2008年12月30日

戦中戦後の汚水処理

日本の第二次世界大戦、戦時中から戦後にかけての汚水処理の基本思想と実態は、どんなものだったのか、に興味をもっています。
1950年(昭和25年)の経済安定本部の出した「屎尿の資源科学的衛生処理勧告」が参考になるのではないかと見当をつけています。
1、背景に食料増産の政策的要求があること。戦中戦後は飢餓線上の食料危機。
2、エネルギー源に限界をかかえていた。石炭・石油の絶対量に限界。
ここから、嫌気性処理への視点が必ずあったはず。
3、東京都は、1949年(昭和24年)に砂町屎尿消化槽の建設に着手している。ここでは、「汚泥を土壌改良剤に」「堆肥の生産」などが語られ、一部実施されていたと言われています。その実態は、どのようなものであったのでしょう。1982年(昭和57年)まで稼動したとのこと。

こんなサイトがありました。
社団法人 東京下水道設備協会
http://setubikyo.or.jp/main/
その中の、汚泥処理技術の章に、
日本ガイシ株式会社エンジニアリング事業本部技師長の藤由吉展氏が、機械の視点から書いています。
http://setubikyo.or.jp/main_sub/hensen/Session_5.htm
以下部分的に引用します。
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一方、汚泥の嫌気性消化は、昭和3年ごろから汚泥の有機分をガス化して汚泥量の減少と処分の衛生化を図るために、三河島汚水処分場にパイロットプラントが設置され研究が進められていたが、皮肉にもし尿施設としてその第一歩を踏み出すこととなった。

 GHQの示唆を受けた経済安定本部資源調査会衛生部会は、昭和25年12月、政府に対して「し尿の資源科学的衛生処理に関する件」を提出した。これは、「し尿の科学的処理法は嫌気性消化法が最善である。」として政府に勧告したものである。そして、消化機構と経済性、特に汲み取りし尿処理を考慮して単槽室二段消化方式の二重式消化槽が考案された。昭和28年、わが国初のし尿消化槽が砂町下水処理場で稼動した。

 消化槽の下水汚泥への採用は昭和35年の芝浦下水処理場からで、その後、砂町・小台処理場にと順次採用されている。

 天日乾燥床から機械脱水機への変遷は、昭和33年に砂町下水処理場し尿消化槽汚泥の脱水用に導入されたヤングフィルター型真空脱水機であった。し尿の消化汚泥は繊維質が多いために無薬注でも脱水でき、さらにこの脱水汚泥を熱風乾燥することで取り扱いに優れた有機肥料として農業従事者に重宝され、昭和57年3月末日、し尿処理の「清掃局からの受託」が終了するまで生産されていた。
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さらに、詳しい情報をお持ちの方、ご教示ください。


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posted by 村のトイレ屋 at 10:15| 山口 ☔| Comment(0) | 水処理倶楽部 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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