2008年01月28日

旧黒川村、基本的な姿勢

吉岡忍著「奇跡を起した村のはなし」、つづき

旧黒川村、伊藤村長の言葉(メモ)

規模の問題をどう考えるか、と質問されて

「私は、黒川村に一人も観光客がこない、ということを
考える。いるのは7千人足らずの村民だけです。この人
たちがどれだけ牛乳やヨーグルトやビールを飲み、牛肉
や豚肉を食べているか。そばやハムやソーセージの消費
量はどのくらいか。その数字が、ひとつの目安として頭
にありますよ。村の外から入ってきて、村民に消費され
ている商品を、村で生産したものに置き換えていけばい
いのです。こちらが本物でおいしい製品だったら、絶対
にこちらを買ってくれる。それが評判になれば、必ず観
光客はきてくれる。外の人が買ってくれた分は、村の利
益になるじゃありませんか」

   120〜121ページから。

とても大事なことを語っているように感じたので
とりあえずメモだけしておきます。
posted by へちまや at 12:25| 山口 ????| Comment(4) | TrackBack(0) | 本の感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月22日

あったか村との接点は?

質問:
あったか村と連絡を取りたいのですが
どうしたらいいですか?

お答え:
1、ホームページに住所連絡先が掲載されています。
http://www.haginet.ne.jp/users/poco-a-poco/

2、山口県内だとなんとなく話題にしてみて
近くに、のんたの会の会員がいないか様子をみてみるという方法が
成立するかもしれません。案外、身近に関係者がいるかもしれませんよ。

3、でもそれではあまりにも漠としているので、
以下の役員さんに当たってみるのが案外早いでしょう。

代表 浜口裕美さん 福岡市 
   mixi で探すと早く見つかるかもしれません。
 副代表 安渓貴子さん 山口県立大学講師 
 副代表 高橋肇 さん 山口大大学農学部教授
 事務局 安藤 (私です)・・・ブログへのコメントか
  attaka(at)haginet.ne.jp へメールを下さい。
  (at) は、@ に書き換えて下さい。      
 
4、もうひとつ、最近のおすすめは
山口県県民活動支援センターのロビーか会議室に
毎週火曜日午後6時頃〜8時頃、スタッフが誰かいますので
訪ねることです。打合わせやちょっとした情報交換を
しています。(しばらくは火曜日ですが変更もありえます)

5、ガソリン代が安くなったり、温かくなったら、
あったか村福賀の現地で会うのが一番楽しいのですが
事前の打合わせや紹介程度でしたら、いくつかの方法を
ご利用下さい。お待ちしております。
posted by へちまや at 08:43| 山口 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | あったか村 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

吉岡忍著「奇跡を起した村のはなし」(ちくまプリマー新書)

新潟県黒川村。合併して現在は、胎内市。村長は、伊藤孝二郎。
1955年から2003年まで、12期48年連続して村長をつとめている。
亡くなる5ヶ月前まで在職していたという。
一瞬、フィクションではないかと思ったが、ちゃんと実在する村であり
村長だった。
この本は、約半世紀の村長の事績と村の歴史を追っている。
最初に作ったスキー場からはじまって、ほとんどが村営である。
国の補助金を引き出し、豪雪と水害、過疎の村をさまざまな政策とアイデア
で、歯止めをかけ村おこしに結びつけていった記録である。
観光と農業にかかわるメニューのほとんどは、ここに出尽くしているといっても言いすぎではないと思う。

特長的なことは、その実施にあたっての人の育成である。
外から呼んできて雇ったり、なにか速成効果を狙う策をとっていなくて、
役場職員を海外研修(主にドイツなどヨーロッパ)に送りだす。
研修視察などという生易しいものではない。
1年2年と実地に農場やホテルやハム工場などにつとめさせ
経営ノウハウと技術をマスターさせるのである。
村に帰ったら、今度は部局の責任者となって、農場なり、ホテルなり、工場を、最初から立ち上げて行くのである。
たとえば、山羊のチーズ工場をつくりたいというので、
職員をスイスの山羊牧場・チーズ工房へ1年派遣して、
帰ってその工房の責任者にしている。
(私は、この部分が目に入って図書館で借りてきて全体を読んだ)

