2009年02月04日

便所神と肥溜め、波平恵美子著『からだの文化人類学』

学習ノート
便所の神様は、地位が高いと言われています。
 便所は、命に感謝する場ともされています。
 また、安産の神様を兼任しているとも言われている地方もあるそうです。
便所神、あるいは便所参りなどについて、情報をお持ち方、教えていただければ幸いです。

 波平恵美子著『からだの文化人類学 変貌する日本人の身体観』(大修館書店、2005年)に記述があります。
便所の神様と肥溜めを結びつけて(昔は、切り離せなかった)とても大切な神様としていること、自然と人間の物質循環・生命の循環を指摘しています。生後30日前後に赤ん坊に参らせるという風習のなかに込められていたものは生命への畏敬だったと思われます。
 著者は、最近、身体への暴力が危機的に増加していることから、日本人の身体にたいする価値観を追跡しながら、自然と人間の関係、自然の一部としての人間、人間と人間の関係について論じているようです。その文脈の中で便所の神様と肥溜めをあげています。

 以下に、コピーしておきます。
 また、今まで私が便所の神様を考え、トイレとはなにかを考える際に指針としてきた文献を後半に掲げておきます。

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誕生後の生育儀礼の中で各地で行われていたがしかし現在はほとんど行われていない(筆者の知るかぎり昭和50年頃まで新潟件東部で見られた)「便所参り」は、食べることと身体との関係がもっとも複雑なかたちで示される儀礼である。誕生後30日前後に自分の家の便所にまつられている「便所神さま」を母親に抱かれた赤ん坊が参ることは、現代の私たちの生活からは理解しにくくなっている。この儀礼の意味を理解するには、便所神と呼ばれる神の性格を理解しなければならない。
 日本中でかって見られた便所は、糞尿を大きな壷形の槽に落としこむもので、それに溜った糞尿を田畑の作られた大きな「こえ溜め」に移して発酵させ、それを水で薄めて耕地に撒いて使った。町場や漁村のように、周囲に農地がない場所では、農家の人が直接各戸を回って糞尿をもらいうけ、肥料として使っていた。糞尿を肥料として使う場合、金で買う化学肥料をや魚肉を発酵させたものを「金肥」と呼ぶのに対して、それを「人肥」と呼んでいた。このように、人が排泄する糞尿は人体からの排泄物であると共に人の身体を養うための源である作物を育てる肥料であることがはっきりしたかたちをもって日々示されていたのである。便所神は、人が食べ物を人体に入れる→排泄する→排泄物が食物を育てる→育った食物が人体に入る→、というサイクルが滞りなく行われることを司る神とみなされている。食べること、排泄すること、その排泄物が再び人の食物を作ることは人間の行為であるが、しかしそれは神の守護によって可能になっていることの認識を示す信仰だと考えられる。赤ん坊が便所参りをするのは、神によって可能にされているこのサイクルの中に、うまれたばかりに赤ん坊もまた組み込まれ、食べること、生きること、排泄すること、そして身体が成長し健康を保てることが、その子の一生を通して滞りなく続くことの祈願のためであると理解される。 p45〜46
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○水処理倶楽部通信161号に紹介
便所は命の感謝の場
http://homepage2.nifty.com/watertreatment-club/wnews100/wnews161.html
玉置半兵衛著『あんなあよおうききや 京の言の葉しにせの遺心伝心』  京都新聞出版センター 

○安渓遊地・安渓貴子著『島からのことづて 琉球弧聞き書きの旅』葦書房、2000年。
 第2章 南島の人と自然 南のはて波照間島から――西表島・川平永美さん 
「ある時に神様をいろいろな場所に配置することになって、便所(フールヤ)にはどの神様が行くか、となった時に飛び切りの美人でまた位も高い女の神様が希望して便所の神様(フールヤヌカン)になられたそうです。それで便所の神様は特別に力の強い神様で、ほかの神様にお願いしても通らない願い事は、便所の神様にお願いしたら通るといわれます。これは、ユタ(職業的な霊能者)も話していたことですよ。」 (p50) 
   

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posted by 村のトイレ屋 at 09:01| 山口 🌁| Comment(0) | 自然浄化法-タイと日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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