2006年07月20日

化学傷害者の避難住宅

7月16日の朝、化学傷害(「化学物質過敏症」)の患者さんから
電話があった。約1時間くらいお話した。用件は、緊急に避難できる住宅は、もうあるのか、ということだった。
ようやくモデルとなる木造の小屋ができた。
これをサンプルに、やや小ぶりなものをつくれば、要望に応えられるものとなるだろう。この秋には完成させたい。
そのようにお答えした。また、人によって反応が異なるのが、この病気の大きな特徴なので、
是非あったか村の空気と環境をみて、感じて、さらに住宅そのものに
ついて意見や希望をお聞きしたいと伝えた。

電話は、いつもどなたも長くなる。
説明が具体的になるのと
やはり、一人でも多くの人に実際のところを理解してもらいたいという必死さがあるからだろう。
また、ようやくマスコミで取り上げられるようになったとはいえ、化学傷害については、十分な理解を社会的に得ているとはいえず、家族・友人・知人の間でさえ、「怠け者」「サボり」「変わっているから」「気の持ちようが弱いから」などといわれていることも関係していると思う。

先日の電話の人は、次のように語っていた。

「化学物質過敏症になると日本は住みにくいですねえ。
もう生きていくなといわれているような気になります。
病院に行っても苦しいし、安心して住める家がないんですからね。
勝ち組負け組の負け組のさぼりのようにいわれて、・・・
誰にも相手にされず、話し相手も、どんどん少なくなっていってゆっくりしゃべりあう人も減っていきます。」

化学傷害とは、化学物質・化学毒の被爆による明らかな病気だ。
個人の特別の体質によるものではない。
誰もがかかりうる危険性のある病気だ。

家がいっぱい密集していながら、
住むところガないというのは、つらいことだ。

「私も、北海道や伊豆の化学物質過敏症の対応住宅のお話を聞いて、関心もあるし住みたいのですが、とてもお金の面でいけません。
家族もいますし、子ども今別々の生活をするというのも困難です。
でも、ちょっとでも、1週間でも楽にできるところにこもって体を軽くすることができれば、どんなに助かるかもしれません。・・・
実は、今は気分の悪くなったときは、海辺の集落に行って、
その中の民家の少ない山の窪地があるんですが、
そこが工場地帯からの風が割と少なくて、
そこでジッとしていると落ち着きます。
1日近くそこにいます。
時々風の流れで苦しくなるときもありますが、
でも市街地にいるよりは楽です。・・・
この間も島根県のある村で有機農業の里だから
安心して行ったのですが、そこでも、
部分的に農薬を使われる農家がいて、苦しくなって逃げてきました。
あんな自然豊かないいところでも暮らせないなら
どうしょうかと悩みました。」

私たち、あったか村にすべてが対処できるわけではない。
一人ひとり症状と反応する物質が異なる。
少しの環境の相違で体調を左右される。
そうなれば、多様なパターンを用意する以外にない。
今私たちが達している考え方は、
あったか村を足場=足ががりにして、早い時期の避難住宅の建築と
近郷周辺の農村・山村の空き家のリストアップをすることだ。
多くのパターンを集める。まずは、いつでもみてもらえるようにしておく。
ちょっとの手入れで住めるようにしておく。
この点で国道315号線のエリア、西中国山地は多くの空き家に恵まれている。むしろ、これ以上放置できない状況になっている。
集落の崩壊の危機が迫っている。。
このことは、反対に、都市からの住民、化学傷害者を迎え入れるチャンスでもある。願ってもない環境になる可能性がある。
もちろん、空き家と言っても、代々ヘビースモーカーで使えないとか、
畑に農薬が残留してて雨上がりには苦しい状態になるとか、
その前に、そもそも貸すことも売ることもしたくないといった人的な壁もあるだろう。どうやって食べていくかという根本問題もある。

しかし、一方で、農山村のほうがはるかに暮らしやすいし、健康にいいとわかっている人がいて、
他方では、自分の住む地域をなんとか守り抜き、元気づけようとする人たちがいる。グリーン・ツーリズムのもうひとつの側面だといえる。

あったか村は、誰かが、作ってくれて「はいどうぞ!」というようなものではない。参加する人が、それぞれの夢と必要性をバネに作り上げていく村である。緩やかな共同体の性格の中に、自分の個性を織り込んでいくものだ。

あったか村を足場にして、自分のペースと生活スタイルをつくりつつ、
同時に、化学傷害に向き合い、回復の道筋をつくっていく。

避難住宅の要望の電話を受けつつ、「急がなければ」という焦りを覚える。。
同時に、本人、家族、支援者、加えて地元の協力者の一体的な協力の体勢が不可欠であって、互いに利用しあうという関係を越えた、人間と人間の心のこもった支えあいが不可欠になるだろう。それはそれで時間がかかるだろうとも思う。

吹けば飛ぶようなあったか村(もちろん、謙遜で言っているのですが、実態がそれに近いところが、まあ、大変ですよね)にも、かなりの人が期待を寄せている。ここ3年半の蓄積も、ゼロよりはましという人もいれば、他にないのだからこれを伸ばす以外にないという人もいる。

それぞれのところで、じっくり考えて、
一度はあったか村にきてもらって、話し合って、知恵を交換しあって
事態を次に向かって打開したい。そういう次のステップに踏み出す段階を迎えた。もう何度目かになる電話を受けながらそう思った。




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posted by 村のトイレ屋 at 23:28| 山口 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 化学傷害(化学物質過敏症) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
この記事読んで、ちょっとショックを受けました。
気の持ちようだなんて言われるの、本当につらいですよね。
それに、自分の住む家や食べるものが化学物質を使っていなければそれでいい、という問題ではないのですね。当たり前のことなのかもしれないけれど、気づきませんでした。みんなの問題なんですね。
わたし自身は、症状となってあらわれるほどではありませんが、昔から化学物質には自然に嫌悪感を抱いてきたせいか、なるべく避けて通ってきました。
建てた家もなるべくそういうものを使わないようにしましたが、それでもかなりありますよね。
これからはもっともっと気をつけてみます。
Posted by はたかおり at 2006年07月24日 09:08
>はたかおりさん、
コメントありがとうございます
今時の日本で家が密集しているところで
住むところがない。受入れてくれるところが
ひとつもないというのは、辛いものがあると思います。
河原にテントを張った、車の中で過ごしたという話はずいぶんお聞きしました。
私たちも、なにか立派な建物をつくろうとは思っていません。
ただ、化学物質を極力使わない工夫は、いろいろなところに応用がきくと思います。
茅葺き屋根もその一つになりそうです。
Posted by へちまや at 2006年07月25日 08:05
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