ノウハウ自体を学ぶことも当然だけれども、海外の言葉もわからぬところへ
突然放り出されて、溶け込み、なんとかして学び、ものにしていくというプロセスで人間的な成長をも加味しているものと思われる。
根性論というより、海外生活をすることで、視野の広さを自ずから身につけること、それが村の公務員として、事業をになう基礎の力になっていくことを期待したのではないか、と思われる。

時代は変わって、
今、半世紀もの長い間、村長を続けることも
また、数多くのメニューの財源を国に求めることも
およそ不可能な時代になっているけれど、
黒川村に蓄積されたノウハウと人材育成の考え方は、
民間主導で村おこし・町づくりをすすめるにあたって
何らかの示唆を与えていると思う。
「あれは古きよき時代だから出来たこと」といって
葬ってしまうには、あまりにも豊富な蓄積をなしているからである。


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posted by へちまや at 08:19| 山口 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | 本の感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月19日

国際石風呂会議が発足


大島町での交流実践塾の模様は、
次のところで参照できます。ご参考に。

朝日新聞の記事
http://mytown.asahi.com/yamaguchi/news.php?k_id=36000000801150001

安渓教授のサイト
http://ankei.jp/yuji/?n=428

NPO周防大島自然体感クラブ
http://www32.ocn.ne.jp/~ohshima_stc/slowtur.html
posted by へちまや at 08:38| 山口 ????| Comment(0) | TrackBack(1) | 日誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月12日

周防大島へ!

今日、明日(12日、13日)とここへ↓参加してきます。
やまぐちスローツーリズム交流実践塾
 http://www32.ocn.ne.jp/~ohshima_stc/slowtur080112.html

●徳地の石風呂と大島の石風呂は、どうちがうかみてきます。
●最近噂の高い「ミカン鍋」を食べてきますね。
●瀬戸内の大島は、あったかいでしょうね。
posted by へちまや at 05:00| 山口 ??| Comment(0) | TrackBack(0) | あったか村 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月10日

鶏は、なぜ朝早くから鳴くのだろう

タイの農村で、一番目立つのは、鶏だ。
庭先をいつも忙しそうに走り回っている。
まるで、主婦が家事に追われるように、いつも足を動かして
地面を引っ掻き回して、虫を探し出し、口にくわえ込んでいる。
ジッとしているときがほとんどない。

NPOシャンティ山口が、センサイ村の公衆トイレ工事のために
借りている事務所のまわりも、隣りのやら、もうひとつとなりのやら、
前の店のやら、鶏がいっぱい集まってくる。
2回目に行ったっときには、スタッフのヒャポンさんが、
鳥かごを用意して飼いはじめていたので、さらににぎやかになった。

朝は、3時半ころから鶏鳴がはじまる。
近くで聞こえ、遠くから返事が聞こえ、さらに別のがまた近くから
応接する。始まるとほとんど止まらない。
立体的な響き方があまりすばらしいので、録音したいと思ったが
録音機がない。ビデオをつけ放しにして、音だけとったけれど、
あとで、聞き直したが、聞いていたときほどよくはなかった。

そのとき、どうして鶏は朝鳴くのだろう?と疑問に思った。
今度、動物の本、江口保暢著「動物と人間の歴史」を読みながら、鶏の
項目を見てみると、簡単に答えがみつかった。
鶏は太陽を呼ぶ、とタイトルが見出しがついている。
「オスはメスの獲得のためと縄張りのために、ほかのオスと闘争するし、
採食行動とメスとの性行動のピークが日の出前と日没前にあるから、
オスはその頃に激しく鳴く。それが原始人には太陽を呼ぶ声にも聞こえ
また太陽が死ぬのを悲しむ声に聞こえたにちがいない。」
やはり、子孫維持のための行動だった。

ついでにその周辺を読んでみると、
鶏の起源は、タイ、ミャンマーあたりで、そこから東西に広がって行ったと
書かれている。紀元前3000年ごろ家畜(家禽)化されたそうだ。赤色野鶏
というそうだ。タイでいつもみる鶏が、一番原種に近いのかもしれない。

日本では、朝の鶏鳴がうるさいといわれて、都会はもちろん、田舎でも
鶏を飼うことがだんだん減っていって、今では農家の庭先に鶏がいる風景は、ほとんどなくなった。もちろん、鳴き声だけが原因でないだろうけれど
相当大きな要素にちがいない。
そのかわり、養鶏農家という専業がでてきて鶏舎飼いがはじまった。
私の家がまだ兼業農家だった昔、父が鶏舎飼いをして、
祖父が詰まらぬことはやめとけ、といって、
祖父は祖父で庭に放し飼いをしていたことがあった。
「こっちの方が、いい卵を産むんだ、肉もうまい」と言っていた。
ある日、学校から帰るとイチジクの木に鶏が、ぶらさがっていて、それは
祖父が客用にしめたものだった。ブームが去って父も養鶏をやめたが祖父は
死ぬ間際まで自分の鶏を飼っていた。

そんな小学校時代の経験があるので、タイの鶏のいる風景はとても懐かしかった。もちろん、鶏の鳴き声をうるさいと感じることもなかった。
でも、タイの農村の方が一枚上手をいっていると思うのは、母鶏のあとにひな鳥がつづき、そのあとたいがい黒豚の子供が、ひょこひょとあらわれ、さらに裸足の人の子供さらにわらわらと続く。
ここまでにぎやかな風景は、私の子供時代でもなかったように思う。

今朝のニュースで断片的に知ったのだけれど、
イギリスでは、環境省と動物愛護団体が、鶏の鶏舎飼いを全面的に禁止することを検討しているという。もう決まったといったのか、聞きそこねたが、かなり実効性のある措置で、庭飼い、平飼いに移させる指導を開始したといっていた。理由は、鶏の病気だ。
仲間同士で狭いので傷つけあうこともあるようだ。
コストはかかるが、卵ははるかにうまいといっていた。
日本でも、早くそうならないかなあと思う。
その方が、病気にも強い鶏が育つ、と多くの人が語っている。

でもまあ、その前に、日本では、鶏の朝の鳴き声をうるさいと感じる
人間のひよわさ、心地よいにぎやかさと感じられない人間の弱さを先ず
なんとかしなくてはいけないかもしれない。このことは、山羊の鳴き声に
ついてもいえることで、実に気持ちの良い快適なものなのに、避けているだけでは、先行きはくらい。そのためには、タイの子供のように、泥んこの中で、まろびつ転びつする時代を経験させる必要がある。
タイへ行くとこの進んだ文化をなんとか日本に移せないかと考える。
鶏数羽、山羊数頭から、それは始まるかもしれない。


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2008年01月09日

今日の言葉>「同じ人間だった」

NHKテレビ、クローズアップ現代、今日1月9日(水)

日米元兵士、80歳の決着というタイトル
戦場であいまめえた日本とアメリカの元兵士たちが
野球をやることになった。
そのときの言葉。

国と国という縦組みの枠の中で翻弄されるのではなくて
人と人の、顔の見える横のつきあいが、本当に大事なことだ。
その多さが、戦争を防ぐと思う。

「私たちは、あの時地獄をみた。今度は、ライフルでなくて
バットをもってたたかいたい」

「戦争は人々が意味もなく死ぬこと愚かなことだ。
今日は、野球の勝ち負けなんかどうでもいい」

「私が撃った銃の先にどんな人がいたのか、一度知りたかった」

「私はゼロ戦にのっていました。」
「私は、艦載機にいました。」

「こうして会えるなんて、生きてていてよかった、気持ちのもやもやが
溶けました」
「もう20年か30年早くこうして会いたかったですね」

「・・・同じ人間でしたね。今までは、同じ日本人同志で
同じ日本人という気持ちでしたが、今日野球をやって、つきあって
同じ人間だなあと思いました、ホント同じ人間だった」



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posted by へちまや at 22:18| 山口 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | ちょっと四方山の雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月04日

猫はどうして人間社会に入ってきたのか?

