2006年05月22日

手塩にかけるとは、

つい、さっきまで思い違いをしていた。
「手塩にかける」という言葉は、畜産から出た言葉と思っていた。
牛や馬を育てるには、塩や味噌が不可欠である。
牛や馬を野山に放牧したときに、塩や粗味噌を適当な場所に置く
なり、呼び寄せて、掌にのせて直接与える。舎飼いでも、牛や馬
の飼育担当のものがおこなっていて、みずから心をこめて、育て
ることを「手塩にかける」というようになった、
そう思いこんでいた。

塩原太助など馬を育て愛着を持つ人物などはその例であろうと
思っていた。また私の祖父などの昔からの牛の飼い方には、そん
なことを思わせるものがあった。

私は、小学校の4年5年のときに山羊を買ってもらって、飼育を
任された。そのとき祖父は、もう亡くなっていた。牛もいなくなっ
ていた。でも父が、山羊を与えたくれた理由は祖父にあった。

祖父は、学校を嫌っていた。
学校は、人間を駄目にするところで、「ろくなものにせん」と常々
私に語っていた。
「いいか、字を覚える暇があったら牛の飼い方をおぼえろ。
それで食いはぐれることはない。一番、気楽で楽しい一生をおくれ
るのだ」と語っていた。
鶏のしめ方の実技も教えてくれた。山を連れまわしてくれた。
「牛を飼うのに大事なことは、野山のどこに味噌おけばいいかを知
ることだ」といつも結んだ。このことを私はしっかり覚えていた。

母は、小学校の教師であった。
役場つとめをしていた父と結婚して、食べられるだけの農業をする
ことになった。私の教育方針をめぐって、祖父と対立した。
「学校に行かなくてよい」という祖父に従って、私が本当に学校に
行かないと激しく祖父と言い争っていた。私は、祖父のいうことを
聞いてはいけないと諭された。祖父は、晩年米を持って知人の間を
泊まり歩くようになり、母が迎えにいくようなことが重なって、権
威と説得力を失っていった。

祖父が亡くなって、私への影響力が消え、私は学校に通いはじめる
というのが両親の目論見であったが、実際はそうならずに、私は
「牛を飼いたい」といいつづけるようになったらしい。泣き喚いて
せがみ続けたようだ。父は、それで、牛は無理だが山羊ならいいだ
ろうということで、譲り受けてきて、山羊を私が飼うことになった
ようだ。
この話は、後年、父の葬式のとき、年上の従兄弟達から教えてもらった。
私自身では、中学校の後半まで、酪農をやるつもりでいたことをうっ
すら覚えていて、いずれは牛を飼うのだ、山羊はその練習であると
思っていたような記憶があるが、曖昧である。
でも、山羊を熱心に飼ったことは、はっきり覚えている。
乳を絞って近所に配ったことも忘れていない。
山羊の世話で学校に遅刻しても、全然気にならなかった。

そんな記憶があるから、草食動物に塩は大事なものであることを私は
知っていた。
最近、山羊を飼いはじめてそのことを思い出しはじめた。
それで、「手塩にかける」という言葉を聞いたとき、
その語源は、牛や馬の放牧からきていて、さらに進んで、飼育の丁寧
さをあらわしていて、語源はここから発していると思いこんでいた。
辞書も調べずに、思いこんでいた。

正確を期そうと思って、調べてみたらまったく見当違いだった。
「手塩」とは、膳についている小さな塩の盛り、あるいはその皿に盛
られた塩のことであって、「塩加減を自ら調えること」で、牛や馬や
放牧の出る余地はないようだ。広辞苑、小学館国語大辞典、角川国語
辞典、いずれもこの解釈だ。語源由来辞典にも同じ説が書かれている。

私たちは、今山羊・羊を放牧している。
農協で買った鉱塩を山羊たちの集まるところに置いている。
掌に塩をつけて嘗めさせてみる。
一頭一頭、そうやって少し首筋をなでてやる。
喜んで寄ってくる。腰に体をすりつけてくる。
こんな雰囲気は、「手塩にかけている」という感じが、私には、ぴったり
なんだけれど、勝手に日本語をかえるわけにはいかない。
言葉は正確に使わなくてはいけないと自分に言い聞かせる。でも、別の
辞書があって、家畜語源説を開陳しないかなあ、と心のどこかで望んで
いないわけではない。


posted by 村のトイレ屋 at 22:40| 山口 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 山羊・羊とチーズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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