2009年02月06日

動物の腸は、植物の毛根と同じ役割をはたすもので
もともと外部から栄養を吸収していたものを、
内部化したものと言ってよいようだ。
そんなたとえを大蔵永常著「農稼肥培論」でしているそうだ。

内部化といっても、栄養物は口腔で砕かれさらに胃で
吸収しやすいようにはされているけれど、
まだまだ血管に送られていけるものではない。
腸の段階では、まだ外部といってもいいかもしれない。
自然と人間の接点は、皮膚だと思いこんでいたけれど
栄養摂取という点からは、腸あたりに外部があるとみていいようだ。
下痢をしたときなどの排泄物をみると、ほとんど食べ物の原形に近く
確かに腸は、外部世界との折衝役なんだと思われる。

栄養摂取と排泄という点からみれば、人間は、センターに管をもつものだ。
単純化して、人間は管だといってもいいかもしれない。

でも、腸内で諸器官から送り込まれる酵素などの成分で吸収されやすいように分解されるとして、それは形を変えただけで、もともとの外部的な自然素材としての性格をまだもっているのではないか、
自然のままと私という人体の一部になったときとは、どこで境界をひくことができるのだろうか。言ってみれば人間と自然の境界線の問題だ。
血液だって、それを運ぶ血管、私の体を支える骨格、連結してバネにもなる
筋肉も、私のもの・人間側といえるけれど、その成分は自然そのものだ。
区別できないことになる。区別が無意味だということになるかもしれない。

自然と人間(人体)は、実は区別など本当は全然なくて、人間は自然のごく一部にすぎない、ほんの一部腕を動かしたり足を使って歩いたり、脳をはたらかせたりして、自分の意志で行動して自己ヘゲモニーがあると思っている。それも時間が至れば個体としては動きをストップして、単純物理的な物体になってしまう。それがわかっているのに、あたかもそうではなくて、人間は自然とは切り離された別の存在であり、自分という自然を動かし(それさえ思うようになるのはごく一部なのに)、周囲を変え、大地を思うようになると錯覚し、地球さえコントロール下においたと見誤った。勘違いした。

人間も多くの植物と同じように、もう一度、形の上では体内にある腸をその本来の形、外部にはっきりと出して、しかも植物と同じように、間に介在するもののない大地との直接接点をもったらどうだろう。腸は、根となってもういちど土に張りついて毛根を張り巡らせ固定されるのだ。
ときがたてば、光合成も可能になるかもしれない。
太陽からはエネルギーを、大地からは栄養を得て生きてことになるだろう。

それでなにか不平があるだろうか。


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posted by 村のトイレ屋 at 23:51| 山口 ☀| Comment(0) | おしゃべり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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