●今日の読売新聞、紹介されているのは、上沢さんご夫妻です。
デザイナーで東京の生活を切り上げて、山口県流にいうと「東京を卒業して」阿武町にやってきました。記事でも紹介されていますが、もう3年前になりますか、田舎暮らしのいくつかの候補を探して、阿武町役場を訪問して、そこで私たちのことを教えられ、(あったか村のホームページをプリントアウトしてくれたそうです)あったか村に来てくれたのでした。そのとき私が案内しました。自然農に詳しく、来てもらいたいなあと思っていました。
その後、3ヶ月くらいしてそろそろ忘れかけた頃、「他も廻りましたが阿武町福賀に決めました。12月にはなんとか移れると思います」と連絡に来てくれたことを懐かしく思い出します。そして、引っ越し早々に大雪に見舞われたのでした。
あったか村では、山羊飼いの手伝いをしてもらいました。また、国民文化祭に、のんたの会の会として出展、クラフトの中心です。

●さて、「動物と人間の歴史」を読みながら
動物のことを考えていますが、
山羊や羊からみて、どうにも解せないのが、猫の存在です。
人間と猫・・・この関係は、とても深い、人間社会から猫を引いてしまうと残るものはずいぶん減ってしまうのではないか。公然としたデータなんかではわからないけれど、家に帰って癒され慰められ、疲れをとるという意味で、また、生活に潤いを与えるという意味で、猫の存在はとても大きいとみます。
山羊から見ると、つながれていない、柵のなかに放牧されているわけでもなく、ほぼ何処へも出入り自由。ただ、見ているとなんとなく怠惰で、横柄で、生意気で、努力などいう言葉が何処にも感じられないのが、うらやましいといえばうらやましい。しかし、ああはなりたくないものだ、という矜持も湧いてくる。あまりにも人間べったりだもんなあ。

物事は、歴史的に見るとずいぶん立体的にわかってくるものだと思う。
この本の特徴は、ここにある。今ある表面だけからみるのではなくて、はじまり、発展、その後の流れと追って行く。

猫は、エジプト文明の中で人間との関係のはじまりが語られている。
猫の役割は、第一には、食害対策であった。穀物の保存でネズミに食べられる対抗措置として、ネズミを食べる猫が重宝された。
第二に、同じネズミ対策だけれど、ペスト対策として使われた。
第三に、これもネズミ対策だけれども、寺院や教会で紙の文書を保存するときに、ネズミにかじられないように猫を常時飼っていたのだという。
これらは、ときに為政者によって人為的政策的に行われている。

こうやってみてくると、猫の存在は、ネズミが支えているようだ。ネズミなくして猫なしだけれど、でも、今の猫からそれが想像できるだろうか。いつ頃、「なんとなく癒し動物」「伴侶動物ですよ」という顔をするようになったのだろうか。
私の意見だけれども、人間社会に入り込んでしまった猫たちは、いくぶんかは変質したであろうけれど、大きくかわったのは、おそらく人間社会のほうであろう。ネズミから穀物や家の食料品を守るのに、もはや猫を必要としなくなった、でも、つくられてきた猫との関係は、捨て去ることが出来なくて、むしろ精神的なものが人間の方から強められた・・・と思うがどうだろう。深い関係にあるものふたつ、この場合、猫と人間、相互の発展は一筋縄ではいかない。双方の論理を丁寧におっかける以外にないだろう。
この本に書かれている猫にとっての暗黒時代、西洋の中世、それに、怪談の主人公に猫が多いことなども、検討したらおもいしろいだろうと思う。

●最近、人間のなかにも、山羊をペットにしたいとばかりにベランダで飼ったり、部屋の中で飼えるように小型山羊を追及しているということを聞く。山羊の猫化ですね。そうなったら山羊は幸福になるだろうか、人間が幸福になるだろうか。やはり、広い野原のある地域で、山羊と人間は、絆を深めるのが、いいように私は思う。都会にはそんな場所がないとすれば、そのような条件を田舎で確保するように人知を尽くすのが本筋のように思います。山羊からすれば、猫の領分に山羊が入ることはないと思うがどうだろうか。




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posted by へちまや at 23:58| 山口 ????| Comment(2) | TrackBack(0) | 山羊・羊とチーズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月03日

同窓会に参加して、

●まずはお知らせです。
昨年末に新聞社の取材を受けました。読売新聞です。
阿武町、あったか村を特集するそうです。
「できるもの探し」として、今日(3日)1回目が、掲載されています。
白松博之さん、紀志子さんの経営する樵屋、白松さんの闘病、
それに、歌手の岡林信康さんのコメントが掲載されています。
明日から、さらにいろいろな人が登場してきます。
是非、ご覧下さい。(中国地方の社会面に掲載されるそうです)
ネット版は、まだアップされていないようです。
(みつけたら教えて下さい)

●中学校時代の「還暦記念同窓会」に参加してきた。
還暦記念というのが、どうも引っかかるが事実だからやむをえない。
というより、昨今の還暦とは、「第二の青春の入口」「本当の成人式」
または、「大人の成人式」と呼ぶそうだから、
別に気にすることもないかもしれない。

●ほとんどの人と45年ぶりだった。顔がわからなくて、それぞれ名札を
確認して挨拶というのもおもしろい。しかし、一点でも面影を見いだすと
たちまち少年少女時代の容貌が浮かんでくる・・・気づいたのだけれど、
小学校時代が同じほど、記憶の甦りが早かった。
これはどういうことだろう。

●恩師が、いつまでも教師であるのがおもしろかった。本当に昔のことを
よく覚えていてくれる。私が、陸上競技で郡の大会に出たとき、800mと400mを間違えて、つまり800mのつもりで400mをのんびり走って
スパートもなにも力を出さないうちにレースが終ってしまったことがある。
そんなことを覚えていて、思い出させてくれるのかだから、大変だ。
また、すでに80歳代後半のある恩師は、ボケ防止の注意事項を紙に書いてもって来てくれた。ありがたいことです。

●45年ぶりに会う人たちの会話を全部録音すれば、それはそれは、恐ろしく密度の濃い人生の圧縮図を見ることが出来よう。つぶさに観察分析したい気もないではなかったが、質問に答えたり質問したり、話し込んでいるだけで、あっという間に時間が過ぎてしまった。楽しいおしゃべりでした。
お世話された幹事のみなさん、ありがとうございました。

●話は飛ぶが、今年はネズミ年だそうだ。干支のトップだという。
毎日新聞に干支の順番で、なぜネズミが一番になったか、細かに書かれていた。神様が、動物たちに招集をかけたとき、ネズミは、猫には1日遅く教え、牛には背中に乗って着くやいなや牛を出し抜いて最初に神様の前にあらわれたそうだ。それで、今でもネズミは猫に追いかけられているというエピソード。「動物と人間の歴史」にも、ネズミの項でもちろん書かれている。

●ネズミのことでは、昨年秋、草刈りをしていてみつけたカヤネズミのことを思い出す。家で見るネズミよりずっとかわいかった。巣の中の子供だった
からかもしれない。雰囲気がちがって、ネズミはネズミでも別の種類だと思った。この本によれば、ネズミは世界中に1800種いるという。獣類が3600種
だから相当な割合がネズミということになる。イソップに「村のネズミ、街のネズミ」というのがあった。まちムラを問わず、人間と身近なところに、生息しているんだろうなあと想像する。
人との関係距離、それと自然条件で変わってくるのだろうか。
ネズミを誰も家畜とは呼ばないが、案外近いのではないだろうか。
干支のトップにいるのも不思議だけれど、それ以上に、誰も正規には
家畜として見ていないことも、おもしろい。


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2008年01月02日

狼が絶滅した理由とは、

あったか村で動物の話をしていて
狼の話題になったことがある。
「私たちの山に狼がいるのではないか」
「絶滅とされる狼が、ヒョイと出てくれば
楽しいだろうねえ」
「ところで、狼はどうして絶滅したのだったのだろう?」
「そうだねえ、どうしてだろう?」

