2010年07月20日

タイの農山村でトイレをつくる

山口新聞のコラム「東流西流」に5月、6月の2ヶ月にわたって、毎週水曜日に書いたものです。全文を掲載します。山口新聞サイトは、こちらです。
http://bit.ly/aiiv89

なお、ブログ掲載にあたって、文字をいくつか変更しました。
とくに、漢字制限の関係で「ふん尿」となっていたものを「糞尿」にしました。
まだ書ききれていない、現場の多くのことがらが残っているのですが、別の機会を期したいと思います。今後の進行もおりに触れ、お知らせします。





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タイでトイレを作る


 「トイレの神様」(植村花菜:作詞作曲)という歌が静かにブレークしている。昨日も、たまたま通りかかった宇部市新天町商店街で流されていた。トイレには女神様が住んでいて、掃除をきちんと行うと願いごとを叶えてくれるという祖母のことばがテーマの歌だ。
 この歌に便乗するわけではないが、しばらく便所と糞尿の話にお付き合い願いたい。とはいっても、この分野は範囲も広く奥も深い。先学も数多い。そこでタイ北部パヤオ県の農山村地帯でのNPO法人シャンティ山口のトイレ作りの実践報告に話を絞りたい。
 シャンティ山口は10件のトイレ設備を作ってきた。最初は自己資金で個人の住宅、シャンティ学生寮、それに養豚排水のガス化実験など。昨年度までの3年間は、地球環境基金と今井記念海外協力基金の助成を得て村の広場の公衆便所、保育園、学校宿舎、図書館のトイレ設備を設置した。
 タイ北部パヤオ県。ラオス国境にほど近い、山岳少数民族モン族の居住する五つの村での事業である。なぜ、トイレ設置事業に取り組むようになったのか、どんな仕組みなのか、どんな人たちがそれを進めてきたのか、今後どのように発展していくのか、そんなことをボチボチとトイレの神様に導かれながら綴っていきたい。


雨季の子どもたち


 NPO法人シャンティ山口の事務局長佐伯昭夫さんは、1993年結成以来、ラオスからの難民、タイ北部の山岳少数民族モン族への支援の活動をつづけてきた。
1998年6月、初めて雨季に訪問し、ショッキングな光景に出会った。
「子ども達が水溜まりで遊んでいるのですが、人糞の塊をおもちゃにしているのです。
糞の塊が地表水で流され、水溜まりに浮いていて、子ども達はその中で平気で遊んでいるのです。汚染と感染症の問題が日常的にあることをはじめて深く考えるようになりました」
もともとシャンティ山口の活動の目的は、モン族の生活の自立支援である。とくに子どもたちの就学支援に力を注いできた。
 衛生問題に直面し、翌年1999年から、現地の保健所の協力を得て、かかわっている村で「トイレ設置のためのワークショップ」を順次開催し、トイレの普及活動もはじめた。
当時のモン族の集落では、トイレがないか、家の外にトイレの小屋を建て、その下に素掘りの穴を掘って、穴に茅をかぶせておくものが普通だった。次第に、コンクリート製品が普及するようになるが、
雨季に地表を糞尿が流れることに変りはなかった。
考えあぐねていたある日、便所の側で、佐伯さんは、日本の昔のある方法がいいのではないかと思い至った。


        農山村トイレの実際


 モン族のトイレ衛生環境の改善は、タイの地元政府の推奨もあって、タイの農山村で行なわれている方式によることになった。佐伯さんの「ある発見」に触れるまえに様子をみてみよう。
 トイレの建物は、住宅部分とは別の小屋にする。トイレの内部は、便器と水桶があり、手洗いの容器を常備する。左手で尻を拭き、紙は用いない。用便後、手を洗い数回水を流して便槽に送る。水量は、水洗トイレの8分の1程度で済む。とても合理的だ。
便槽は、トイレの建物の外に円筒状のコンクリート製溜め槽を埋めている。直径は1m、深さは1個50cm、2段あるいは3段に重ねる。家族の多い家では、6段、3mの深さに埋めこむ例もあった。
タイ式では、コンクリート槽の横サイド数ヶ所に、3センチ程度の穴を開けて、埋めた側面の土壌にに糞尿が出るようにしてある。また、メタンガスによって蓋が飛ばないように、蓋に穴をあけ管を立てて空気抜きをつくっている。
  学校や幼稚園などの施設もこの方法がとられる。建物の規模によっては、コンクリート製溜め槽を2ヶ所つくる場合もある。槽が一杯になったあとは土壌へ流し、しみこませる。コンクリート槽の穴や土壌が目詰まりを起こして、周囲にあふれでる。雨季のスコールが洗い流すのを待つ。子どもたちが糞塊と遊ぶ光景は、ここからうまれてくる。


        困難な課題

 「現地に適したトイレの仕組みは、ないものだろうか」
 1998年、子どもたちが、糞の塊をおもちゃにして遊ぶ光景が報告されて以来、シャンティ山口のメンバーは、衛生の問題をしだいに考えるようになった。本来の活動の柱である教育支援と並んで、タイへの現地訪問や交流を繰り返しながら、身近で大切な問題として検討するようになった。
先進国の都市型下水道は、農山村地帯の現場なので選択からはずれる。日本の農業集落排水事業も予算規模の大きさから除外された。
日本の小型合併浄化槽は、もっとも検討された。ガソリンスタンドなどで採用されていて、タイ式にとってかわるかと期待された。でも、調べてみると、空気を送る曝気(ばっき)装置の電源が止められていて、維持管理が行なわれていなかった。多くが垂れ流し状態だった。電気代と高度なメンテナンスがネックとなっていた。現地の条件に合致していなかった。
国際支援を行なっている世界や日本の団体はどうしているのだろうか、なにかいい方法はないのかと調査も行なった。事例は意外と少なかった。多くの団体が取り組みたくても、「トイレは後回し」にしていることもわかってきた。
壁は厚く、問題は簡単でないことが、はっきりしてきた。


          肥溜めと畑の知恵


「そうか、栄養として肥料に使うことを考えればいいのだ」
考えあぐねたある日、佐伯さんは、タイの村でトイレと便槽の周りで草がよく生えていることに気づいた。草の生え方に勢いがある。野菜を植えている家もある。よく育つからだ。しかも、他と比べて独特の甘みがあって美味しいという。
佐伯さんは、山口市大内矢田の生まれである。今は、密集した住宅地になっているが幼いときは、一面、水田と畑であった。そこでは、肥溜めがあり、畑にまいていた。「下肥え」である。畑仕事の手伝いで、父親と畑に肥え運びをやったこともある。肥料が効いて美味しくなるという話をきいたとき、このときの経験を鮮やかに思い出した。
 肥溜めの方法が生かせるのではないか。
 帰国して調べた。肥溜めと糞尿利用は、江戸時代のリサイクル社会の典型として高く評価されている。海外からきた宣教師たちが、江戸時代の日本の都市の清潔さに驚いていた。人の糞尿は、貴重な資源として集められ、陸路や船で農村に運ばれ、問屋もあり肥料として取引きされていたからだ。農村から街へは、野菜や穀物として戻ってくる。
 すばらしい仕組みだ。問題は、高い評価とは裏腹に今の日本では忘れられているこの方法を、タイでどのように実践していくかだ。ちょうどそんなとき、佐伯さんと私は、出会った。


   秋吉台のトイレ


ある人の紹介で、2002年、佐伯さんと私は出会った。私は、「肥溜めと畑の知恵」を生かした水処理技術の設計・施工・販売をはじめて10年目を迎えていた。自然公園などで30数件施工していた。そのうちの美東町の秋吉台オートキャンプ場と真長田定住センター(役場支所)に佐伯さんを案内した。また、工事中だった秋吉台カルストロードの長者ヶ森駐車場の公衆トイレを例に、無放流式で電気が不要、維持管理費が低廉であること、農家の知恵が実際に応用されていることを説明した。
 この方式は、水処理用語では、「嫌気性微生物による処理と土壌還元」と呼ばれている。水洗トイレから肥溜めに当たる部分に運び込んで一定期間溜めておく。その間に、酸素がないときに活躍する微生物(嫌気性菌)の働きでガスと水への分解、発酵と滅菌が行われる。肥桶で運ぶのは大変なので、段差を利用しパイプで土壌部へ送る。そのとき、地表に撒かないで地中に拡散させることに工夫がある。
 佐伯さんに説明し、同時にタイのトイレと衛生状態をつぶさに聞いて、私は、タイの農山村にどうしても行ってみたくなった。それで、その年3月のシャンティ山口の10日間の現地ツアーに参加した。腰の軽さと好奇心からではあるが、それだけでなく、「ある種の跳躍」を予感していたのであり、事実その通りになった。
 

         第1号の完成


「肥溜めと畑の知恵」の応用の見通しを得た佐伯さんは、設計と試行錯誤を繰り返して、2005年に記念すべき第1号を設置した。当初は、シャンティ学生寮の予定だったが雨季で工事に不都合が出て、セーンサイ村の個人の住宅になった。
親戚、近所の人、それにシャンティ学生寮の学生とスタッフが工事をした。400坪近い広い竹の塀に囲まれた敷地の中で、野菜畑に利用するその一角は犬や鶏、子豚から守るために青いネットを張ってある。主人のスーさんは、1昨年私がホームスティさせてもらったときに、「くみ取りは要らないし、トイレまわりがきれいになって、野菜がよく育つのでうれしい」とにこにこしながら説明してくれた。
 コンクリート製品、ヤシガラ、竹細工、焼いて使う粘土質の土壌、香草の知恵など、現地は、見方をかえれば自然循環型の浄化法にとって宝庫ともいえる好条件にあった。最先端で高価な工業製品というわけでも、原始的な手法でもなく、現地に合致した「適性技術」の可能性が広がった。
 実は、工事をしたスーさん宅は、シャンティ山口の現地工事の現在のスタッフ責任者・デュポンさんの奥さんの実家である。現地では、どんな人と活動しているのか、という質問をいただいている。次はそのことを書いておこう。


デュポンさん


タイのパヤオ県へ着くと、シャンティ学生寮に1〜2泊させてもらう。今の寮の責任者は、ガランさんだが、その前はデュポンさんだった。このふたりや現地の人に会えると思うと心が弾む。
ガランさんもデュポンさんも難民の子供である。ラオスから国境を越えてタイへ来た。デュポンさんは現在40歳だが、3歳の時にラオス内戦に遭遇し、広いメコン川を筏と竹竿でタイ側へ渡ってきた。よくぞ生きていたと今でも言われるそうだ。
小学校は、山岳地帯に住み、無国籍で学校に通う。中学校、高校はお寺に預けられ修行しながら通学する。アメリカのモン族の支援でチェンマイの農業大学の名門メジョー大学で学び、卒業後、SVA(シャンティボランティ会)の職員となって、初代のシャンティ学生寮の管理責任者となる。いつも笑顔で穏やかに話し日本語が堪能で農業に詳しい。
寮に住み込んで生活指導を行い、子供たちや親たちの相談役として慕われる。寮には、50人前後の子供たちが暮らし、近くの中学・高校に通う。米や野菜は農園で自給している。1996年5月に開いてからすでに15年余りを経過し、手塩にかけて巣立った卒業生が社会人となっている。
現在、シャンティ山口の現地工事責任者として、寮の卒業生二人とともにエコトイレを柱に自立的な事業展開を目指している。
 


        便所の女神様への願いごと

 便所の女神様は飛び切りの美人だという。「特別に力の強い神様で、ほかの神様にお願いしても通らない願い事は、便所の神様にお願いしたら通る」(安渓遊地・安渓貴子著『島からのことづて―琉球弧聞き書きの旅』葦書房)そうだ。
 1枚の写真がある。保育園の子供たちが10数名、両手を開いて笑っている。真ん中のガスコンロから青く赤く炎がたっている。佐伯さんは笑って手を火にかざしている。クンガムラン村の保育園の台所だ。ガスは、裏の公衆トイレのメタン収集機からガス管で運ばれる。
 子供たちの衛生問題から始まったトイレ作りは、日本の肥溜めと畑の知恵が役立ち、現地で工夫が加えられ、燃料製造装置となって実を結んだ。今年から、ホイプム村では、300人50戸の集落全体を対象に取組む。遺伝子組換え農業と対峙し、焼畑で荒れた山林回復を含む事業だ。
 私自身は、少しでも役に立てばと参加したが、モン族の人たちからアジアの隣人の助け合いのあり方を学び、お陰さまでたくさんの助けをいただいた。「糞尿は資源」という実例と確信を得たことは、なにものにもかえがたい。さらに、世界中の子供たちが、希望をもって生きられることを女神様への願い事にして筆をおきたい。ご愛読ありがとうございました。今後の進行は、「村のトイレ屋」でネットで検索してご覧ください。





 

posted by 村のトイレ屋 at 14:30| 山口 ☀| Comment(0) | NPO法人シャンティ山口の活動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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