2020年03月03日

柴原洋一著『原発の断りかた』を読んで 1

 人は、何歳ごろになって、この世は不正義の塊であると知るのだろうか?
 幼少から10歳代にかけてのいじめ体験だろうか。いじめられ、傍観し、加担して世の理不尽さを知るのだろうか。または、特に深く考えもせず生きてきて、齢、60〜70歳台に入って、こんなひどいことがまかり通るのが、世の中だったのか、と知るのだろうか?

 原発は、不正義がまかり通る典型であり、理不尽そのものである。
 柴原洋一著『原発の断りかた』にも書かれている。

 
さらに重要な指摘は、より少ない人間が暮らす「辺地」を選ぶ立地側の姿勢だ。辺地に住む人たちの命は、都会人より軽いのかと。ここに差別としての原発の本質がある。大東京の電気のために犠牲になった福島県の現実が、それを如実に語っている。
 南島町方座浦の入り口にあった看板を思い出す。
 「原発が安全なら都会へもっていけ」
 ぼくはこれを超える原発拒否の論理に出会ったことがない。
                         p33  
  
 人びとが暮らしている農山漁村にいきなりやってきて、「少数のあなたが犠牲になって下さい」と言われて納得する人がいるだろうか?
 『東京原発』という映画がある。新宿の都庁裏に原発をつくろうという都知事の思いつきが生み出すドタバタを描いて、笑いのい中に原発推進勢力の本質をえぐった映画である。2010年秋から年末にかけて山口県全域で、上映運動があった。誘われて萩市の上映会を手伝った。そのときに原発の理不尽さをあらためて知った。と、同時に、原発に対する人びとの態度、当事者でない他人事としての無関心と傍観する態度をあらためて知った。上関の人がどうなろうが、原発ができて瀬戸内海がどうなろうが知らないよ、という人のなんと多かったことか。人の命が犠牲にされているのに、なんとも思わず無視を決め込んでいる人のなんと多いことよ。そして、それがほんの少し前の自分の姿なのだった。
 2月22日に発行されたこの本を読み終わって、世の中は理不尽と不正義と生きづらさに満ち満ちているが、それでも、本に描かれている人たちと著者がいて、この世の中を人として生きやすいように変えようとしている。そのことを読み取った。いくつかの読後の感想をメモしておきたい。

原発の断りかた.jpg
posted by 村のトイレ屋 at 09:33| 山口 ☁| Comment(1) | 上関原発白紙撤回。避難移住者支援。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする