2006年08月04日

金子正尚さんの自分史「佐波川と私」

「生きた証し 足もとから見つめなおした徳地」という自分史集が公表された。
山口県立大学の地域活動のひとつとして、廃校を利用したサテライトキャンパスで「地域と自分史」つくり講座が行われ、その成果が発表された。その中の「佐波川と私」という金子正尚さんの自分史を読ませてもらった。
金子さんの家は、佐波川から直線距離にして50mだという。
「佐波川を見ないで暮らした日は、1日もないと言っていい」と書かれている。「佐波川を抜きにした生活史はあり得ない」と冒頭に書いてある。

川の遊びがことこまかに書かれている。
私の場合とひとつひとつ照合しながら読んだ。
えんこエビ
ウナギ籠
はえ牢瓶・・・・・これはよくわからなかった。味噌を餌に使うようだ。
佐波川の方が、わたしの育った川より魚種が多いようだ。

「夜ぼり」というのが、おもしろそうだ。
懐中電灯がまだ使われていなった時代で、
松の根をほって松明をつくり、1mくらいの竹にさして、夜中に川の中を照らして歩く。
「魚は夜眠っている」という発見をする。ヒレをわずかに動かしながら流されないようにバランスをとって眠っているという。それをつかみ取りするのだ。
これは、やったことがない。機会があればやってみたいと思った。

「26大洪水(1951年、中学3年のとき)」の経験も貴重な証言だと思った。
牛が流れるのを見たという。
赤ん坊が、布に包まれたまま木にかかっていたという。

以下、大事だと思ったことをメモしておきます。
1、ダムについて
「26大洪水」をきっかけに建設されたダムについて、功罪は複雑という見方をされている。洪水を防ぎ、年間をとうして一定の水量にしていることは、認めつつ、「大水が出なくなった。したがって川の大掃除がされず、ところによっては土砂が堆積し、川底があがる」「1年に一度は、川の大掃除になるような大水が出て、川底を洗い流し真っ白い河原が見られるような川に戻すことは考えられないだろうか」と書かれている。

2、川の水の変化が指摘されている
「以前の佐波川はとにかく清らかであった。きれいとか清らかという言葉では不正確になりそうだ。ただ澄み切っているのであれば現在でも見かけはかわっていない。しかし、水の質がまったく異なるように思う。現在の水は溶け込んでいる物質が多くて、比重も重くなっているのではないかと素人の私は思うのだが・・・いまのように、無害な水なら流しても文句を言うな、というわけで、何もかも『浄化した、消毒した』と川へたれ流したのでは、川イコール下水道になってしまう」と指摘されている。
合併浄化槽は、富栄養化の原因であると書かれている。
(この問題は、この世代の人からの「直感的に感じるのだが」として教えられることが多いです。
へちまやの10行コラムにメモしておきました。「水処理のポリシー、その2:処理水を放流しない」の項を参照ください。やむを得ず流しているのにその自覚がなくなったと指摘されている人も偶然か徳地の方です)

3、川への回帰を訴えている。
「川が変わった、人も変わった」と小見出しをつけて、川に人がいなくなって、川が淋しくなっていることが語られている。
そして、「佐波川の栄華を取り戻すためには、一にもニにも人々の気持ちが川に回帰することである。川にで出よう。川と遊ぼう。川を慈しもう。」
「淋しい佐波川はご免だ」「甦れ、佐波川」と呼びかけて結ばれている。

金子さんの川の体験と思いは、実に強い。
産まれたときから川で遊び、川の恵みを全身で受けてこられている。
川の歴史と自分の生活史が、重なって語れる人生があるのだ。
川と川遊びと世代とは、どんな関係にあるのだろうか。
流域で育ったという地域性もあるのだろうか。
この世代(現在、70歳代)の固有のこと、としていいのだろうか。

でも、佐波川ほど大きな川でなく、それほど川漬けで育ったわけでないわたしのような人間でも、川への愛着が共鳴をもって響くのはなぜだろうか。
小さいときに山羊を飼い山羊の乳で育ったものが、後年、山羊を飼いたくなるように、幼いとき川遊びをしたものは、ふと、川への回帰に強くひかれるのだろうか。
それとも、もっと別のところで、人なら誰でも、なにかの刺激で一度川の魅力を知ると何かしら心揺さぶられ、水に引き戻されるようなメカニズムが働くのだろうか。結論を出さずにもう少し考えることとしてとっておこうと思う。



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posted by 村のトイレ屋 at 09:19| 山口 | Comment(3) | TrackBack(0) | 水処理倶楽部 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 まいどごひいきありがとうございます。
ハイロウビンというのは、

 蝿が溺れるようにしかけたガラス細工の丸いもの
(金魚鉢うらがえし風)のものなのですが、

それを魚獲りに転用しておられたというころの
ようです。どこかに写真か図があるといいのですが、
とりあえず、まにあわなかったので。

 金子さん(出雲神社の宮司さん)の自分史は、そのうち大作になって登場すると期待しています。
Posted by 安渓 遊地 at 2006年08月05日 17:23
川の大掃除とは、気づきませんでしたね。
「へぇ」です。
河口の砂浜にも影響するんですね。

浄化槽も流量調整槽を設けて、一定に流すことをよしとしますけど
たまにはどかーんと流して微生物相にショックを与えてやったほうがうまくいくのかしら?
って、逆洗がそれか。
でも、沈殿分離槽とか嫌気ろ床槽とかはそういうわけにはいかないですね。

いろんな考え方があるということがわかるのはうれしいことだと思いました。
Posted by くじら13号 at 2006年08月07日 19:16
安渓さん、くじら13号さん、
コメントありがとうございます。
金子さんの提案が実現するかもしれませんね。
こんな記事が朝日新聞8月13日にありました。
7〜8年前に伝統的な河川工法として聞いたことがあります。
以下、一部引用します。
=====================
http://www.asahi.com/national/update/0813/TKY200608120410.html
あふれさせる治水へ、住宅周囲に堤 国交省方針
2006年08月13日08時44分
 国土交通省は、伝統的な水防技術「輪中堤(わじゅうてい)」や「二線堤(にせんてい)」を活用し、河川の水があふれることを前提として洪水から住宅地を守る「洪水氾濫(はんらん)域減災対策制度」(仮称)を来年度から創設する方針を固めた。次の通常国会で関連新法の制定をめざす。これまで国の治水政策は、あらゆる河川に堤防を築き、上流にダムを建設して洪水を封じ込める手法に重点を置いてきた。これに対して公共事業費が減り続ける中、記録的豪雨が頻発する近年の傾向を踏まえ、川があふれても住宅被害を最小限にとどめる新しい治水の仕組みづくりを本格化させる。
(中略)
国交省は「流域すべてを洪水から守る目標を捨てるわけではないが、完全な改修には時間がかかる。氾濫が頻発する農村部では、あふれるのを前提とした治水を一つの手法として採り入れたい」としている。
Posted by へちまや at 2006年08月14日 07:19
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