2008年07月17日

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『ラダック 懐かしい未来』
ヘレナ・ノーバーグ・ホッジ
山と渓谷社 2003年7月刊

私にとって、今年出会ったもっとも大事な本になる本だ。とてもすばらしい。
ひとつには、シューマッハーの適正技術論(中間技術論)の延長にある本だ。その具体的現場的な応用と展開として読める。
それは、著者自身が、語っている。また、シューマッハー・カレッジの紹介もしている。  P209

でも、それ以上に、ラダックのもつすばらしさ、それを知った著者の営みが前提にある。
ここがとても重要だと思った。
観光目的の旅行者がつかんだ「ラダックのすばらしさ」ではない、人の生き方としての、
共同体のあり方としての、人と自然とのあり方としての、奥深いすばらしさだ。近代的な
「モノカルチャー」に強く反省を迫るものだ。「先進国」の政府や企業や市民に存在その
ものの変革を迫るものだ。支援や国際交流のあり方のあり方を根本から問うものだ。

3部で構成されている。
第一部 伝統
第二部 変化
第三部 ラダックに学ぶ

著者の論点は、第三部に凝縮されている。
実践的なラダック・プロジェクトに集約されている。
支援とか交流とかは、現場での行動をとうして、共に学び、共につくりあげていくことだ
ということがよくわかる。
だが、その前に、第一部が、とても大事だ。理解のためには、ここにたっぷりと時間をか
ける必要があると思う。二部三部の視点から、第一部をじっくり読むこと。

38ページにかかれているエピソードは、日本の昔の農村の話かと思った。

ラダック着いて間もないころだが、私は川で洗濯をしようとしていた。汚れた服を川の水
につけようとしたとき、上流の村からやってきた七歳に満たないくらいの小さな女の子が、
「汚れものを川の水にいれちゃだめ」と恥ずかしそうに言った。「下の方の人たちがその
水を飲まなくちゃいけないから」

「あるものを完全に使い切り、あらゆる用途ににも使い尽くし、捨てようと私たちが思う
ものでも、ラダックの人たちはそこからさらなる用途を見つけ出す。簡単に捨てられるも
のは何もない。もう食べることができなくなったものでも、家畜にやることができる。燃
料として使えないものでも、土を肥やす肥料とすることができる。」

関心のある屎尿処理では、 p39
「牛舎の土は、掘り出して肥料として使われるので、家畜の尿がリサイクルされている。
畜糞は、畜舎や家畜囲いからだけでなく、放牧地からも集められる。人糞でさえ無駄にし
ない。どの家でも、地上階に堆肥用の小部屋がありひとつ上の階の床に設けられた穴から
垂直に落とし込むような便所をしつらえている。これに台所から出るかまどの灰と土を混
ぜることで、分解を助け、よりよい肥料とする。臭い消しにもなっている。年に一度、堆
肥用の部屋は空にされ、中身は畑に入れられる。」
という方式が工夫されている。

沖縄の豚便所のような構造だろうか。(豚は、下にいないが)
豚便所と同じように、「衛生的でない」と今は、一掃されつつあるのだろうか。
それとも、何らかの工夫がさらに施され、生き残っているのだろうか。
第二部では、浄化槽のことが少し触れられているが、詳細はこの本だけではわからない。
気候風土で「肥溜めと畑」とはちがう工夫がされている。

他に、子供のところがとても興味深かった。
無条件に「甘やかす」育て方をする。共同体みんなが子供を育てるという指摘。
このあたりを含めて、読み直してみたい。(7月17日)
posted by 村のトイレ屋 at 12:29| 山口 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 本の感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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