2006年04月21日

酒井順子著「トイレは小説より奇なり」、二度流し

流行というか、
流行をうみだしたり、促進したりする、
「時代の気分」というようなものがあるようです。
気分だから、移ろいやすい。かわりやすい。
無常だな〜と思ったりします。
いちいちつきあっていられない。
いちいちつきあわずに、山にこもって、自分のペースで生活するのが一番いいもんね、というのも時代の気分の一種で、田舎暮らしがブームになっているのもそのためかもしれない。(もちろんそれだけではないでしょうが。)

酒井順子著「トイレは小説より奇なり」(集英社文庫、500円)。
この本を読んで、
「時代の気分」をつかみ、日常の細部に宿る雰囲気を言葉で写し、文章として定着させるのがうまい人だなあと感じました。
で、早速トイレの二度流し問題です。
このエッセイ集(コラム集?どう違う?)は、
書名になっている、トイレは小説より奇なり、それに、青年の単語帳、春夏秋冬いとおかしという3編の構成になっています。
トイレの二度流し問題は、「二度流しの秘密」と題されて冒頭にあります。

彼女の説は、こうです。
(二度流しのテクニックについて、ボタンの押し方、水を流すタイミングなどに触れた後、自分の家のトイレではそんな習慣はない、周囲に人さえいなければおしっこの音を気にする必要はない、と書いて)

「・・・公共性を持つトイレなのです。それもデパートやホテルなど、まったく知らない人が集まるトイレであれば、まだ羞恥心は薄い。女性にとって最もおしっこの音を聞かれるのが嫌なトイレとは、学校や会社など、”知合いであはあるが他人同士”が集まるトイレなのです。」
「知合いであるからこそ、
『あ、今サカイさんが、このトイレの中でおしっこをしているのね』
ということが、わかってしまう(ような気がする)。自分個人と、おしっこという行為を直接結び付けられるのが、嫌なのです。」

「なぜ、たかがおしっこの音がそんなに恥ずかしいのでしょうか。これは非常に単純な話です。『みんなが消すから』。それだけなのですから。水洗音だけが聞こえるトイレに、一人おしっこの音を響かせるその勇気。それがありません。」

1、おしっこという行為は恥ずかしい行為である
2、音によってそれが分かり「自分個人と結びつけられる」のは嫌。
  恥ずかしい行為をしている人格とみられる
3、「みんながやっているから」自分だけ流さないのは、はしたないと思われる。
とまあ、まとめられるようです。
羞恥心、とくに「みんながやっているからやらないのは」という日本型の羞恥心が大きな要素を占めていることがうかがえます。

まったく知らない赤の他人の中、駅や高速道路のトイレのときにはそれほどでなくて、「恥ずかしがってもしょうがないもんね」という割り切りがなされるそうです。(これは人によって、違うのだろうか?)
トイレが羞恥心の対象になっていること、
ここが、問題のありかだというのがわかります。

男の場合、私の場合はどうだろうか。
おしっこは、小便器でみんなの見てるなかだからあまり問題にならない・・・と思ったけれど、空いていれば隣に人がいない便器を使うようだ、無意識に。これも恥ずかしがっているのに通じるのだろうか。
しかし、一応このことはおいといて、
大便の音を聞かれるのを恥ずかしがるだろうか。
普通に、すっとでる場合は、少しの音は聞かれても気にならないと思います。
でも、下痢をしていて、バリバリシューと大音響を立てた場合はどうだろうか。
小中学校の頃は、恥ずかしがったような気がします。
公衆トイレの場合は、外で誰かが待っていたらなんか照れたような顔してでたような記憶があります。でも、たいてい「間に合ってよかった」と言う場合だから、
人の耳など気にしていないように思います。

仲間同士というか知人の中だったら、
下痢の大音響にみんながどう反応するかによってかなりかわるだろうな。
「どうしたんや」「何食ったンや」「寝てなくて大丈夫か」などとネチネチ質問されるのも、嫌だろうな。
かといって、聞いていながら上品ぶって無視されるのも面白くないかもしれない。「わっはっは、すごい音やったね」と明るく軽くアッサリと言ってもらうのがいいかもしれない。
私がそう言ってもらったら気が楽だからといって、人のトイレ下痢音に、そういう声をかけていいかは、ちょっと現場にたってみないと分からないような気もします。状況にもよるし、その人との距離にもよるかもしれないですね。

でも、トイレや下痢をなにか特別の「恥ずかしい行為」として扱うことには抵抗したいですね。トイレは、当たり前の排泄行為であり、下痢もよくあることのひとつです。この基本スタンスは通したいですね。
それと、うちの嫁さんも言っていました。
「トイレの行為を恥ずかしいことでもないのに、まあ万が一恥ずかしいとしても、その人の人格と結びつけて考える考え方、あれがいや、あの考え方を捨ててほしいもの」
同感ですね。

日本で二度流しをしないで平然としているのは40台以上の女性である、
外国ヘ行くと二度流しの習慣がないので、彼女も二度流しをしていない、
という観察にたって、
著者は、この文章をこう結んでいます。
「40台になる前に、おしっこの音を堂々と響かせることができる人になれたら、結構格好いい、と思います。」と。
さて、どうでしょうか。
最近は、少しは格好いい女性が増えているのでしょうか。

トイレの話題を三食の食事と同じように堂々と語る人が増えて、音も二度流しなどおよそそんな習慣があったことも忘れ去られ、しかし必要な快適さは確保される。
そんな「時代の気分」がほしいような気がします。
posted by 村のトイレ屋 at 10:33| 山口 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 本の感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは。はじめまして。やぎ大好きで最近、いっきにやぎブログを荒らしております。こちらへは、はたさんの所からやってきました。
やぎ目当てでやってきたのですが、それ以外の話が面白くてはまりそうです。
酒井順子といえば、負け犬の言葉を生んだ人物ですよね。青春時代に雑誌オリーブの洗礼を受けた私にとっては、非常に懐かしい人でもあります。
トイレの話は面白い。椎名誠の本で読んだくらいですが。
この本読んでみます。図書館にあるといいんだけどなぁ。
今後もちょくちょく遊びに来ますので、よろしくお願いします。
Posted by まゆぺん at 2006年04月21日 23:47
まゆべんさん、どうも。
遅くなってすみません。
私もはたさんのページと全国山羊ネットは毎日覗いています。
トイレの話題は、水処理が仕事ですので縁が深いのです。酒井順子さんが、負け犬という言葉を使って、「負け組み」「勝ち組」なんていう嫌な言葉の流行につながっていったのでしょうか。
椎名誠のモンゴルの嫁選びのエピソードは強烈でした。オシッコの音と勢いで選ぶそうです。

こちらこそよろしくお願いします。

Posted by 安藤 at 2006年04月28日 14:48
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