2008年12月11日

昔の石垣

あったか村の石垣ファンのみなさんへ連絡です。

12月7日の作業で、溜め池の下に石垣がみつかりました。
高さ1m、長さは25mくらいです。
竹薮の中に隠れていました。
炭焼き窯をつくる場所を決めるため、竹薮を刈っていたら
薮の中に透けて見えました。かきわけて進んでみると
屋敷跡と同じような石垣でした。
でも、堤の下で、水圧に耐えられるようにつくっているとすれば
もっと強くなるように組んでいるのかもしれません。
今は、判断できません。

これで、あったか村のおもだった石垣は、3ヶ所になりました。
屋敷跡のもの。
川と水田の間にあるもの。
そして今度の溜め池下です。
ふたつある井戸も、石垣です。

山口県では、旧鹿野町と旧徳地町の間に、見事な石垣があります。
棚田の石垣です。島根県旧柿木村にも広がっています。
専門的な石工がいたのでしょうねえ。

その技術の高さをうけて、阿武町あたりでも、自分で工夫しながら
石垣をそれぞれ自力で組んでいったのではないか。
草や薮をきれいに刈って、石垣の全部がはっきり見えるようにして比較しなければ、なんとも言えないことですが、そんなことを想像しています。

ある石垣ファンが、
「じっと見ていると、これを築いた人たちの声が聞こえるようだ」
とぽつりと言っていました。私も、そんな気分になります。

先にみつかった墓石に「文久」という文字が刻まれていました。
文久元年は1863年です。明治維新の5年前です。
そのとき、あったか村のある集落はどんな様子だったのでしょうね。

今度の日曜日14日には、なんとか全体が見えるところまで刈ります。



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posted by 村のトイレ屋 at 23:56| 山口 ☁| Comment(0) | あったか村 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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