2011年02月11日

狭き門、糞門または聖書の中の便所についてのメモ

とりあえずのメモとして。
1,読んでとても感銘を受けた。
2,新共同訳聖書には、かわや・便所という言葉はない。
しかし、ギリシャ語原典には、「便所(アフェドローン)」という言葉がある。
聖書以外の文献で調べたギリシャの都市問題・糞尿問題にについて次のように書いている。
「アテネには糞尿処理の専業者が存在したらしい。糞尿のことをギリシャ語でコプロスと言うが、それを集めて処理する人のことをコプロロゴイと呼んだ。コプロロゴイは国有奴隷であった。彼らは町中の糞尿を集めて城壁の外に捨てに行くのだが、その際、城壁から十スタディオン(約2キロ)以内には汚物を棄ててはならないことに決まっていた。それがいかに過酷な労働であったことか。都市生活は、糞尿処理の大問題と共に、そういう差別問題をも抱え込まざるを得なかった。」

3,エルサレムの門について、
ギリシャの都市と同じ問題を抱えていたとして、
城壁の南端に「汚物門」「糞門」と呼ばれる門があった。イエスが「狭き門より入りなさい」というその狭き門とは、この門のことであると深澤牧師は確信している、と書いている。「狭き門」解釈としてはじめて聞いた。

4,イエスは、農村の生まれ。
「イエスそのものは、農村の生まれで糞尿の肥料価値を知っていた。イエスのたとえ話のなかで『糞尿(コプロス)』という言葉は、すべて『肥料』という意味で使われている。そこには汚物という感覚はない。」
マルコ7:19 「こうしてすべての食物が清められる」 
マタイではこのことばが、削除されているという話。

5,キリスト教は、いつから便所・糞尿を消してしまったのか?という疑問が残る。
あるいはその後どのように扱ってきたのか?という疑問である。


        
引用サイト:
日本キリスト教団佐世保教会 深澤牧師の説教要旨
 
2004.418の説教から 「狭き門」マタイ福音書 7:13-14
http://www.ne.jp/asahi/church/sasebo/youshi04'04_18.htm

005.4.10の説教から「かわや」マタイ福音書 15: 1−20
http://www.ne.jp/asahi/church/sasebo/youshi05'04_10.htm

posted by 村のトイレ屋 at 19:46| 山口 ☁| Comment(0) | 便所 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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