハンセン病者への布施会の文殊菩薩との遭遇のエピソードである(同書,171頁)。師自身、元気を失ったとき、この場に立つと力を回復させられる場所であると語っている。さらに、そのような宗教的な感懐とは別に運動論的な「場所の機能の確保」の示唆がある。叡尊が、時の権力者・北条秀頼が言い出した寄付を喉から手が出るほど欲しかったが、あえて断ったことそのことを、「自分の活動のフィールド、場所を、政治権力や公権力などと無縁な場所、民や民衆のためのみに開かれている場所、権力の介入を拒否する治外法権的な場所として考えていました」と共感をこめて語っている。(同書:177頁)。また、NGOは、政府や企業のメッセンジャーになってはならず、財政の少なくとも60%は自前の資金で賄うべきことを訴えている(同)。

 さらに、重源の「別所」つくりについての言及では、この考えはもっと具体的になる。別所とは、重源が奈良の大仏を再建するにあたって各地につくった作業拠点である。それは、「総合福祉センター、職業センター、斡旋所、技術者集団のターミナル」の役割をはたすものであり、「重源に惹かれるのは一大建設工事をなし終えた人という点にあるのではなく、その建設のプロジェクト、事業の裏にあるネットワークの面白さにあります。各地に別所を造ったといいましたが、この別所こそ重源の本当にやりたかった仕事であったのではないかと思えるのです。」とまで評価している(同書:181頁)。

 今は聞くこともできないが、これらの言及を読むと、師が、運動拠点を「人の集まる場」「介入されない民衆自治の場」「困った人の駆け込み寺」とするような何らかの構想を有していたのではないかと推察される。


「わき道」「じゃり道」「けもの道」さらに「ウジ虫になって這おう」論

 道についての言及は、NGOの活動は、平坦で舗装された歩きやすい道路ではなく、これからつくっていく未知の領域が多いことを後進に訴えている(同書:290頁)。また、ボランティアは、主人公として表面に立つのではなく「触媒」として働くことの大切さも常に説いている。
 欧米のNGOの大きさ、一定の完成した像に対して、師は「学び、追いつきたい」という志向と、他方、「仏教的な、あるいはアジア的な別の道もあるのではないか」と考えていた。とくに、「たしかに組織が強力になればなるほど組織の論理や組織の力学が働き始め、中にいる人間の主体性を疎外し始めていくのも事実です(同書:179頁)という指摘が、ある種のもどかしさを表明していることは否めない。初期の清新な初心を忘れ、組織を守り大きくすることを自己目的にすることへの警告でもある。

 氏は、どこまでも現場にあって行動する人であった。
 初代、(社)シャンティ国際ボランティア会の会長をつとめ共に活動をされてきた松永然道氏は、ブラジルで曹洞宗の布教活動を行っていたが、カンボジア難民支援活動に誘われた。そのときに言われた言葉をはっきり覚えているという。それは「糞の中を這い回るウジ虫に一緒になってほしい。何も保証されているわけではないし、人からは汚いと蔑まされるかもしれないが、糞まみれの地面を這いずり回ることが人の世の明日をつくる」と言ったという。そこまで言うのならばと行動を共にするようになったと語っている。現場でもっとも困っていること、本当に必要とされていることはなにか、それを考え地道に実行する。「3年間も悩んでおればいつかは解決するよ」と本で語っているが、モン族の村の支援の中で現われた衛生環境事業、『幸せのトイレつくり』、どんな便所のシステムがいいかという問題は、師の残した思想、行動、組織風土を引き継いだNPO法人シャンティ山口と現地の人々によって解決されていくことになる。師の思想の実践的な継承として実現することになったのだと今は考えることができる。




posted by 村のトイレ屋 at 17:47| 山口 ☁| Comment(0) | NPO法人シャンティ山口の活動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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