そのときは、今度調べておこうねということになったが
みんなこんな話題は、大好きなのに
まだ誰からもそのレポートは出されていない。
私も、気になっていたものの調べていなかった。

昨日紹介した江口保暢著「動物と人間の歴史」に書かれていた。
ニホンオオカミの絶滅は、海外から入ってきて大流行した狂犬病
だった。享保17年(1732年)以来のことだという。
「明治38年(1905)1月29日、米人アルコム・アンダーソン氏が
手に入れた狼の死体が、最後のニホンオオカミとなった。
狼は群で行動するために狂犬病に滅ぼされたと言える。その意味では、エゾオオカミが人間の撲滅作戦で絶滅したのとは事情が違う」(13ページ)と記されている。

平岩米吉著「狼 その生態と歴史」に詳しく書かれているようだ。
この本を手に入れればさらに詳しいことがわかるようだ。
絶滅したはずの狼が、まだひっそりと生息して
いるという風評が、今でも全国各地であるという。
でも、狼は群でしか生きられない動物なので個々単独では、
生き延びていないだろうと断言出来るようだ。

しかしそういわれても、どこかで「1匹狼」というオオカミがいて
あったか村近辺にあらわれて来ないだろうか、
それを希望してみるのは、私たちのひそかな楽しみとなるかもしれない。




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2008年01月01日

ヤギはどのようにして家畜になったか?

●今日は、元旦で恒例の集落の新年会。あったか村は、住んでいるわけではないが、例年加えてもらっている。昨夜から雪だったが、車が走れないほどではなかったので、出かける。11時から2時近くまで宴会。
ただし、酒類は近くの人だけ。
熊のこと、猿のこと、それと牛飼いのことなど話を聞く。

●あったか村では、雪は、2〜3センチでまだそんなに積もっていない。
道や畑を見るが、動物たちはあまり動いていないようだ。
足跡がみられない。

●昨年暮れからヤギの最初のことを考えている。
ヤギや羊は、どうして家畜になったのだろうか。
こんなことを書いてある本があったのでメモしておく。

江口保暢著「動物と人間の歴史」 築地書館

「山羊は、それ自体、ほうぼう遊んで歩く性質があり、群を作って長距離を移動するので、遊牧民にとっては都合のよい動物だ。したがって、遊牧民のなりたちと山羊の家畜化とは切り離すことができない。遊牧民と山羊は、一種の共同生活をしているともいえ、遊牧民は山羊の群を追い、保護し、その群の一部の山羊を獲得すればよいのだ。」
「山羊はいつごろから家畜にされたのか、はっきりわからない。農耕民の遺蹟から山羊の骨がたくさん出土しているが、野生山羊だったのか、遊牧民から譲り受けた山羊なのか、区別ができない。農耕民は農作物を荒らす野生山羊を捕らえて殺し、食べたかもしれない。しかしやはり、狩猟民が山羊を追っているうちに山羊の群を管理するようになり、そしてついには家畜にしてしまうというのが、一般的な解釈だ。」


狩猟の民、あるいは狩猟時代の人間と山羊がどのように
合流するのだろうか。もう少しつぶさに知りたいものだ。
「山羊は、それ自体、ほうぼう遊んで歩く性質があり、・・・」
と書かれているのは、その通りだと思った。
おんなじ観察の結果になるのだなあ。

遊牧民と山羊とは、共同生活をしていた・・・なるほど。

この章の後半に山羊と羊の比較がある。
山羊は野生に戻りやすいが、羊はそうでないと指摘されている。
これもうなずくこと多く、おもしろい。


●昨年、義妹(妻の妹)が亡くなり
今年の正月は、わが家はひっそりと迎えました。

2006年元旦にはじめ、
3年目に入ったこのブログ
あったか村の活動
村まち交流で思うこと
タイや水処理のこと
本の雑多なメモなど
今年も、拙い文章ですが、
書き続けます。
どうか、よろしくお願いします。

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posted by へちまや at 23:51| 山口 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | 山羊・羊とチーズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする