2009年02月07日

モース「日本その日その日1」

学習ノート。
この本には、屎尿関係の本でよく引用される箇所がある。
たいがい途中で終っているので終わりまで書き出しておく。22p.
平凡社東洋文庫。3冊。1970年刊。
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東京の死亡率が、ボストンのそれよりすくないということを知って驚いた私は、この国の衛生状態に就いて、多少の研究をした。それによると赤痢及び小児コレラは全く無く、マラリアによる熱病はその例をみるが多くない。リュウマチ性の疾患は外国人がこの国に数年間いると起る。しかし我が国で悪い排水や不完全な便所その他に起因するとされている病気の種類は、日本には無いか、あっても非常にまれであるらしい。これはすべての排泄物質が都市から人の手によって運び出され、そして彼らの農園や水田に肥料として利用されることに原因するのかも知れない。我が国では、この下水が自由に入江や湾に流れ入り、水を不潔にし水生物を殺す。そして腐敗と汚物とから生ずる鼻持ちならぬ臭気は、公衆の鼻を襲い、すべての人を酷い目にあわす。日本ではこれを大切に保存し、そして土壌を富ます役に立てる。東京のように大きな都会で、この労役が数百人の、それぞれ定まった道筋をもつ人々によって遂行されているとは信用できぬような気がする。桶は担い棒の両端につるし下げるのであるが、一杯になった桶の重さにには、巨人も骨をおるであろう。多くの場合、これは何マイルも離れた田舎へ運ばれ、蓋のない、半分に切った油樽みたいなものに入れられて暫く放置された後で、長柄の木製柄杓で水田に散布される。土壌を富ますためには上述の物質以外に尚函館から非常に多くの魚肥がもってこられる。元来土地が主として火山性で生産的様子に富んでいないから肥料を与えねば駄目なのである。日本には「新しい田からは少ししか収穫がない」という諺がある。
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いくつかことがわかる。
1、東京の衛生状態についてモースは研究した。
東京の都市としてのありかたに関心をもった。
「田園都市」「村の中の都市」「村の集まった都市」という表現をしている外国人もいたようだ。渡辺京二著「逝きし世の面影」(葦書房)
リュウマチ性の疾患に外国人がかかるのはなぜ?
2、彼我の衛生状態の比較を下水処理に求めている。ボストンは未処理で川に流している。「水生物を殺している。」
3、日本では都市から持ち出されて畑の土壌を肥やすために使われている。
東京では数百人のひとがこの仕事に従事している。「運び出している」としか書いていない。どこかに目撃したスケッチがあるかもしれない。
4、「蓋のない半分切ったような油樽に暫く放置され、長柄の柄杓で畑に散布される」・・・この箇所がとても大事なところだ。油樽の大きさ、放置の時間などがわかると完璧。このスケッチがあるとおもしろいと思ったが、3冊のどこにもそのスケッチはなかった。小屋の絵や働いているのは多いのだが残念。
5、日本の土地は痩せていて施肥が必要。これはどのような情報にもとづいたのだろうか。書かれている諺は、日本のどんな諺をさしているのだろうか。

著者は、覚え書きと写生をしなかった日はなかったという。
4年間で日記帳3500頁。
その理由は、観察と同時に興味あることを記録することの重大さを知っていた・・・そうでないとすぐに陳腐になってしまうから。
陳腐になってしまうというのは、新規さの印象が薄れて慣れて記録するに価しないように思ってしまうからだそうだ。p20

執筆の動機は、友人からの手紙。
1877年の日本。
「きみとぼくとが40年間親しく知ってきた日本という有機体」
「ベレムツナイツ(化石として残っている頭足類の一種)になってしまうぞ」・・・近代化される前の日本の姿の証言を意図している。
社会の総体を含めた農村ー都市、屎尿、家、風俗などの再構成が必要。


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posted by 村のトイレ屋 at 23:56| 山口 ☀| Comment(0) | 本の感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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