2009年04月10日

「空気が読めない」考

最近、「空気が読めない」という言葉をよく聞く。
今日も、ある店で、上司とおぼしき男性が、女性の部下に話していた。
「営業は、空気を読んで相手にあわせることが大事で、いつも一本調子の自分のペースでは、だめなんだよ」と語っていた。

ネットでもよく見かける。
最近気づいたが、この言葉、最初に出たときとニュアンスがちがってきたように思う。「場の雰囲気を知る」と言う意味から雰囲気にあわせて自己をおさえない人間をなにか抑えつけるような圧迫感、脅迫感があるように思える。ネットなんかの使い方をみていると、大勢に順応することを相互監視しているような雰囲気を感じる。

それで思いだしたのは、むのたけじ著『戦争絶滅へ、人間復活へ』だ。「93歳ジャーナリストの発言」というサブタイトルがついている本だ。岩波新書。

第2章従軍記者としての戦争体験のなかに
「自己規制する新聞社」という節があって、次のように書かれてる。

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当時新聞社のなかに、特高とかあるいは検閲官が来て「これは掲載できません」「これはだめです」なんて言ったことは一度のありません。新聞社がみずから自己規制を始めてしまうんです。新聞も雑誌も出版も全部そうだった。自己規制をどんどんやるようになる。新聞社自体が、自縄自縛に陥ってしまったんです。新聞社はなぜ反戦運動ができなかったか、と言われますが、できるわけがないのんですよ。」p52
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当時というのは、太平洋戦争の時代のこと、戦争の末期のことだ。軍部の言論弾圧は直接はなくて、記者たちの自主規制と相互監視、自縄自縛によって行われていたという証言である。

もちろん、軍部の暴力を使ったむき出しの言論規制はそれ以前に左翼や学者に襲いかかっていて、それにおびえてジャナーリスト・新聞記者たちは何もできなくなっていたと考えられる。

そこまでいくと、ある種の相互監視状態がうまれて直接の力づくの規制はなくなるともいえる。
この証言と「空気が読めない」がよく使われる、とくに若者の間で使われている今の社会現象の間になにか関係があるのか、どこか近いような感じがしている。ある種の閉塞感が共通しているのだろうか。

反対に、「空気を読めない」を押し通す、つまり自主規制を取っ払ったところから考えるとどうなるか、そちらのほうに未来への希望というか現状打開力があるように思われる。

次は、そっちの方からこの問題を考えてみよう。



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posted by 村のトイレ屋 at 14:28| 山口 | Comment(0) | おしゃべり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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